100000HIT・TOA(J*L)【空木さま】



愛したひとの影



 ジェイドの後ろ髪に、一筋重力に逆らう髪を見つけた。
 本人からは完全に死角になる場所で、身支度をするジェイドはそれには気付いていない。
(寝ぐ、せ)
 寝台の上に半身を起こしたまま、ぼんやりとそれを追いかけてしまう。
 自分の頭に手をやれば、ジェイドのものとは比べ物にならないくらい跳ねた毛先に触れる。それを適当に手櫛で梳いてから、寝台を降りた。
「ジェイドー」
「はい?」
 ふよふよと揺れる、その毛先を摘む。
「寝癖、ついてる」
「そうですか?」
 後頭部に手を遣り、ジェイドが振り返る。俺の四方八方に跳ねた毛先を見て、一瞬目を丸くしたあと、破顔した。
「あなたも大概ですけどね」

 蒸しタオルで寝癖を直してもらったあと、ジェイドを強引に椅子に座らせた。
「自分でできますよ、あなたじゃあるまいし」
「いいから、いいから」
 肩を押すと、ジェイドの尻が椅子に落ちる。座ってしまえば、抵抗することもなく、したいようにさせてくれる。何だかんだでジェイドは俺に甘い。
「何か、楽しいな、こういうの」
「そうですか?」
 肩へと流れる髪の中で、一部だけ跳ねる髪の上へ、蒸しタオルを押し当てた。
「だって、ジェイドの髪なんて、滅多に触れないし」
 タオルで十分蒸らしたあと、櫛で丁寧に梳く。ジェイドの細く柔らかい髪は、それだけで簡単に寝癖が取れた。しかし、手は止まることなく、髪を好き続ける。さらさらと指を滑る感触は、心地が良い。
「そういえば、ジェイドは何でも髪伸ばしてるんだ?」
 手を動かしながら、ふと問うてみる。
 以前から気にはなっていたのだ。
 ジェイドが、自分の容姿に拘る人間には見えなかったし(その前に、何もしなくてもジェイドは十分綺麗だ)、髪の手入れをこまめにする人間にも見えなかった。実際、特別な手入れはしていないという。髪に愛着があるというわけでもなさそうだが。
「これですか?」
 ジェイドの指が、肩に掛かる毛先を摘む。
「煩わしいので切ってしまおうかと思ったのですが」
「そんなの駄目!!」
 思わず叫ぶ。自分にも長髪だった時期があったが、ジェイドの髪はそれとは比べものにならない。切ってしまうなんて勿体無い。
 言うと、ジェイドは胡散臭い笑みを浮かべて肩越しに振り返った。
「と、切ろうとする度そう言う方が多いものですから」
「……」
 それって、女の人?
 胡乱な視線を向けると、冗談ですよ、と笑う。けれどまだ、信用はできない。
 この容姿であれば、言い寄ってくる女性も少なくなかっただろう。彼女たちの希望で髪を切らなかったということも十分あり得る。
「そんな顔をしても、あなたの思うようなことはひとつもありませんよ」
 まるで、見透かしたように言う。
「そういう女性が居たとして、私がそれに従うと思いますか?」
 言われて、それもそうかと。
 ジェイドが女性の言いなりになっているところなど想像もつかない。本当に煩わしいと思えば、誰が何と言おうとばっさりと切ってしまうだろう。
「髪を切らなかったのは、」
 口を開きかけて、その後に続く筈の言葉は、不意に途切れた。暫くその続きを待ってはみるが、ジェイドの口は閉ざされたまま。
「ジェイド?」
「いえ、何でもありません」
 首を傾げる。
 その言葉の続きが気にならないでもなかったが、その言葉が、背を向けたジェイドが放つ空気が、追及を拒む。
 或いは、聞けば答えてくれるのかもしれないが、そうする勇気も無かった。
 俺も、口を閉じる他ない。
 ジェイドは、自身の過去をあまり語りたがらない。
 彼の口から語られるそれは断片的で、過去のジェイドを想像することは難しい。ただ、ジェイドが過去の自身を忌み嫌っていることだけは推し量ることができる。
 ジェイドが語りたくないというのなら、それは彼の過去に何か重要な出来事があったのだろう。
 それが良い出来事だったのか、悪い出来事だったのかは分からないが。
(悪いこと、訊いたかな)
 少しの罪悪感。
 櫛を握る手を止め、傍らのテーブルに置いた。
「はい、終わり」
「ありがとうございます」
 目の前で、栗色の髪が揺れる。朝の柔らかい光を透過して、眩しく輝いた。
(ああ、でも)
 ごめん、ジェイド。
 あなたがこの髪をどう思っているのかは知らないが。
「俺、やっぱりジェイドの髪、好きだなあ」
 その髪に一房触れて、呟いた。


 ジェイドの髪はとっても綺麗ね、と。
 彼女の手が、まだ私のものより大きく、まだこの目が尋常な色をしていた頃。
「目と、お揃いなのね。細いのに真っ直ぐで、綺麗だわ」
 そう言って、頭を撫でた温かい手と、柔らかく笑った彼女のことを、今でも思い出す。
 彼女が好きだと言ったものの片方は、赤く変色してしまった。
 残るのはこの髪しかなくて、それを切ることができなかったのは、贖罪の為だったのかもしれない。いつも目に入るように。自身の過ちで命を落とした彼女を忘れないように。
 けれど、それをルークは好きだと言った。
 彼女の言葉は特別で、同時に、この心を引っ掻いて傷を付けた。
けれど、彼の言葉は違う。
 肩に掛かる毛先に触れる。
 肩にのしかかるようなそれが、少し軽くなるようだった。
 いい加減、死者に捕らわれ続けるを止めてもいいのかもしれない。
 彼が好きだと言ってくれるなら、この髪も。
「悪くはない、ですね」
「何か言った?」
 何でもないです、と彼の指を取って。
 今し方髪に触れたそれに、唇を落とした。





◆あとがき
 灰兎さまリクエストの『ジェイドの髪に触りたがるルーク』のお話。
 ちょっと前まではもう少し明るいお話になる予定だったのですが、途中で方向転換してしまいました。
 ジェイドが髪を伸ばしている理由はこんなんだといいな、という妄想。
 触りたがる、というかがっつり触ってしまっていますが、こんな感じでよければもらってやってくださいませ。
 リクエストありがとうございました!!



| →


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -