03





 納得しきれないままキッタさんと別れ、ぼくも一足遅れて教室を出た。その直後の話だ。
「Tくんじゃん。よっすー」
 聞き覚えのある声にぼくは振り向いた。階段の曲がり角から、目に鮮やかな金髪の男子生徒が歩いてくる。廊下で足を止めたぼくに向かって片手を上げて、どうにも親しげな様子だ。
「今帰り? 俺もなんだー。たまには一緒に帰ろーよ」
「そうだけど、ええっと……」
 誰ですか? とは聞けない。向こうはこっちを知っているようだし、ぼくも彼の姿に見覚えはあるからだ。……名前は思い出せないけれど。
 ぼくは相手が何か切り出すのを期待した。が、相手も相手でぼくを試すように待ち構えている。嫌な間だ。中途半端に思い出そうとしなければよかった。
 すると向こうは痺れを切らしたように自分の顔を指差した。眼鏡? 彼の指の先には、ごついフレームの黒縁眼鏡がある。金髪のちゃらちゃらした風貌には不似合いの。でもあの眼鏡、あの黒縁眼鏡には特に見覚えがある。そうだ、たしか彼の名前は、サ、サトウじゃなくて、サ……

「…………サトシくん?」
「さとるくん、な。あんたの! クラスの! 同級生の! さとるくん! ……なーんかうろ覚え臭いんですけど」
 不満そうに言って彼――サトルくんは唇を尖らせた。まずい、クラスメイトだった。こんなやついたか?
「一年の時から同じクラスだったっつーのに酷くない?」
 ……これは最悪、殴られても文句言えないな。
「いや、夏休み明けてみんな結構変わってるから、たまにわからなくなるっていうか……そんな感じで」
 とってつけたように言い訳しながら、彼の顔をじっと観察して記憶を探る。黒縁眼鏡はたしかに覚えているが、その他の要素はまるで様変わりしてしまったように感じる。
「サトルくんだよね。ずいぶん印象変わった、なあ……?」
「まーだ夏休み気分なのかよTくん。もうじき文化祭だって!」
 サトルくんはぼくの背中を乱暴に叩いた。たしなめるような調子だが、それでも怒っている様子ではない。呆れと笑いを交えた、そんな彼の態度にぼくは胸を撫で下ろした。


「つかTくん珍しく帰り遅いじゃん。いっつも学校終わったら直帰なのに。こんな時間までなにやってたわけ?」
 そう言いながら、サトルくんはやってきた方向に歩き出していた。いつの間にか一緒に帰ることになっていたらしい。ぼくも遅れて斜めがけのエナメル鞄を追いかける。
「ちょっと野暮用で居残り。サトルくんは?」
「部活部活。しっかしTくんの物忘れは相変わらず直らんね。俺たちけっこー電話とかメールしてんじゃん」
「そうだっけ?」
「うわ傷つくわー。友達だと思ってんの俺だけかよ」
 へらへらしていて軽いノリ。そうだ。彼はよくぼくに電話をよこす人だ。電話での口調もいつもこんな感じだった。彼は授業はサボりがちのくせに妙に几帳面なところがあって、しばらく会っていないとメールや電話で学校のことを聞いてくる。
 階段を下りながら、彼はぼくの方を肩越しに見た。

「でさ、今日こうやって声かけたのはTくんに用事があるからなんだよね」
 満面の笑みでそう言って、彼はズボンのポケットから携帯電話を取り出した。ぼくの記憶が正しければ、この間発売された最新型だ。また買い換えたのだろうか。……そうだった。この人が同じ電話を持っているのをぼくは見たことがない。
「アドレス変えた、とか?」
「俺のじゃねえって。転校生チャンのアドレス! 俺さ、実はさっきTくんの前にあの人が教室から出てくるの見ちゃったんだ。連絡先交換したんでしょ? 俺にも教えてくれる約束でしょー?」
 ……そういえばそんな話になっていたんだった。そもそもぼくはキッタさんの連絡先を聞くために彼女に話しかけたのだ。結果はわけのわからないうちに丸め込まれてしまったのだけど。そうか、この人もキッタさんのアドレスを知りたい男子の一人だったのか。期待のまなざしが痛いが、ぼくは正直に話すことにした。
「それがキッタさん持ってないんだって、携帯電話」
「はぁ?」
 サトルくんの声が一瞬ものすごく冷たいトーンになった。
「持ってないって、パソコンのメルアドとかSNSとかは? それもなし? ありえなくない?」
「そこまでは知らないけど」
 こちらを見ながら器用に階段を降りていく彼は、信じられない!という顔をしている。
「携帯は持ってないみたい。他のは自分で聞いてみてよ」
「そうか、持ってないのか……」
 溜息と共に肩を落とすサトルくん。そんなにがっかりされるとこっちが悪いことをしたような気分になる。
 嘆息に混じり、どうりで、という呟きが耳に入った。
「どうりでって、何が?」
「いやー、俺ってわりと奥手っていうか? 女の子を前にしたらしゃべれなくなっちゃうんだよねえ。メールとか電話なら全然オッケーなのに」
 サトルくんはいつもの調子でへらへらと笑った。なんというか、その格好で奥手と言われてもぜんぜん説得力がないな……。
「意外だね」
『金髪でピアスなんて、ものすごく遊んでいそうなのに』という言葉は飲み込む。
「まあねー。俺くらいになるともう、すごいよ? メールのアドレスミスをきっかけに女の子と知り合って、その子と一夏過ごせちゃうくらい」
「そういう映画この前テレビでやってたなかった?」
「いやまじ、あれ俺の実話のトーサクギワクあるからね」


 たわいもないやり取りのうち、ぼくらは昇降口に着いていた。靴を履き替えようとして何気なく柱時計を振り見れば、もう五時半を回っていた。思っていたよりキッタさんと話し込んでしまったらしい。九月でまだ明るいとはいえ、少し日の入りまでの時間は短くなっている。外が完全に暗くなる前に帰ろう。……帰りに高井堂で買い食いするのはあきらめなきゃな。
 ――で、サトルくんはというと、彼はまだ楽しそうにしゃべり続けている。
「俺もこの夏でちょーっと大人びたかもな。Tくんに俺と見破られない程度には」
 そう笑いながら言って肩上まで伸びた金髪をくるくると指で巻いた。彼は妙に自信のある口調でぼくに聞いてくる。

「どこが変わったかわかる?」
「……髪、染めた?」
 ぼくはなげやりに答える。彼はそれでも満足げに頷いている。
「うんうん。それで?」

「肌もだいぶ焼いたよね」
「海でさ。部活のテニス合宿。他には?」

「ピアス、開いてたっけ?」
「増やしたんだよ。――で、Tくん。総合して俺のことどう思う?」
「どう思うって――」
 どうして彼はそんなことを聞くのだろう?
 どんな回答を期待しているのか。その真意を測れず、ぼくは見たままを答えた。


――ずいぶん派手に夏休みデビューしたよね」


 サトルくんはにやついた口元を吊り上げ、歯をむき出しにして笑った。
「やっぱり? Tくんでもわかっちゃう?」
 わかるもなにも、とぼくは口ごもる。うろ覚えの記憶の中の彼は、少なくともこんな金髪で色黒のお兄ちゃんじゃなかったはずだ。特徴的な黒縁眼鏡がなければそのまま思い出さなかったかもしれない。……こんなに派手で休み明けの生徒指導にひっかからないのが不思議だ。
「そうだよなあ、Tくんだったらそう言ってくれるって思ってたわ」

 ぼくらは昇降口を抜け、校舎の横の自転車置き場へと向かった。その途中までサトルくんは一人合点したように、ぼくの横で楽しげに携帯電話をいじっていた。

「俺さあ、あのキッタって子、あんまり信じない方がいいと思うんだよね」

 突然の一言に、思わずぼくは彼の顔を振り返った。彼は携帯を操作する手を止めず、こちらも見ずに一人で先を続ける。
「だって、あんたもおかしいと思うだろ? あの人、ホテルに一人暮らししてるみたいじゃん。Tくんが行ったときも家族なんていなかったんだろ。さらによぉ、そのホテルってのがここらじゃ有名なモンスターホテルじゃん? 変だよ変、絶対おかしいね」
 ――キッタさんがホテルに一人暮らし?
「それにTくんの名前をあらかじめ知っていたってのも変じゃね? あの人が来た始業式の日、あんた休んでたじゃん。で、向こうはそっから病欠。いつTくんの顔と名前を知ったんかね、おかしいと思わん?」
 それは、ぼくも変だなとは思った。でもそんなことを誰かに話したっけ? 昼休みにみんなからこぞって尋問されたときにしゃべったんだったか。いや違う、キッタさんも言っていたじゃないか、ぼくは誰にもそのことは話してなんていないはずなんだ――

「いやいやTくん、俺に電話で相談してくれたじゃん!
 木曜にさあ、俺がたまたま電話したとき、見舞った転校生が変だっつってさあ。俺も色々考えたのよ? Tくんがあいつはこの世界の人間じゃないんじゃないかとかなんとか言うからさあ」
 そうだったか?
 ――言われてみれば木曜日、プリントを届けたときに電話がかかってきていたような気がする。
「謎の転校生の謎、俺たちで調べようって話もしたろ?」

 いつの間にかサトルくんの、顔がすぐぼくの目の前にあった。太い黒縁の眼鏡がぼくをじっと見つめている。伊達眼鏡のはずなのに、どういうわけかレンズ越しの彼の目がゆがんで見える。


「なあTくん、俺らって友達じゃんね?」

 
 サトルくんは一年のときからずっと同じクラスだった。黒い縁の眼鏡をかけていて、いつもへらへら笑っている。携帯電話を触っている姿を教室でもよく見る。サボリがちな彼はぼくをはじめとしたクラスの連中と電話でつながっている。
 彼はぼくの友達――だったかもしれない。

 答えを返さずにいるぼくに、サトルくんは愛嬌のある顔をほころばせ、それでもちょっと寂しそうにそっぽを向いた。伸びた金髪がぼくの顔をかすめる。不思議なことに、整髪量の臭いもなにもしなかった。
「まーいいや。Tくんはいつもそんな感じだし」
 再びこちらを向いたサトルくんは、大げさな身振りで両腕を空へ向けて伸ばした。日はとうに沈み、上空は紫とも橙ともつかない色に変わっている。
『逢魔ヶ時』、なぜかその言葉が脳裏をよぎった。
 ぼくは無意識のうちに自転車のハンドルを握り締めていた。自分の自転車のところまで知らない間にたどり着いていたのだ。もう時間も遅い。帰らなくちゃ。――そういえば彼の家はどのあたりだっただろう、と。ぼくの疑問を先取りしたように、彼は白い歯を見せて言った。

「部室に忘れ物しちゃった。俺ちょっと取りに戻るわ。どうせTくんと家反対方向だし。なんかあったらまた電話してよ。それじゃTクンまったねー!」


 ……言いたいことだけ言って去ってしまった。心身ともに置いてけぼりにされた感じだ。自転車を門の方向へ押しながらぼくはぼんやりと考える。彼の行動が気まぐれなのは今に始まったことではない。気まぐれに電話をかけてきて、いつもふらっと姿を現す。気にしても無駄だな。

 ――それで、彼って誰のことだっけ?

 まあ、いいか。明日学校で会えば思い出すだろう。




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