02





「まず金曜日――Tくんが早退して僕の所に来た日だ――この朝の時点で教室の四十席は全て埋まっていた、と君は言った。だけど何故そんなことがありえるんだ? 四十人目の生徒は僕だったんだから、僕が欠席している先週の一週間はずっと、席は一席余っているはずなんだよ」
 ぼくはうなずく。それはたしかにそうだった。あのときキッタさんの姿はなかったのに、机は全て埋まっていた。
「君は『後ろの生徒』から転校生はいないと言われたと証言しているね?」
 これもキッタさんの言う通りだ。だからぼくは、あの朝ひどく取り乱したのだ。ところで「証言」などと言われると、なんとなく裁判で尋問される被告人の気持ちになる。
「そう言われたよ」
「ところで金曜日に席替えはあったのか?」
 脈絡のない質問に困惑しながらも答える。「してない、と思うな」学期の頭に席替えをしてまだ一週間しか経ってない。このクラスの席替えは一ヶ月に一度と決められている。
「だろうね。君の席は真ん中の列の二番目のまま変わっていない。そして今日判明したことが一つあるじゃないか。この僕、転校生キッタカタリの席は?」
「……オレの後ろだった」
「そうだよ。空席となるべきは君の後ろの席だった。これがなにを意味しているのかわかるかい?」

 それが意味するところ?
 言われてぼくは考える。
 欠席者があるにも関わらず全て埋まった机。欠席者は転校生で、その席はぼくの後ろだった。だけど僕は後ろの席の人に『転校生なんていない』と言われた。二学期が始まって二度目の席替えは行われていない。

「……あ」
「そう、あの時君に『転校生はいない』と吹き込んだのは誰だったのか、という問題が残る。
 君の語った怪談話には複数の怪奇現象が起こっているんだよ。一つ目は、昨日見舞った転校生は実在しなかったということ。二つめは三十九人のクラスだと思っていたのが実は四十人だったということ」
「どっちも勘違いだったけどね」
 自虐的な気分になる。ぼくは名簿の『吉田』を『ヨシダ』と読んでしまった。けれど蓋を開けてみれば『吉田』は『キッタ』という四十人めのクラスメイト、転校生だった。クラスの人員をいまだ把握しきれていないぼくだからこそ起こり得た間違いだ。あのときは『吉田さん』がクラスにいたような気がしていたんだけれど……。
「そうだ。君の勘違いだね。でもその勘違いの原因は他にもあった。それが三つめの問題だね」

 三つめ――つまり混乱するぼくに誤った情報を与えた人物の存在だ。ぼくの後ろ、本来はキッタさんの席に座っていた謎の生徒。欠席者のため三十九人いるべきはずの教室に、紛れ込んでいた人間がいた。

「そしてそいつに『転校生はいない。このクラスは四十人だ』……ぼくはたしかにそう言われたんだ」
「一応聞いておくけど、そのとき相手の顔は見ていないんだね?」
「……男子、だったと思うよ。声は」
 すでに記憶が曖昧になってきているところもあるが、それは確かだったと思う。ぼくは普段から女子と話をする機会がそう多くない。あのときの生徒が女子だったなら、もう少し印象に残っていてもいいはずだ。

「ではここで鍵になってくるのが四つめだ」
「四つめ?」
 まだあるのか? そんな思いが顔に出ていたのか、キッタさんがうなずいた。
「今日浮上したんだよ。君に代役を頼んだ『Sくん』とは誰なのか、だ」

 Sくん――『見るからに夏休みデビュー』の『日焼けにピアス』の男子生徒だ。

「僕だってそう思ったよ。けれど少なくとも二年一組四十人の中に該当するようなクラスメイトはいないみたいだね。ピアスは付けていないだけだったとしても、こんな短い間に穴までふさがるとは考えられない。僕はねTくん、君に代役を頼んだSくんと、次の日の朝に君の後ろの席に居た生徒は同一人物ではないかと思うんだよ。前者はいなくてはならない生徒、後者はいてはならない生徒。無関係とは思えないな」

「ちょっと待ってよキッタさん」
「キッタ、さん?」

 ぼくの呼びかけに彼女は一瞬、顔をゆがめた。なんだ? もしかして名前を呼び違えてしまったのか? ぼくが口を開くより先に彼女は面白くなさそうに先を促した。
「ああ、僕のことだね。どうぞ」
「え、キッタさん……でいいんだよね?」
「構わないよ。それよりなにか話があるんじゃないのか?」
 どこか含みのある言い方だ。多少の疑問を感じないでもないが、有無を言わせぬ彼女の物言いに、ぼくは投げかけた話を続けた。


「今の話を聞いていてちょっと思ったんだ。違ったら悪いんだけどキッタさんさ、もしかしてこの話についてもっと詳しく調べようとか考えてない?」
「考えているよ?」
 間髪を入れずに答えが返ってきた。
 ……そういう答えが来るとは思った。
「だって気になるじゃない。僕はこれで好奇心が強いんだ。君はこれで打ち切ってそれで満足なのか?」
「オレだって気にならないわけじゃないよ。でもさ、笑わないでほしいんだけど――
 ぼくはここで一時ためらった。突然こんなことを言って変に思われないだろうかという意識の手前、小声になってしまう。

――幽霊、とかじゃないかなって」
「……どうしてそう思う?」
「いや、だって変じゃない。クラスにそんな変な奴が紛れ込んでるのに誰も気づかないなんてさあ」
 ぼくはともかく、他の人が気づいていないのはおかしい。
 相手の反応がないのでぼくは続ける。
「素人がそういうものに関わるのは危ないよ。オレたちの手には負えないって。もう時間も遅いし家に帰ってさ、後はそういうことを仕事にしている人に任せよう」
 提案して、ぼくはキッタさんの様子をうかがった。彼女は深くうつむいているのでその表情はわからない。しかしその肩が小さく震えている。
 怖がっている?
 ――いや違う、笑って、いるのだ。彼女は肩を震わせて笑い声をこらえている。ぼくは少しむっとして机から立ち上がった。
「ちょっとキッタさん、オレはこれでも冗談で言ってるんじゃなくて――
「……やはり君がなにか知っているのか」
「え?」
「違いない。それともこの町か?」
 と、彼女は僕の目の前に立った。机と机の間のぶつかりそうな距離だ。男子にしては背が低い、ぼくは“キッタくん”に対してそう思っていた。それは間違いだ。キッタさんは女子にしては背が高い。現にキッタさんの頭は、ぼくよりほんの少しだけ下、というところにある。
 その高さ、そしてごく接近した距離に、三日月形にゆがんだ彼女の目がぼくを見ている。舐るようなその視線に押されるように半歩、後ろに下がる。すぐ後ろの机が腿に当たった。図らずも追い詰められるような体勢だ。
「うわっ」
 ぼくは机の上にしりもちをつく。彼女はそんなぼくを覗き込むように顔を近づけた。

「キッタ、さん?」
「君から話を聞いて以来ずっと考えていたんだ」

 静かな声、しかし捲くし立てるように彼女は言った。

「君、あの日金曜日僕に語った話の内容を覚えているかい? 君が初めてホテルを訪ねたくだりだよ。思い出せない? 君は『三十代後半くらいの男』が案内してくれたと言った。しかしそれはありえない。教えてあげるよ。あのホテルにはね、そんな男はいないんだ」
「は?」
 急になにを言って――
「あのホテルにはそんな男はいない、そう言ったんだ。あそこで表だって働いている人間に中年の男はいないよ。いないけれど、妙な話を聞いたことがある。あのホテルでは開業を目前に館内で事故死した従業員がいたらしい。その従業員は他所のホテルから引き抜いたベテランのコンシェルジュで、死の直前まで従業員の教育や顧客取りに大変熱を入れていたのだと。それはそれは不慮の死を悔いただろうね。それ以来、あそこは“出る”らしい」
「ちょっとなにを」
 机に置いた手のひらに嫌な汗を感じる。初めてキッタカタリと対面したときに感じた『得体の知れない』違和感が蘇る。
「それでTくん、君はそのフロント係に案内されて僕の部屋まで来たと言ったね。ああ言ったさ。君は『フロント係と僕とにはさまれて地獄だった』と言ったんだ。けれどおかしいね。どうも君の話は僕の記憶と食い違いがあるようだ。僕の記憶が確かなら君はあのときひとりで僕の部屋まで来ていたぜ。そんな『部屋に入られては』と勧めた男などおらず君は勝手に僕の部屋に上がり込んだじゃないか。ねえ君、君はやはり――


「やめてくれ!」


 堪えきれず、ぼくは叫んでいた。
 言葉を遮られた彼女はそれ以上言葉を継がなかった。相手が無言でがすっと体を引いた気配が伝わった。
 自分でもわかるくらいに呼吸が乱れている。思わず口元を覆ったぼくの手に額から伝った水滴に触れた。気づかぬうちに額は冷たい汗でびっしょり濡れていた。


「……悪い、少し取り乱してしまった」
 彼女は背を向けたまま、落ち着いた声で言った。
「今のはからかっただけなんだ。君の反応がいいからつい口を滑らせてしまった。言っただろう? あの日君が訪ねてきたときのことなんて僕はほとんど覚えていないんだ」
 なんとなくしおらしく言う彼女に、ぼくは追及する気力をなくしていた。
 元々、大声を出すつもりなどなかった。
 彼女が変なことを言い出すから、ぼくはつい、頭に血が上ってしまったのだ。教室に流れる妙な沈黙が嫌で、なにか言おうと思ったがうまく言葉が出てこない。
 そうしているうち、静寂を破ったのは彼女の方だった。


――わかった、君の忠告を聞こう」
 そう言って彼女は振り返った。
「深入りはしないよ。しかし僕個人の好奇心を君に邪魔される覚えはない。だからさ、色々調べはする。それを君が横で見ていて危険だと判断したらそこで止めてくれ」
 顔を上げる。いつの間にか差しこんできた夕日に目を細める。黄昏色の太陽を背景に、キッタカタリの顔は逆光になってよく見えない。彼女の表情すら分からないのに、このとき初めてぼくはキッタカタリを、綺麗な人だ、と思った。

「これならいいかな?」
「それなら……いいけど」
 ぼくは半分無意識でそう返事していた。
「ありがとう。君ならそう言ってくれると思ったよ」
 キッタさんは鞄を手にしてぼくに背を向けた。スカートの裾が翻る。
 しかしなにか違和感がある。今の彼女の台詞はどこかおかしい。
 ええと、さっきなんと言ったんだったか……

 『君が横で見ていて危険だと判断したら』?

 去りゆく後姿を見ながらその意味を考えていると、彼女は扉の前で立ち止まった。扉に手をかけ、そのまま出て行くものかと思ったが、キッタカタリは振り向きざまにぼくに言った。
「それじゃあ今日はひとまず帰ろうか。明日また作戦を練ろう」
 そして今度こそ出て行った。それを追いかけるだけの元気はない。ぼくは机に座ったままで天井をぼんやり眺めた。
 アシタマタ・サクセンヲネロウ……
 これがなにかの呪文だったらどんなに気が楽だっただろう。現実にはこう言うのだ。
「体よく巻き込まれた……」




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