むかしのはなし

あの青い空をかける赤い飛行機なら、何故だかずうっと見ていられるような気がした。あの飛行機にはひとは乗っていない、とあるはずもないことを考えていて、あの飛行機には意思があって、わたしのことをもしかしたら見ているかもしれない、なんてさらにありえないようなことを考えていたこともあった。

そうして今、わたしの目は、その赤い飛行機がおそろしいスピードでこちらへ飛行してくる姿をばっちり捉えていた。脳みそはああわたし死んでしまうのかな、なんてぼんやり考えているものの、声も出ずに、ただプロペラがまわる音が耳に入ってくる。うるさいなあとも思わなくて、むしろ、心地のいい音に聴こえたのを、はっきりと覚えている。からからから、とプロペラの音がとまって、ゆっくり目を開いたときにそこにいたのは、あの飛行機、ではなかった。

「ずっと前からおれのことを見ていたのは、お嬢ちゃんだったか」
「わ、超人さん、だったの」
「そうとも、ロシアの赤い死の飛行機なんて呼ばれている。イリューヒンだ、聞いたことないか?」

みごとに飛行機のかたちをとどめたひと、がわたしの目の前に立っている。赤と白のカラーリングが、目にやさしく思えた。

「うん、初めてきいた」

わたしがぽかん、とうわの空でイリューヒンさんの話を聞いているようで聞いていなかったのはどうやらばれていたらしく、なんだそのまぬけな顔は、と注意されてしまった。けれども、今まで飛行機だと思っていたものが、いきなりひとのかたちに変化したら、だれだって驚いてしまうとおもう。わたしが今まで仰いでいたものは、やっぱりただの飛行機じゃあなくて、超人さんだったのだ。それもその界隈じゃけっこう有名なひとらしくて、知らない、と答えたらめずらしいお嬢ちゃんだ、とわたしを見た。イリューヒンさんの目はバイザーに隠れていて、それが目の役割を果たしているのかもわからないけれど、それに見つめていられるのは、いやじゃなかった。

「てっきりおれのファンかと思っておれもしばらく見ていたが、どうやらお嬢ちゃんはそうでもなさそうだし、特訓にもどるとするかな、じゃあな、お嬢ちゃん」
「あの、」

つい、イリューヒンさんが飛行機のすがたに戻ってしまいそうになった瞬間、イリューヒンさんの手をにぎった。あれわたし、いいたいこと、あったのかな。べつにわたしは超人プロレスファンでもなんでもないのに、もしかしたら、イリューヒンさんをもうちょっと見ていたくなったのかも、しれない。イリューヒンさんの不思議そうな視線から、逃げたいような、逃げたくないような、そんな気分。

「…」
「…お嬢ちゃん、どうした」
「あの、わたし、イリューヒンさんの飛ぶすがた、すきです、またここにきても、おじゃまになりませんか」
「特訓のの邪魔になるようなことさえしなければご自由にどうぞ、だ」
「なまえ」
「?」
「わたしのなまえです、なまえ」
「なまえ、そうか」
「またここにきたとき、イリューヒンさんのこと、超人プロレスのこと、すこしずつ教えてほしいです」

イリューヒンさんが言うにはそのときのわたしの顔があんまりにもまっかで、断るに断れなかった、と言う。断ったら泣いてしまうんじゃなかろうか、というほどだったらしい。ごめんね。

ファンサービスなんてなんの意味もなさないから、あんまり気はすすまなかったらしいけど、お嬢ちゃんみたいなやつにはすこしだけならいいかな、なんて思っちまった、と言っていた。

隣にすわっているイリューヒンさんに、いまは、どうなんです、と聞いたら、なまえと、きっと、おなじだとわたしから恥ずかしそうに視線を逸らしながらちいさく漏らして、わたしもです、わたし、イリューヒンさんの飛ぶすがたも、イリューヒンさんも、ぜんぶぜんぶ、すきです、と手をにぎったら、近くにいた万太郎くんにおアツいねーもう!なんて言われてしまった。まっかになったのはわたしだけじゃなくて、わたしのとなりの赤い飛行機もさらにあかくなっていて、なんだか、くすぐったくてしょうがなかった。

2020.10.01

[ 2/8 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -