ソラウが成人を迎えて少し経ち、ケイネスが時計塔での講義や研究にもすっかり慣れた頃の事である。 他の教授の都合で、本来ケイネスが講義をする予定だった時間に急遽空きが出来る事となった。 時計塔の講師としては珍しい事に、どうやら早めに家に帰れそうだった。
いつもより少し早い時間だったけれど、ソラウの為に取り寄せたスイーツが手に入ったので、ケイネスはすぐにソフィアリの屋敷に向かうことにした。 ちょっとしたサプライズのつもりだった。他人から見たらわからないレベルで小さく弾む足取りで、ケイネスは愛する人の家へ向かう。
それが、間違いだった。
彼女の部屋の扉に触れる直前、聞こえてきた音があった。その部屋から聞こえるにはあまりにも不自然で不釣り合いな耳障りな音。とても小さな音だったのに部屋の前で耳に入ったのは虫の知らせと言う奴か。もしくは、人間、不快な物音程耳についてしまうものなのだろうか。
寝具が軋むような音。 荒い息遣いに、 甲高く上擦るような嬌声。
見てはいけない。聞いてはいけない。警報が脳内に反響し、嫌な予感が体を蝕んでいく。暑くも無いのにどっと汗が吹き出している。
永遠にも感じられた数秒の後、ケイネスは、好奇心とはどこか違う、強迫観念のような物に刈られて──聞かなかった振りをして踵を返せば良かったのに――ドアの隙間から部屋の中を覗き込んでしまった。
ベッドの上に二つの影。 愛する彼女は、知らない男と二人。 誰が見てもその光景は情事に及ぶ男女のもの。
ソラウが、他の男と寝ている。
それを目にして理解してしまえば、我慢など出来るはずが無かった。
「貴様…ッ!」
理性など一瞬で木っ端微塵に吹き飛んだ。 ドアを勢い任せに開け、大股で部屋に入って行く。怒りでぐらぐらと視界が揺らいでいた。血が大量に頭に集まったのだろう、部屋の白い壁と天井が彼女と同じ赤に見えた。毛細血管の一本や二本、切れていてもおかしくない、とまで感じる。 男はその尋常でない様子を見て、最低限の衣服を見に付けて去って行こうとする。
逃がすものか。
死よりも辛い目に合わせてやる。
そう魔術を開放しそうになるその手を諌めたのは、他でもないソラウだった。
「やめて、ケイネス」 「しかし!」 「お父様の言い付けよ」
少しも慌てる様子の無いソラウの声にはっとして、ケイネスは魔術礼装を戻す。その隙に見知らぬ男は逃げてしまった。しかしケイネスの手はいまだ怒りに震えたままだった。
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