幸福のダイニング・テーブル
/火黄でほのぼのお料理話。火黄同棲中。



 小器用に動き回る火神の手腕を黄瀬はカウンター型のキッチンの対面から頬杖をつきながら眺めていた。
 太くて厚い掌に指が、思いの他小回りを利かせて動き回るのを見るのが、黄瀬は好きだった。その気になれば中華料理に添えられるような野菜飾りだって作れるぞ、という火神は、しかし普段は面倒くさがって、野菜だって肉だって大振りに切りがちだ。
 それでもそのゴロゴロした野菜の入ったポトフも、炒め物もデザートも、どれも最高の味で、食材本来の味わいを感じさせてくれる、名シェフの腕前だった。
 火神のことをあまり知らない者は、そんな特技を意外に思うだろう。事実、彼はそれらをひけらかすような性格でもないし、極身内にしかその腕も振る舞われる事はない。とくに、ここまで頻繁に手ずからの料理を振る舞ってやる相手なんて、もしかしたら後にも先にも、この、黄瀬だけかもしれないと、火神はそうひっそりと思っている。

 火神が料理を覚えた理由は、そういう環境にあったから、としか言いようがない。家には家事が出来るような時間的余裕をもった人間が自分以外にいなかったから、自然にそれらは身に付いた。そうしてその腕はこれまで、基本的に自分自身の為に振るわれてきた。
 しかし、黄瀬と暮らし始めての食生活では、黄瀬の壊滅的な食への無関心を正すため――そう"食育"のためにも、火神はこうやって進んで自分ではない人物の為に料理を振る舞っては、相手の好みのリサーチまで買って出てと余念がない。
 黄瀬は、飲み物の類いには酷く敏感な癖して、食べ物になるといっきに鈍感になった。取り敢えずエネルギーがとれてそこそこの栄養があれば満足。一から料理するとカロリーや栄養計算が面倒なので、既成の――パッケージにすでに細かいカロリー表が印字されているようなそんな保存料満点の食材や簡単なエネルギー食に頼り切っていた。
 それを見た火神は、生まれてはじめて、他人の為に作る料理・・というものに、闘志を燃やした。黄瀬の食生活を根本から見直してやると、同棲一週間目にして固く決意したのだ。
 そんなこんなで、火神的にはだいぶ気合いをいれて毎日の食は振る舞われているのであるが、当の黄瀬がそれを知る由は全くない。黄瀬はきっと、火神をただの料理好きだと思っている。残念な事に黄瀬は火神を、料理好きによくあるような、人に振る舞うのも好きな料理に関しては少々おせっかいなタチ、と見ていた。火神の苦労が報われる日は、まだまだ遠い。
 黄瀬の認識は完全に間違っている。今だって火神は別に自身の料理を進んで他人に披露しようとは思わない。黄瀬が例外だったのだ。黄瀬だけが、例外だったのだ。


 鯛のマリネは、ニンジン等数種の野菜と林檎をミキサーした火神特製ドレッシングに浸して、サニーレタスと、髪の毛のように細く切ったニンジンに冷蔵庫の隅に居残っていた蕪のスライスを添えれば完成。ニンジンのオレンジ色が美しく出たドレッシングは火神が試行錯誤のうえ――失敗作から偶然、とも言う――から見つけた、特別仕様。
 スープも赤みと白みの融合が美しいジャガイモとトマトのポタージュ。白いジャガイモポタージュの上にトマトの朱色ポタージュを適度に注いで、二色のコントラストを魅せる。
 パプリカやズッキーニ、カボチャにエリンギ、グリーンアスパラ、ヤングコーン、獅子唐にオクラやら茄子やらプチトマトやらと、黄瀬が求めるままに買い漁った野菜類は、先程からカウンターの向こうで目を輝かせ火神の調理を見守っていた黄瀬を呼び寄せて、網の上でコロコロといい焼き色を付けながら焼き野菜に仕上げるのを任命。
 その間に火神はとっておきの霜降り牛モモにてローストビーフの下ごしらえに入る。
 漬け込みはせず塩を振り掛けるだけにして、フライパンで四面を焼いていく。少々のブラックペッパーを加え香り高く焼き色を付けたなら、アルミホイルに包んであら熱を取るため放置。冷ましすぎず、温めの頃に柔らかく仕上がった肉を厚く大胆に切って皿に盛りつける。
 切れ端を黄瀬と分け合ってその味に満足。頬をおさえながら、んーっと万遍の笑みでOKマークを掲げる黄瀬が可愛い。
 最後にソースを控えめに振り掛ける。ソースには、林檎の残りを回して赤ワインと煮詰め、酸味の出るように仕上げたら、あまりかけすぎないように肉に垂らす。いい肉を使っているから、ソースは少量で充分。
 デザートには季節のイチジクを用意して、生クリームと砂糖を確り泡立てると、そこにイチジクとマスカルポーネ・クリームチーズをミキサーにかけたものを加え簡単に混ぜ合わせる。あとは椀に敷いたコーヒーを浸したスポンジの上にそれを流し込んで冷蔵庫に突っ込んでおくだけ。
 食べる前にイチジクの切り身を飾って、エスプレッソやミルクをかけるのはお好みで。これはアメリカ時代のお隣さん、アンジェリカ・フーパー夫人直伝のレシピである。夫ドミニクと喧嘩した昼下がりに食す秋のフーパー家定番メニュー。アンジェリカ夫人はよく家出と称して、たった数m隣の火神家へと転がり込んで来ては騒動を巻き込こした。これはその時に無理矢理付き合わされて覚えたレシピだ。
 クリームを人差し指で掬い黄瀬に与えると、ウマ!という頷きが返って来てひと安心。いつか、フーパー夫妻とまた食事を共にしたいものである。その時は必ず、黄瀬を連れて。

 ――さて、一通りの料理が出揃って、それのセッティングの為にキッチンとリビングをせっせと行き来する黄瀬の後ろ姿を眺めながら、火神は一息つくと小さく伸びをした。
 注がれるのは黄瀬の好きなミネラルウォーターだけれど、恰好だけはつける為にワイングラスを取り出し、ナイフ・フォークを並べる黄瀬の元に駆けつけたら、さらさらと繊細に流れる髪と襟元広めのUネックシャツの間に晒された白い肌にキスを贈り、鼻をこすりつける。
 今日は特別な日でもなんでもない。ただ、気紛れにこういった雰囲気を味わいたくなった。昼下がり、ソファにふたりして何をするでもなく収まっていたとき、ふいに火神が、買い物にでも行くか、と言ったのだ。それにはしゃいで黄瀬が同意すると、すぐさま火神の運転で数分先の品揃え豊富なスーパーへと走った。
 いつもよりちょっといい食材を揃えて、ついでにデザート用のグラスもいい感じの物を買った。
 ・・時が経つにつれ、ふたりの住居には物が増えていく。
 もとは火神の家であった一室に、しだいしだいに黄瀬の色や匂いが混じり合っていくのだ。食器はペアのものが大抵となり、ベッドはサイズアップし洗面所の棚は大小のボトルで溢れるようになった。
 火神は時折、満たされ増えていく物たちと共に、ある種の”空気”も、より濃密を増していくのを、感じ取る。
 それはこうして4脚あるダイニングデーブルで各々の定位置に収まって、静かにワイングラスを鳴らし合うような、そんな空間で。
 食は消費され、消化されては形を残さず去るものだ。そして時は過ぎ行き、後戻りを許さずに去っていくものだ。しかしそれをふたり寄り添って共に過ごす事が出来たなら、火神は、それら空間は貴重な財産として、たしかに此処に――ふたりのナカに、積み重なっていくのだとそう感じている。
 もぐもぐと左の頬を膨らませて、気を抜いたリスのように食べる黄瀬。
 自分で焼いた焼き野菜のヤングコーンをしゃくしゃくと満足そうに先の方から口に含んでいくのが、どうにも愛らしくって、火神の胸の内はきゅっと締め付けられる。
 ”与えてやりたい”、惜しまずに与えてやりたい、そう思える相手に出会い、その通り愛情を伝えられる環境にある事が、こんなにも温かでむず痒くも幸福な事とは、本当の意味ではこれまで知らなかった。
 与えることが、同時に受け取ることでもある事を、火神は黄瀬に出会ってはじめて知った。
 黄瀬が、拒まずすべてを受け取ってくれる。ただそれだけの事が、火神にこんなにも幸せを齎すのだ。

「おいしいーっす!」

 鯛のマリネの特製オレンジソースを口にして、微笑んで黄瀬が言った。
 笑みに下がった目尻の先で、長い睫毛がくりんと光を反射し踊っている。
 そんな光景を目の前にしながら咀嚼した今日のちょっと豪華な手料理は、最高のスパイスを加えられ、これまでのどんなものよりも幸福で美味しかった。
 しかし火神は知っているのだ。今日のディナーよりも明日の、明日よりも明後日の、明後日よりもその先の、黄瀬と囲む食卓の方がずっともっと、幸せなのだと。
 日々、幸福は積み重なっていくのだと。



 黄瀬は見た目からは予想外にも小器用に動き回る火神の手腕を見るのがとても好きだった。包丁を華麗に扱う手、大きなフライパンを軽々舞わせる腕。
 そして黄瀬は知っている。一口、一口と、黄瀬が火神の料理を口に運ぶたび、火神は本当に柔らかく目尻を溶けさせて、少しだけ震えるように、幸福のまばたきをすること。





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