スタンド・アップ2


 黄瀬がシークレットゲストを勤めた東京ガールズコレクションの映像は、翌日には多くのワイドショーを駆け巡り、"黄瀬涼太、日本での活動本格再開か!?"などとプチ特集を組む番組もあった。
 日本での仕事も予定が合う限りは受けるが、それでも拠点は暫くはパリに置いたままだと、黄瀬はそんなテレビ番組を見ながら青峰の横で言った。
 リビングのソファにて遅い朝食を共にする、ここは青峰の実家だった。懐かしい面々との飲み会の日から、数日が経っていた。

 あの後、しっちゃかめっちゃかの1次会から場所を移した面々が選んだ2次会場は、近くのストバスコートだった。
 カラオケにでも行くかと相談していた最中に、その公園の横を通ったのだ。誰ともなく目線を合わせあって、そして結局はみんなでひとつのボールを追いかけ合った。
 コートの隅に忘れものとして転がっていたボールを取り上げると、まず青峰がいの一番に豪快なダンクを決める。
 それに負けじと火神もゴールリングを揺らし・・・・そして次の瞬間口元を押さえて公園のトイレへと直行した。15分ほど帰って来なかった火神は、再び現れた時にはえらくすっきりとした顔で爽やかに笑うと、青峰に1on1を申し込んだ。
 それからは、もうまるで子供のようなボールの取り合いだ。
 現役プロ選手が3人もいる攻防にしては、えらく幼稚なやり取りであったと素面になって思い返す。
 しかし、その時はみんながみんな本気で、そして最高に楽しんでいた。
 緑間などは最初、「明日も仕事なのだから軽くしかしないのだよ」と言っていた癖に、最後は結局お決まりの負けず嫌いが顔を出して黒子とタッグを組みゴールを量産していた。
 火神と紫原は数時間前の言い争いの様子など微塵も感じさせぬ程に結託しては、完璧に青峰を潰しに掛かっていたし、その青峰は青峰でウェイトが随分下がってしまった黄瀬に筋力差を見せ付けいじめまくっていた。
 桃井は、そんな男どもの様子をかつてのようにじっと見守り、変わらぬ眼差しで個々の体調や調子を見抜いていた。そして、目に焼き付けていた。

「ふふっ、たのしいなあ」





  ほらね、やっぱりね





 東京コレクションは、ひとつの会場にて全行程を行なうのではなく、いくつかの会場をつかって開催される。
 東京中心部の、渋谷や原宿・六本木・銀座などのファッションスポットがその会場の対象だ。
 日本やアジア圏の若いデザイナーも多く招かれ、近年では参加ブランドの数も増加し盛り上がりを見せている。
 黄瀬はここでも、複数のブランドでモデルを勤める予定であった。そのなかには、黄瀬の予定が合う限りショーの度に黄瀬を採用してくれているブランドもあり、モデル冥利につきると、黄瀬はそう語った。
 連日、"いってきます"と微笑んで出て行く黄瀬を、青峰はなんとも言い難い気持ちで見送る。青峰の実家や、黄瀬の滞在するホテルなんかを行き来しながらもふたりは日本に居るうちの毎夜は必ず同じ布団の中に入ることに決めていた。
 そうして毎晩おやすみなさいのキスをしてふたりは就寝し、先に起床した黄瀬に朝ご飯だよといって青峰は起こされる。共にご飯を食べ、黄瀬の出掛け準備を眺め、いってきますのキス。
 日本でのふたり揃っての滞在は3週間にも満たない。しかし、それでもこう連日、まるで新婚夫婦のようなやり取りをやっていると、その心地よさの味をしめてしまって、どうにもくすぐったい気持ちになる。というか、再びアメリカとフランスに別れてしまってからの生活が心配だった。
 これまでのように、長い間会わぬままという状態が続くのを、耐えられなくなりそうだったから。
 ――ともあれ、なんだかんだと穏やかに久しぶりの日本(そして再会)を堪能していたふたりは本日、揃ってオフ日である。
 黄瀬は言わずもがなだが、青峰の方も雑誌やテレビ取材などを数本受けており、一日まるまる一緒に過ごせる日というのは、実はあまり多くは確保出来ていなかった。今日はそのうちの大切な一日であり、夕方から食事に出る以外は、共働きであるゆえ人の出払った青峰の実家にて今こうしてベタベタと引っ付いて静かな午後を過ごしていた。
 青峰家は代々長身の家系で、さすがに家族の中で一番大きいのは長男の大輝ではあったが、父親は186、母親は169、次男は184と、日本人平均を大きく越えた一家だった。父方の祖父なども、齢80にして未だ腰曲がらずの179だ。昔の日本では、それはそれは目立ったであろう。
 そういった事から、青峰家の家具はどれもこれもビック仕様であり、それは当然リビングにデンと鎮座するソファも一緒であった。
 190越えがふたりいようが、まったく窮屈なことなどないはず。しかし、このふたりは肩も肘も膝も常に触れ合わせている。黄瀬はほぼ無意識であり、青峰は半分意図的だ。この光景を黒子でもが見れは、きっと"あの目"をしたに違いない。

「青峰っち、お昼なにがいっスかあー?」
「んぁー?冷蔵庫なんあったっけ・・・」

 青峰家の冷蔵庫は巨大だ。巨躯の男3人を抱えた青峰母の苦労は計り知れない。その中身を思い起こす。
「ん〜たしかぁ、豚あったスね。野菜も一通り・・アジとか海老も冷凍であったはずっスよ。」
「お〜・・・」
 青峰家の冷蔵庫事情を一応客人である黄瀬の方が詳しいことに、ふたりはもはや疑問を抱かない。
 中学の頃より頻繁に青峰家に出入りしていた黄瀬の存在は、すでに桃井の次にこの家に馴染んでしまっている。黄瀬の料理レパートリーのなかには、青峰母直伝の野菜炒めすらあるのだ。黄瀬のつくる野菜炒めは、いつの間にやら青峰家の味に染まっていた。

「じゃあ、野菜炒めでも作ろっかあ。お肉もいる?」
「いる。」
「ん、じゃあ生姜焼きかなんかにすんね。よっ」

 黄瀬がソファから立ち上がり、キッチンへと向かう。青峰は、その背を眺める。
 黄瀬が羽織っているパーカーは青峰のものだ。オーバーサイズ気味で、晒された首元が白い。七分丈のズボンの脹ら脛を、足の爪先で掻きながらキャベツを刻む。踵が薄桃色だ。甲には幾つか、肉刺の痕のようなものがあった。きっと、仕事で無理なサイズや造形の靴を履かなければならない事もあるのだろう。染めムラやらプリンになった様子が欠片もない金髪は、リビングの大きく取られた窓からの陽光に照らされている。当たり前だ、あれは地毛だから。
 不思議な容姿をしている。日本人の中に並べたら黄瀬はどことなく浮世離れする。しかし、だからと外国人――例えばアメリカ人、に囲まれたからと馴染む訳でもない。日本人からは純日本人に見られず、アメリカ人にも純アメリカ人には見られない。ハーフ・・といっても、人種が混濁した土地柄故、それらを見抜く事を得意とするアメリカ市民でさえ黄瀬の血統をすぐには言い当てられないだろう。それは彼ら欧米人がアジア人を見分けるのが不得手であることだけでなく、黄瀬には、どこか、どの種にも寄らないようなところがあったから。
 聞く限りでは、黄瀬の直近の家系図に外国人の名前は無いらしい。先祖返りか、もしかしてちゃんと調べればきちんと症状名のある色素の問題なのかもしれないっスね、と黄瀬はいつだか言った。
 そういった特異な容姿が、黄瀬のモデルとしての強みにも、もしかすればなっているのかもしれない。青峰は、無い頭でそんな事をふいに考えた。

 昼下がり、日本のワイドショーを見ながらの静かな昼食会。そのまま夕方までぐだぐだと過ごした後、ふたりは徐に外出の準備を始めた。
 服はローテで3パターンくらいしか持って来ていないので、どうしても毎日同じような恰好になってしまうと青峰がぼやけば、そこはさすがの黄瀬が組み合わせを変えたり青峰父のジーンズを引っ張り出してきてみたりと、今日も一応プロバスケットプレイヤーらしい身形に整えてくれる。
 以前から、この日は外でと決めていた夕食は、そこそこいい店をすでに予約しておさえてある。ふたりとも、カジュアルではあるが最後にジャケットを羽織り最低限にフォーマルに決めた。
 店につき、事前に配慮を願っていた通りに奥の席へと通される。4人掛けの机に、ふたりは横に並んで席に着いた。カトラリーは机に3セット並べられていた。

「少し、迷っちゃってるみたいっス。迎え行ってくんね。」
「おう。」
 入店して5分ほどしたところで、黄瀬が携帯を弄りながら席を立った。
 気取りすぎない店内は、品の良さを漂わせながらも過度な堅苦しさは与えない。青峰はジャケットを脱ぐと、七分袖のVネックインナーを晒した。
 そして店のスタッフがちょうど青峰のジャケットを預かっていったあたりで、再び黄瀬が店内に戻ってくる。分かり易いまでではないが、それでも店内の空気がほんの少し変わるのが分かった。とても、目を惹く。それは黄瀬と黄瀬が連れ立ったもう一方の人物も同じだった。

「青峰っち、お待たせ。」
「ああ」
「Hi.How are you?」
「Hi.I'm Daiki.」
「yeah,I know. "AOMINECHI".」
「黄瀬・・」
「えへへ、アルノには色々、筒抜けっスよぉ」

 自己紹介をし合って、3人は席についた。アルノは自らを名乗ると、まず「I'm glad to meet you.」――会えて嬉しい、とほんとうに嬉しそうに破顔して言った。
 黄瀬から事前に聞いていた通りに、英語が堪能なようであった。スウェーデン生まれのフランス育ち、ただ父方にはイギリス系の血も入るらしく、そのブリティッシュイングリッシュに淀みは無い。
 勉強途中という黄瀬の英語も、イギリス訛りのものであったからこの彼に教わっているのかもしれなかった。

「急な誘いで大丈夫だったかい?リョータに君のことを聞いててね、折角日本に居るなら会ってみたいって、お願いしたんだよ。」
「いや、いいんだ。俺も、会ってみたかったからな。」
「はは、リョータには僕の事をなんて聞いてるのかな。こっちはイロイロ、聞いてるぜ?」
「黄瀬・・、」
「こいつ、君のことを話し出したら、もうまさにマシンガンさ。大変なんだぜ?いつまでも弾倉が底付きやがらねえ。」
「ったく、なにホラ吹いてるか知らねぇが、こいつの言う事は話半分で聞いてくれ。」

 ブルネットに近いダークブラウンの柔らかそうにうねる髪に、繊細な顔造り、ビシッと決まったカジュアルスーツスタイルにスマートな佇まいながら、イギリスの下町言葉とも言えるコックニー方言が混ざることもあり、アルノはとても親しみ易い印象を与え、すぐに青峰ともくだけた口調で話し出した。
 それを、傍らでドキドキと見守っていた黄瀬も感じ取ると、英語上級者のふたりに遅れをとらぬように必死のヒアリングを敢行する。
「アメリカでバスケやってるんだったね。LAだっけ?」
「ああ、まだ下部リーグ所属だけどな。あんたは、こいつの同僚だったな。」
「そ、パリ事務所の先輩な。」
 アルノは黄瀬等の3つほど歳上である。黄瀬がフランスのモデル事務所にスカウトされたとき、彼はすでに同年代では稼ぎ頭の売れっ子モデルであった。
 混血であるほど美形になりやすい、などという都市伝説のような話もあるが、アルノはその典型である。ヨーロッパ地方全域に広がった家系の凝縮として産まれたアルノは、まさに先祖たちのいいとこ取りをしまくったような美形だった。
 モデルにとって最も重要な要素は顔ではなくスタイルであるが、当然そこのところもアルノは十二分にクリア済みである。黄瀬は、アルノを初めて見た時に これぞモデルか!との天啓を得たらしい。相変わらず大袈裟なやつだ。
「いやあ、あの頃のリョータはほんと言葉ダメだったからなぁ。どうにか褒めてくれようとしてんだろうが、取り敢えずワタワタするだけで、なーんも伝わらなかったわ。」
「迷惑をかけるな・・・やっぱりアルノがフランスの飼い主だったか。」
「ん?悪い聞こえなかった」
「いや、いいんだ。」
「ちょっ!青峰っち俺は聞こえたからねー!どういう意味よ!」
「そのままの意味だよ、阿呆。」
 創作イタリアンの味に舌鼓を打ちつつ、他愛ない話をかわす。
 明日は黄瀬もアルノもモデルの仕事があるからか、食前酒以外には酒に手を出さなかった。夜も、余り遅くならずに解散するつもりである。良い睡眠と適度な食事とその継続がモデルの義務っス!とは黄瀬の言で、黄瀬はそれをほんとうに若い頃から続けている。アルノも、学生の時からこの仕事を始めているらしい。

「アルノはフットボール派だもんねぇ、でも時々ストバス付き合ってくれる!」
「下手で悪ぃけどなー。お前等のレベルにはついて行けんわ。」
「いやいや、全然上手いよ!でもまあ、シャルルなんかは一応プロだからねぇ」
「誰だ?シャルル」
「あっ言ってなかったかな?俺のご近所さんだよ〜フランスバスケリーグの2部チームの選手で、たまたまストバス場で会って仲良くなったんだー」
「ふぅん・・フランスってことはLNBか。」
「そ!他にも何人か、バスケ関係のお友達も出来たんだよ。」

 話は、フランスでの黄瀬の生活ぶりやまたお互いの仕事のことなど多岐に渡って、出された料理の感想なども気軽に語り合った。
 時には、アルノが青峰に黄瀬の告げ口を行なって、面白がってからかうようなこともあった。
「僕とリョータでスポーツブランドのモデルをしたことがあってさ。そん時に、ドニとかルイ・マルソンとかとも知り合って」
「ああ・・フランスの代表選手だったか?」
「うん。ときどきご飯誘ってくれる〜」
「はは、ドニの奴はリョータの顔が大好きだからな。ダイキからも気をつけるよう言ってやってくれよ」
「ああ?聞いてねぇぞ黄瀬コラァ」
「ひぃ!ちょ、アルノ余計なこと言わないで!」
 アルノの気さくさもあり、青峰の遠慮のなさもあり、そしてその間を取り持つのが人間関係を紡ぐのが抜群に上手い黄瀬とくれば、3人はしばしもせずにすでに旧知の仲のようなノリで食事を楽しむ事が出来た。
 メインも食し、あとはデザートというところで、黄瀬が手洗いに立つ。携帯を弄りながらだったので、仕事かなにかの連絡をつけるついでなのかもしれない。
 一時帰って来ないか、と思い、たしかデザートはアイスを使ったものだった、とそれの配膳は少し遅らせてもらうようウェイターに声をかけた。

「どした?」
「あ?ああ、あいつ一時帰ってこねぇだろうから、デザート少し遅らせてもらった。悪ぃな。」
「そっか。帰って来てアイスが溶けてたら、あいつきっと耳垂らすもんなぁ」
「ははっ」

 黄瀬の犬属性は、やはり万国共通の認識らしい、と青峰は笑う。はやり、このアルノという男はフランスでの黄瀬の"飼い主"で間違いないのであろう。
 面白くない感情がないわけではないが、青峰もいい加減大人なので無駄な嫉妬などはしない。第一、黄瀬の飼い主達にいちいち嫉妬していては、身が持たない。そのくらいには、黄瀬は至るところに飼い主をつくっていた。

「・・・やさしいのな。」
「あ?」

 やはり仕事の連絡であったのか、店内のガラス越しに外に出た黄瀬の姿が見えた。片足に重心を置いた立ち姿は、無駄に様になっている。
 と、外を眺めていると唐突にアルノが低めた声で呟いて、青峰は彼の方へと向き直る。
 4人掛けの机に3人で座っている事から、青峰の正面は無人であった。斜め前に、アルノが腰掛けている。

「話、聞いてたんだ。ちょうどダイキが、パリにやって来たあとくらいから。」
「・・・・」

 それは、一年半ほど前の、あの路地での事であろう。ただがむしゃらに抱き締め合っていたあの路地で、ちょうどタイミング悪く建物から出てきた男。それがこのアルノであった。

「あいつ人懐っこいし、まあこんな職業だしさ、男にも女にもモテんのに、浮いた話がずーっといっこもなくて。まあ、おかしいとは思ってたんだけど。」
「・・・・、」
「はは、怒んなよ。しかたねえだろ?あいつ可愛いもん」

 そりゃモテるよ、とアルノは目尻を下げたやさしい顔で言う。グレイがかった、ブルー系の瞳だった。
 そういうこの男だってすさまじくモテるのであろう。青峰はあまり人のことをそのように評価しないが、それでも思った。こいつは、アルノは、きっとすごく良い男なんだろうと。

「ダイキのことを聞いた時、最初は、あんな場面見られたから僕に話したのかなーとか思ってたんだけどさ、違うのな。あいつ、人と距離詰めんのもの凄く上手いくせに、なかなか最後の一線だけは越えさせてくれない。
 だから、お前の事を聞いた時、僕は、ああやっとこいつに心底から信頼されたんだな、って。」

 6年目にしてようやくな、と大袈裟に溜め息を吐いてちゃかす。

「・・・そんだけさ、お前の事、あいつ真剣なんだよな。最後の最後の一線の向こうに置いて守るくらいには、さ。」
「・・・・、」
「お前も、なんだろ?」
「ああ。」
「うん。ほんと。今日、お前に会えて嬉しい。」

 会えて嬉しい、その言葉をアルノが発したのは今日で2度目であったが、2度目のこのときの言葉のほうがずいぶん柔らかく、あたたかいものだと青峰は感じた。
 先程アルノのことを黄瀬のフランスの飼い主と言ったが、その飼い主にどうやら青峰は認められたらしかった。認めたも何も、アルノよりも青峰のほうが黄瀬との付き合いは倍ほども長いのであるが、青峰は黄瀬のことに関して言えば、そういったことは無視して、黄瀬の大切なやつには出来るだけ全員この関係のことを認めてほしいと思っている。
 普段我が儘で傲慢で、どこまでもマイペースな青峰の言葉とは思えないかもしれないが、それでもこれは青峰の偽わりない本心だった。――だって、そのほうが、黄瀬はきっと幸せに笑うではないか。

「18んとき、」
「?」
「空港で、俺はLA行きであいつはパリ行きで、ターミナルロビーで別れた時、」

 ――――覚えている。あいつが北ウイングで、俺が南ウイングだった。ロビーを境にして、まるで正反対に向かった。義務感にも似た気持ちで、振り返らなかった。やっと視界を広げたのは俺も飛行機に乗ってからで、あいつの乗ったボーイング777を機内の小せぇ窓から見送った。あの時、エコノミークラスの窮屈な座席のなかで、俺は無性に苦しくなった。あいつに次会えるのはいつか。もしかしたら、気の遠くなるほど先か・・それとももう一生。

「俺もあいつも、言わないでも分かってた。お互い、ひとり世界に立つくらいには強くなってから、そうしてようやくもう一回会おうって。戦う世界は違うけど、それぞれ確かな自信を打ち立てられるようになってから、そうしてからやっと、あいつに会いに行けんだと。」
「そっか。」
「ああ。もしかしてこれは俺が勝手に思ってることなんじゃねえかって、まあ6年もあれば何回かは思ったけどよ、でも、うん。・・・会えたし。また、会えたし。」
「うん。」
「だからいいんだ。これで、よかった。」

 アルノは黄瀬の7年半を間近で見てきた。はじめて青峰のことを聞いた時、きっとそれまでの黄瀬の姿を思い出して合点がいっただろう。黄瀬が、ここまでひとり頑張り続ける理由の一端はなにか。母国に一度も帰らぬまま、そして日本の友人達との連絡も最小限にして。
 すべてに合点がいったとき、アルノは黄瀬を見守ってきた者として、たとえそれが差し出がましい事であろうと"見極めなければ"と思った。アオミネを。アオミネダイキを。
 そして今日、それは果たされた。ほんとうに、余計なおせっかいだったなあ、とアルノは嬉しく笑う。ダイキは、良い男だ。

「あいつ、お前を待ってたよ。」
「・・ああ。」
「そんで、お前に会いに行く覚悟もしてた。」
「・・ああ、そうだな。」

 青峰は力強く頷き、アルノは頬杖をついて微笑む。ふたりして窓の外を眺めた。
 黄瀬が、身振り手振りをしながら何事かしゃべっている。
 アルノは、明日の仕事が一緒なためにその手振りがなにを表しているのかなんとなく分かった。

「明日の仕事さ、面白くって、なんか・・すっげぇ大きいオブジェみたいなの被んだよ」
「オブジェ?」
「ああ。ブランドと現代美術のアーティストのコラボでさ、現代の膨張していく情報社会への危惧、ってのが裏テーマで、帽子から靴まで、シルエットの曖昧になったデザインなんだよ。」
「???」
「っはは、分かんないよな〜。今度リョータに画像見せてもらいな。」

 なんか変な仕事してんだな、と青峰がしみじみと呟くと、頬杖をついたままに振り向いたアルノは、また目を細めて黄瀬の方を見遣った。

「リョータの容姿はさ、ちょっと特殊なんだ。」
「特殊?」
「ああ。あいつ、日本人の癖に妙に色素薄かったり、顔の造りもちょっとアジアらしくないところがあるだろ?」
「・・ああ、」
「でも、僕ら欧米圏からすれば、確かにオリエンタルな雰囲気も感じるんだ。でも、いくら欧米人がアジア人の見分けが下手だからって、リョータが典型的なアジア人のイメージで無い事くらいはひと目で分かる。・・言ってしまえば、中途半端なんだ。」

 そう語るアルノの瞳には彼のプロフェッショナルな部分の片鱗が垣間見えていた。

「この業界で、やっぱりアジア人っていうのは少しのハンデなんだ。ブランド側は、ひとつのコレクションで使うアジア人は何人までと大抵決めてる。モデルが総勢10名なら、そのうちにひとりか・・ふたり居れば多いくらい。しかも、アジア人を使うとなればやっぱりアジアテイストを前面に押し出したような、分かり易くエキゾチックでオリエンタルな容姿の者が好まれる。そういった意味で、リョータはすごくどっち付かずな存在なんだ。」

 "中途半端"、"どっち付かず"・・あまりプラスの意味には受け取り憎い言葉であったが、辛辣な言葉を臆面無く口にするところにアルノが黄瀬の同業者で同じ世界に立つ者であるという匙みたいなものを感じる。
 青峰にはすべてを理解できる話ではない。それでも、これは聞かなければならない話なのだろうと思った。

「そりゃ、あいつの容姿はピカイチだ。スタイルも良いし、身長も申し分ない。"中途半端"とかそんなことも言ったが、単純に顔の整い方で言えば業界人でも目を見張るクラスだよ、あいつ。でもその事も、必ずしも有利に働く訳ではない。」
「?」
「うん、そうだよな、整ってれば整ってるほうがいいって普通は思う。
 でもな、整いすぎて、まるで人形そのままみたいな容姿は反対にインパクトに欠けることもあるんだ。ほら、俳優とか女優とかだって、どっか独特なつくりの美人の方が人気があるだろ?"正統派"すぎるものは、今一歩伸び悩むんだ。
 ――――難しい話になってきたな、すまん。まあ、兎に角モデルの世界も色々ある訳だよ!」

 最後は、そういってふっと力を抜いて真面目な顔から一転朗らかな笑顔で締めた。
 アルノの言いたい事を、どうにか無い頭で考えて・・青峰は今の内容をゆっくり咀嚼する。

「・・・つまり、あいつはモデルに向いてねぇって?」
「!ちがうちがう!あいつほどモデルに向いたのはいねぇよ!」
「あ?じゃあなんなんだよ?」
「ふふ。つまりさ、あいつはそういった多くのハンデをブチ返して今の地位を手に入れてるって話だ。最初の・・3年位かな、あいつ実は結構なジリ貧生活だったんだぜ?僕もよく飯をたかられたねぇ。」
「・・そうなのか。」
「うん。でもあいつはめげなかった。中途半端だとか正統派すぎるとか、そんなものを覆すくらいに圧倒的な存在感を放って、デザイナーや、フォトグラファーや、エディターを納得させた。あいつが言われてた悪口しってる?」
「いいや、」
「 "マネキン" これはね、モデルにとって一番の屈辱だ。だって幾ら綺麗なマネキンだって、それは物だからね。物に出来ないことをやってこそのモデルなのに。でもあいつは端正すぎて、欠損があるからこその"人間"をその容姿では表せなかったんだ。」
「・・・」
「だからあいつは、感情を剥き出すことにした。感性を曝け出すことにしたんだ。人が何より人たるそういった内面を前面にする事で、あいつは物にはない情調と他に無い風格を手に入れた。誰にでも、出来る事ではないよ。」

 ――すまん、語りすぎた。
 アルノはもう一度そう謝って、今度は苦笑いした。
 きっと彼は知っていてほしかったのだろう。青峰と離れていた間の黄瀬を。
 なんとも言えない沈黙をふたり共有していると、電話と手洗いを終えた黄瀬が帰ってくる。
「ごめーん。電話長引いちゃった。」
「エージェント?」
「んーん。明日のさ、オブジェあるでしょ?あれ俺の頭のサイズじゃちょっと大きすぎるとかでさー、明日、早めに行ってサイズ詰めて貰う事になった」
「なるほど〜。さすが、小顔リョータ!」
「エッヘン!ん?青峰っちどしたー?」
「なんでもねえよ。」
 黄瀬が戻ったのを確認して、ウェイターがデザートを運んで来る。クリームの変わりにアイスを使った、ズコットだった。

「ふわー!うま!なにこれうま!」
「うるっせえなてめぇ」
「あおみねっち!だっておいしいこれ!なにこれうま!」
「それはズコットだよ。イタリアのお菓子。」

 黄瀬が戻って来たことによって空気が一気に弛緩して、また会話は他愛なく気軽いものへと転じた。
 デザートの皿が下げられたあともしばし、食後のコーヒーをちびりとちびりと啜って、時間を惜しむくらいには楽しい時間を過ごした。
 会計は、手洗いに出た際に黄瀬が先払いしておくという、妙に気障な真似をしてそしてこの会はお開きとなった。
 最寄りの駅へと3人並んで向かう。揃いも揃っての長身はとても目立ったが、それでも仕事帰りのサラリーマンの溢れる駅構内では、誰もが同じであった。そこに優劣はなく、誰もが同様に人波に揉まれる。

「Au revoir, Ryota.」
「À demain!」
「Thanks for today.Good bye Daiki.」
「Bye,Arnaud.」

 タクシーでも拾えばいいものを、なぜだか日本の電車が気に入ったらしいアルノをホームへ見送り、青峰と黄瀬も久々の日本の電車に乗り込んだ。高校以来かと、どこか懐かしい思いでガタンゴトン、揺られる。
 青峰の実家の最寄り駅で下車し、家までは徒歩。ふたりで帰路を行く。
 そう遠くはない徒歩圏に黄瀬の実家もある。ただ、黄瀬の家は片親でしかも仕事で家を空ける事が多かったから、きっと今も無人であろう。折角日本に帰って来ているのだから、どうせだったら人の居る家に帰りたいと黄瀬はこの数週間の日本滞在期間の大半を青峰家で過ごしている。
 事務所がおさえてくれていたアルノと同じホテルには、そこそこにしか帰っていない。

 唐突に、青峰は思い出していた。
 ここは、あの7年半前のあの帰路であると。帰路――そして岐路であった道だと。
 高校最後のウィンターカップ。その会場からの帰り、ふたりは妙に黙ったまま電車に揺られ、そしてこの道を歩いた。ぽつりぽつりと詮無き事を話し、そして、青峰は自身のアメリカ挑戦をはじめて誰かに告白した。
 ふたりでただひたすらに前だけを見詰めていた。少年だった自分たちは、それ以外の術を知らず、数多の不安に押し切られぬように頑なになって必死だった。

「ねえ、青峰っち」

 黄瀬が優しく呟くように言う。
 あの時から、ふたりはなにかある毎にぎゅっと手を握り合う習慣が出来た。
 握手ではなく、手を繋ぎ歩くわけでもない。ただ数秒、ぎゅっと握り合うだけ。

「ねえ、いい友達が、できたでしょう」

 その言葉には、きっと黄瀬の"これまで"がすべて詰まっている。
 異国でひとり挑みつづけ立派に成長した証、そこで新たに育まれた関係がまさにアルノだった。
 少し妬けるな、などとも思いながら、青峰は頷いた。ふたりはあの頃のように頑なに凝り固まって前を見据えるばかりではない。
 適度に横を見、後ろを見、お互いの存在をしっかりと目に映している。

「ああ、いい奴だ。」

 黄瀬が嬉しそうに、誇らしそうに笑う。そして、今度は青峰っちも教えてね、と言った。
 青峰は脳裏にヴィルの姿を思い浮かべて、もちろんだ、とまた頷く。


 若き頃は、お互いのことを知り尽くしているだなんてそんな勘違いもしていた。
 だからきっと、あれだけの無謀もとれた。今思えば、6年もの長い間音信不通だったなんて、寒気がする。再会出来るなどと、いつまでも相手が自分を思ってくれているなど、そんな保証はほんとうにほんとうにまったくどこにもないと言うのに。
 若く青臭い衝動でこそ、あんな無茶が出来た。
 それを今後繰り返すなんてことはもう恐ろしくて出来やしないが、それでも、その事に後悔はなかった。長い期間の互いを"知れない"ということはとても悲しく寂しいが、それでも、俺たちはこれでよかったと青峰は思う。
 この方法しか、もしかしてなかったのかもしれぬ。
 ふたりが身を置く世界はとても苛烈で、大多数のなかからのほんの一部しか立って行けぬそんな厳しい舞台だ。そこを行くには相当な覚悟がいるし、そしてそのうえでふたりのこういった関係を続けていくとなるとより一層の覚悟と根性が必要になってくる。
 それを、見詰め直し、腹に据えなおすにはきっとこの期間がふたりには必要だった。
 不器用なふたりの、遠回りでも近道でもない、ただまっすぐな道のりだった。
 前ばかりを見ていると、時にはそこに暗雲が立ちこめ何も見えず、時には道が幾本にも枝分かれ彷徨い、時には障害をもって立ち止まらせる。
 しかし、ふと後ろを見れば、余裕を持って見回せば、自分たちが歩いて来たたった一本の道が出来上がっている。
 その道の存在は勇気を与えるだろう。覚悟を思い起こさせるだろう、冷静を取り戻させるだろう。

 ふたりはどちらともなく手を握り合った。ぎゅっと、力強く。
 そうして確かめて、そっと手を離した。



//////


 青峰っち
/高校卒業後、アメリカ・ロサンゼルスのバスケ強豪大学へ
/大学卒業後、NBA下部リーグのNBADLのチーム"LA D-Fends"へ入団
/プロ2年目にMIP(年間最も成長した選手賞)を受賞
/プロ3年目、オールスターに初選出、インパクト・プレイヤー賞を受賞
/現在アメリカ・ロサンゼルス在住、NBA・NBADLにて現状唯一の日本人選手

 黄瀬
/高校卒業後、フランス・パリへ渡りモデル活動を開始
/ショー・雑誌媒体を中心に活動中
/業界では注目のモデルとしてそこそこの地位を築きつつある
/海外進出後、初の東京コレクション出演を機に、今後は日本・アジアでの活動も広げていくつもり。が、活動の拠点はパリに置いたままで、これまで通り主戦場は欧州・北米が中心となる
/現在フランス・パリ在住、NY・パリ・ミラノ・ロンドン・東京など、ファッション主要都市にてそれぞれのモデル事務所と契約中


 黒子っち
/高校卒業後、東京の私立大の文学部に進学
/大学卒業後、さる文学賞にて特別賞を受賞後、賞の主催編集社に目をかけられ編集社でのバイトをしながら物を書き続ける日々。自称・ニート。
/編集担当からは将来を見込まれ、期待をかけられている。
/スポーツ系雑誌にバスケ関連でちょっとしたコラムや批評を載せてもらう事もある

 赤司っち
/高校卒業後、日本最難関大学へ進学
/大学を卒業後、イギリスに渡り現在はオックスフォード在住
/イギリスの大学院に通いつつ、実家の会社の海外支社にて研修中でもある
/着々と社内での発言権が増す日々
(大学では経営学・法学を勉強中、会社ではすでにアドバイザー的立場)

 緑間っち
/高校卒業後、東京の医大に進学
/大学卒業後、無事医師国家試験に合格
/現在絶賛臨床研修中、とにかく忙しい

 紫原っち
/高校卒業後、bjリーグのチームに入団
/現在大阪のチームに所属(因に高尾くんとチームメイト)、昨季までは新潟のチームに在籍していた
/今季、チームではプレイオフを制し総合優勝、個人ではプレイオフ最優秀選手賞とレギュラーシーズン最優秀選手賞をダブル受賞
/シーズン平均ブロックショット記録保持者
/火神と並んで日本バスケ界を代表する選手

 火神っち
/高校卒業後、bjリーグのチームに入団
/現在千葉のチームに所属
/プロ初年度に新人賞を受賞、その後も様々な個人タイトルを獲得
/昨々季チームは総合優勝を果たし、火神もプレイオフ最優秀選手賞を受賞
/昨季は優勝をのがすも、レギュラーシーズン最優秀選手賞を受賞
/今季はプレイオフ決勝にて紫原・高尾有する大阪に破れ準優勝、個人では年間最多得点を記録

 桃っち
/高校卒業後、関東の国立大学に進学し、医学・スポーツ医学を学ぶ
/大学卒業後大学院に進み、勉強を続けている。研究室からは若きホープと期待をかけられているが、本人は来春からは現場での仕事につくつもり
/紫原らの在籍する大阪のチームに来季(今11月の)シーズンから研修で現場に入らせてもらい、来春からの正規契約を目指す


オリキャラ

 ヴィル
/青峰の大学の2コ上の先輩、現在はチームメイト
/プラチナプロンドの頭髪、ヘイゼルグリーンの瞳、青峰よりも数cm長身でガタイも良い巨躯
/ドイツ出身、高校入学に際しアメリカへ
/大学ではバイオインフォマティクスの分野を研究
/バスケではなく学業面での特待生であり、大学卒業時にはバスケに進むか研究に進むかの決断に迫られ、最終的にはバスケを選択

 アルノ
/黄瀬と同じパリのモデル事務所に所属する先輩モデル、3コ上
/ダークブラウンの頭髪(癖毛)にブルーグレイ系の瞳、黄瀬と同程度の身長、黄瀬よりも少しだけガタイが良い
/スウェーデン生まれ、フランス育ち。両親はスウェーデン系イギリス人とピエ・ノワール系ユダヤ人、ヨーロッパ全土の人種を織り交ぜたような家系で、そうとうな混血
/父親の影響で英語が堪能、父親はイギリス・ロンドン、イーストエンドと呼ばれる地域の出身でその地域特有のコックニー訛りをもつ(現在では若者言葉、スラングに通ずる言語として若者を中心にひろく使われるようになっている)

 シャルル
/黄瀬のストバス仲間、フランスのプロバスケットボールリーグ・LNB2部リーグチーム所属の選手
/黄瀬のパリの住居のご近所さんで、最寄りのストバス場で偶然出会って以降仲良しに
(シャルルの他にも地元バスケ愛好者らが集まっては時折ストバスを行なっている)

 ドニ
/LNB1部リーグチーム所属の選手、フランス代表選手
/プエルトリコ系
/ゲイではないが、黄瀬の顔が大好き。色々イケるとおもっているのでバイの気はあるかもと最近自覚

 ルイ・マルソン
/LNB1部リーグチーム所属の選手、フランス代表選手
/NBAでのプレー経験もあるフランスバスケを代表する選手
(黄瀬・アルノとドニ・ルイはスポーツブランドとフランスのアスリート達とのフォトコラボ企画の際に知り合う。以後ときどーき飯を一緒する)



prev next









人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -