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 なにが悪かったのか…産まれてきたこと自体が悪かったのか。――なんて三文芝居のようなことも何度か思った。それくらい、俺たちの周りには謂れのない暴力が溢れていたし、悪意で満ちていた。
 この物語はまず、俺たちが8つの時に始まる。ある孤児院でそれはスタートするのだ。あの年の夏、俺たちはそれぞれ別の場所からそこへやってきた。ひとりは前の孤児院で素行のあまりの悪さを見咎められたことから、そしてもうひとりは自身を殴り続けたヤク中の母親がやっとこさおっ死んだことから、俺たちは、最終流刑地とも言われるあの孤児院へ送られてきた。そこはまさに、この世で最も地獄に近い場所であったと今も確信している。そう、世の中の酸いも甘いも噛み尽くした今でもそう思う…この世のどこよりも、あそこは腐っていた。
 19XX年、俺たちはあの夏、そんな地獄の中で、お互いを見付けたのだった。


 ジーワジーワと蝉が鳴く。出始めの蝉は、これから盛りを迎える夏の猛暑を予感させる。
 少年は、そんな夏のある日、あの孤児院へとやってきた。少年の身体には、そこここに包帯や絆創膏があった。先日、少年の母親が死んだ。ヤクのオーバードーズを起こしての、突然死だった。
 病院やら児童局をたらい回された後、少年は今腕を引くある神父に引き取られてその教会へと脚を踏み入れたのだ。朽ちかけの十字架を掲げた、荒野の先の教会だった。どこか遠くには、潮の音が聞こえなくもないような。そんななにもない辺りにぽつんと佇む古い建物。
 その建物に入り込んだ時、そこは孤児院らしく子供の騒ぐ声が響いていた、四角を描く回廊に囲まれた中庭で、同年代くらいの子供達が駆け回っている。・・しかし、その光景は少年と、神父が現れたことでぴたり、と止まる。子供たちの視線は、どれも少年の腕を引く神父に向けられていた。その子供たちの瞳の、妙な翳り。
 一見優し気な声音と笑みで少年のことを紹介した神父がその場を立ち去るまで、その緊張は、解けることはなかった。

 孤児院での、最初で最後の友達。
 少年ははじめの数日、院の片隅でひとりで過ごしていた。少年は、同年代の子供たちのことを、よく知らなかった。これまでの少年の人生は、ちいさなアパートの一室と、母と、窓から見えた川向こうの火葬場の煙でぜんぶだ。それ以外はない。
 人との交遊の意義も意味も遣りようも全く知らない少年は、それまでの毎日のようにただひたすら無為に座り込んでいた。そうすればいつのまにか時は過ぎていってくれる。
 孤児院では、粗末ながらも食事が出た。それは一日午前午後の二食だったけど、決まった時間にヘドのような食事だろうとちゃんと用意されていることを、少年はこの孤児院に来て”良かったこと”のひとつだと思っていた。・・ここに常識を求めてはいけない。その孤児院にいる半数以上が、少年と同じような感想をもっていた。
 ここ、"最終流刑地"には、子供たちであろうと、あまり馴れ合うような雰囲気は少なかった。子供が大勢暮らす所帯にしては、妙な落ち着きと静寂があるところだった。だから、じっと座り続ける少年に気を向ける者などいなかった。少年の他にも、口を開けて、焦点を失って、部屋の隅でぼぅとし続ける子供は何人もいた。
 その日々を変えたのが、少年の孤児院での、最初で最後の友達だった。
 ある日、ひとりの男の子が声を掛けてきた。
――なあおまえ、この本に出てる奴か?
 男の子が指差した先には、本の主人公の絵があった。岩に突き刺さった大きな剣を抜こうとする、金色の髪の。
――?ちがう、よ。
――あれ?ちげぇのか・・ふぅん。
 それがはじまりである。
 夏のある日、照りつける太陽が眩しすぎて、日差しを避けて座り込んだ本棚の影はふたりだけをすっぽりと覆って、心地い風を、僅かに連れてきていた。

 少年と、――だいちゃん、は同い年だった(自身の正式な歳を少年は知らなかったが、たぶん)。
 あれ以降、時折古惚けた本を開きながら、ふたりはぽつりぽつりと会話をするようになっていた。物語には、よく金色の髪が出てきた。それが登場する度に、だいちゃんは少年に"これお前か?"と聞くのだ。少年は、どれにも首を振り続けた。首を振る度、だよな、とだいちゃんはどこか満足そうに笑って、本を閉じて影の袂から少年を引き上げた。
――裏の草むらにおもしれー虫がいんだ。見に行こうぜ。
――うん。
――あ、図鑑も持っていこう。調べて、名前を見付けるんだ。
 だいちゃんの瞳は、この孤児院で唯一といっていいくらい、ちゃんと、輝いていた。
 少年はそれを、それこそを本に出てくる人物たちの瞳のようだと思っていた。物語には金色の髪がよくでてくるけれど、青い瞳だって、よく出てきた。でも少年は思うのだ。やっぱり、本の人たちよりも、ぜんぜん、ずっとずっと、だいちゃんのほうがキラキラしている。
――あっちー!あとで井戸いこうぜ、暑すぎー
――でも神父さん、勝手に井戸に行くなって言ってた。
――ちょっとぐらいいんだよ!お前だって暑いだろー?
――うん。
――ほら!
 だいちゃんに手を引かれて、いろんなところを駆け回った。孤児院の建物と、その敷地周辺程度であったから、そう広い範囲でもないのだろうが、それだけでも、少年にとってはすべてが未知に近く、まるで冒険だった。
 孤児院の環境は、どう口が曲がっても、いいものとは言えなかった。食事は上記の通りだし、空調機器の類いがないのは当然、そのくせ建物自体はボロの腐食寸前。子供の押し込められた部屋は狭く、夏蒸し冬凍える。なにより管理者である神父たちが、大人としてもっとも手本にしてはならない、そういうタイプの者共であった。この孤児院が子供たちにとっての最終流刑地であったのと同様に、神父たちにとってもここは、最後に行き付く場所だったのだ。教会組織にそのあらゆる悪行を揉み消されて、組織の保身のお陰で罪を追求されることなかった、薄汚い、神父たちの巣窟。人の目の到底届くことないここで、島流しにされた神父たちはそれこそ、歯止めを失っていた。
 神父の中には職務放棄をし、教会に顔を滅多に出さない者すらいた。そして体罰にはしる者、そして・・・・。
 決していいとは言えない環境の中で、それでも少年はなにかを、掴みかけていた。それはあたたかさとか、かがやかしさとか、そういったものだ。だいちゃんと共に駆けていることで、少年にも、そんな世界が見えてきはじめていた。
 しかし。
 それは少年が孤児院にきてひと月もせぬことだった。
 夏はすっかり盛りを昇りきり、立っているだけで汗を吹き出させるような、そんな季節のことだった。
――っはー!きもちいい、な!
――うん。つめたい!
――きみたち、なにをしているのかな。
 ポンプ式の井戸から水を汲み上げて、水浴びをしていたふたりのもとにやって来たのは、ひとりの神父だった。それは、少年を自ら引き取ってきた、あの神父である。
――っぁ、
――やべ!
――井戸は使用禁止です。罰則にふたりとも懲罰室行きを・・・・、
 舌を打って懲罰室に向かうだいちゃんを追って少年も神父の脇をすり抜けようとした。しかしそこで神父はがっちりと、少年の腕を掴んで引き止めた。
――・・・・
 神父はじっとりと、少年の濡れた全身を、眺めて、
――・・君は私についてきなさい。別室でお仕置きです。
 そう言った。
 神父の中には職務放棄をする者、過度な体罰にはしる者、そして・・・自らの汚い欲望にはしる者、そんな最低な者たちが、揃っていた。

 夏。盛りから、緩やかに残暑へ移ろっていこうとする、そんなはじまりの季節。
 佇んでいるだけで次から次へと汗の溢れ出てくる、茹だるような暑さの中で、神父の部屋だけは空調がよく効いており、寒気がするほどの冷気だった。そんな部屋の中で少年は、外でかいてきた汗が乾く前に、その身のすべての汗を、神父の舌に、舐めとられた。
 ・・・・それからの事は言葉にしたくもない。
 狂った神父が恍惚と、少年に向かって微笑んでいた。
 その瞳の濁りと翳り。少年には見覚えがある。ほんの少し前まで少年の小さな小さな世界を支配していた、母親の瞳と、しごく、似ている。
 


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