〃   
/今後血生臭い表現が多々でてきます。苦手な方はご注意下さい。


 その場は一瞬、事の次第を理解出来なかった。
 彼の手の中で光り輝くppk/s、丁寧な動作でそれの撃鉄が起こされる。そこに至ってようやっと、円卓についた幾人かがはっと正気を取り戻して自らのスーツの内へ手をやる。しかし空を切る手の平にさっと肝の底を冷やして絶望した。"万が一"が無いように、この場への武器類の持ち込みは禁止されていた。そう、この一室へ入る者それがたとえ何者であろうとも、前室のボディチェックにてすべての武器になりえる物を取り上げられるのだ。
 ――布石は、いつからだろう。コヨーテに、"彼に触れてはならない"、そんな噂が流れ始めたのはどれほど昔だっただろうか。もはやこの組織において軽々しくコヨーテに触れようなどと考える者はいない。それが例え、このような大事な場の、ボディチェックであろうとも。下の者たちは恐れて彼に一定以上近寄る事もしないのだ。
 そしてトリガーは着実に引かれる。外そうはずもないほどにじっくりと標的に照準された銃口が火薬の残滓を飛ばしながら銃弾を発射させる。
 真っ直ぐな弾道は、茫然と目を見開いた白髪の脳天へと、狂う事なく着弾した。額に口径通りの穴をあけ、そして定評のあるパワーで脳組織を破壊する。後頭部の頭蓋の欠片をまき散らしながら貫通した弾丸は、豪奢な彫りの施された柱の木にめり込んでようやっと沈黙。辺りに飛び散った脳の一部が、ゼラチン質を晒して転がった。



――教会組織というものは、思う以上に腐った世界だった。
  児童虐待・・小児性愛などといった異常性癖を持つ者の割合が、一般に比べて馬鹿高い。
  しかもその事実を徹底的に隠匿している。
  胸糞悪い事実だ。なんの力もない子供たちはただ蹂躙されるしかない。
  あの日、一本のナイフがあの神父の胸を突き刺した日。
  この腐った現実が多少は変わってくれるかもしれない、そんなことを一瞬だけ思った。
  それはただのチンケな夢想に終ったけれど。
  神父の行ないはすべて隠され、そしてあの人は否応なく収監された。
  孤児院には別の神父がやって来て、代わり映えのしない最低の生活がまた始まった。
  だからストリートへと逃げた。あんな地獄じゃなくて、裏路地で生きる事を決めた。
  泥まみれで足を取られながらでも、それでもどうにか、思うままに生きてみたかった。
  しかしそれも、一時の夢だった。
  ある日目の前に現れた高級スーツの男は、嫌な笑みで笑うと、首輪を取り出して言った。
  うつくしいかおだ。
  逃げて、暴れて、でも捕まって、殴られて。そして首輪を着けて引き摺られた。
  高級スーツの男が求めるのは代わり映えのないソレだった。
  反吐が出る。この裸になんの意味があるのだろう――



「貴っ様ァあ・・っ!」

 円卓の中でも武闘派の男が裾から隠しナイフを取り出しコヨーテへと飛びかかろうとする。御法度の武器持ち込みをこの男も犯していた事が露呈したが、今はそれを気にしている暇などない。この銃声に反応して前室に控えたボディガード達が一気に雪崩れ込んでくるだろう。その事を思い出し余裕を取り戻しかけた者たちの予想は、しかし続けて響いた銃声に見事に裏切られる。バラララ、と前室から響いた銃声はボディガード達が携帯したピストルの銃声とははっきりと違うものだった。これは、短機関銃の音だ。詳しい者が聞けばすぐ分かる。この特徴的な音、円卓の中でも特に武器商を担当とする男は茫然とその銃声に思い至った。イングラムM11に、MP5。
 その音の理由を、瞬時に理解した男のナイフを握った手が、一瞬だけピクリと痙攣する。それを見詰め、またゆったりと銃を合わせたコヨーテが、笑みを崩さずにひとつ頷く。――その通りだよ、正解。よく分かったね、と母が子を褒めるような優しさのまま人差し指が引かれる。銃声の元にまたひとりが倒れ伏した。それと同時に大きな音を立てて開かれた扉から、サブマシンガンを携帯した者達が雪崩れ込んでくる。人波の隙間から見えた前室には、ボディガード達が血をまき散らして倒れていた。

「どういう事だ、自分が何をしているか分かっているのか、コヨーテッ!」

 例え追い詰められようと、この円卓に集う男達は裏社会でも有数の権力者達である。その地位まで登り詰めたからには、やはり度胸も豪胆さも並ではない。瞳の中に怒りの炎を滾らせてコヨーテを睨みつける。
「逃げ切れると思うなァ、裏社会のすべてが、お前を追うぞ!」
 ハンズアップを要求するサブマシンガンの者達の激昂も無視し、机の上で拳を作り椅子に座したままの重鎮達。その言葉に嘘はないだろう。例えこの場の全員を殺したとて、裏の世界には刈り尽くすこと出来ないほどの人数が犇めいている。その大勢が、今後"コヨーテ"を追う事だろう。組織最大の、裏切り者として。反逆者として。

「怯え震えながら暮らせ、コヨーテ!どれだけ殺そうと、尽きぬ軍勢がお前をいずれ追い詰めッ、」
「ふふ」

 あは、は、ふふふ、っふは――――
 年頃の娘が転がった箸を笑うように、邪気なくコロコロと笑ったコヨーテを、呆気にとられたように、また気味の悪いものを見るように見詰める。場に全くそぐわない軽やかな声音で、「え〜」とおかしそうに小首が傾げられる。
「な、にが可笑しい」
「ふふ、だって、」
 笑みが深まる。

「俺のこと、なぁんにも知らない、よね?」

 周囲の空気が凍った。何故これまで気付かなかったのだろう。気にして来なかったのだろう。この場の誰もが、彼の、"コヨーテ"以外の名を、知らなかった。
「唯一俺の名前を知ってた奴は、もう死んじゃったよ。」
 ほら、と顎で指された先には椅子から転げ落ちた白髪の男が居る。コヨーテを拾ってきたのは在りし日のボスだった。ある日路地裏から首輪にかけて引き摺ってきて――そうだ、そうなのだ、最初彼はただの"ペット"のはずだった。ただのイヌッコロ、ボスが気紛れに連れてきた、ただの使い捨ての愛玩物・・・・それが、いつのまに、こうなった。"コヨーテ"などとご大層なものに、いつ。
 あらゆる欲が人並み以上にあるボスは、独占欲も当然のように強かった。だから十何年と、彼の名前はボスのみが知るものとして秘されてきた。彼がどこから来たのか――そしてどこへ去ってゆくのか。
 知られるはずがないじゃないかと、コヨーテは、まるで当然の事を語るかのように、微笑んで言ってみせた。
 力なくナイフを落とした男の愕然と見開かれた眼に、次の瞬間には、無慈悲にも弾丸が突き刺さる。貫通したそれはまた拉げて後ろの柱へとめり込んだ。飛び散った眼組織が隣の男へと降り掛かる。そして連続する銃声。単発で数度続いたその音に、その分だけの死体が床に転がる。それを合図のように、続いてサブマシンガンのドラムロールのような音が。その音を背景にコヨーテは弾を撃ち尽くし軽くなった銃に丁寧に両手をかける。
 定期的で入念で繊細な手入れを必要とするppk/sを、慣れた手付きで分解していく。分解されていく銃にカタルシスを、なんとも言えない充足感を感じながら、バラバラと解体された部品たちをそこらへと投げ捨てる。
 スライド、バレル、グリップ、マガジン、トリガー……
 そして最後に手元に残った、銃の骨格であるフレームをぽいととても無造作に放り投げた。捨てられたそれは、赤絨毯の長い毛足に音を吸収されて転がった。部品たちが、まるで道を指し示すようにポツリポツリと落ちている。それをたどれば、長い脚を優雅に進める、ひとりの後ろ姿が在る。彼の名を知る者はここにはいない。彼は人にコヨーテと呼ばれる。
 コヨーテは無用に群れない。狼や犬とは違い、大きな集団で行動しない。大抵が一匹で、広大な荒野を歩き続ける。時には歓待され、疎んじられ、英雄となり、愚者となり、賢者となり、悪者となる。なにものにも捕らわれず、常人の理解が及ばぬほどの複雑さをその身の内に秘めている。
 その在り方はある種の尊敬と畏怖をもって、崇められている。

 屋敷の上階で控えていた組織の構成員たちが異変に気付き武器を手に階段を下ってくる。連絡を受けた近場の組織員たちも急ぎ急行してくる事だろう。
 すでに武器を手にしていない無防備な彼の目の前に、惜しむ事なく人の壁が出来る。耳を劈く破裂音をさせて始まる銃撃戦、彼の目の前の壁が幾人か血を噴き出し崩れ落ちる。しかしその穴を埋めるようにまた別の人間が肉の壁となり、被弾していく。その異様とも言える光景、しかし壁となった者達にとってはすでにそのことに疑問などなく、溢れ出る血の中に倒れた者たちには満足感さえ窺える。
 目の前に倒れ込んだ肉の壁のひとつに、彼が徐に跪き身を寄せる。優しい手の平で頬を撫でてやり、まるで聖母のような微笑みで鼻先にキスを贈った。それを受けた者は、痛みなど、死への恐怖など知らないかの様に幸福に満ち満ちた顔をし、痙攣し、絶命した。
 周囲で倒れ伏し今にも死に至ろうとする者達の半数が、そんな顔をしていた。その瞳には不気味な煌めきと暗がりがあり、それはまるで薬物に溺れた中毒者の如くであった。しかしその者たちが溺れたのは薬物などではない。中毒とは薬のみが与えるものではなく、それは時にアルコールであり、そして宗教でもある・・・度の越えた"盲信"は、中毒で、依存で、そして常人には計り知れない狂気の沙汰だった。

「後を、御願いするよ」

 すっくと立ち上がった彼が不思議に良く通る声でそう言う。振り向いた幾人かがあの狂気の瞳で頷く。
 屋敷の前に止めていた車に歩み寄り、後部座席のドアを開こうとした運転手に手の平を翳して断りを入れる。彼の周囲をガードするように立った者達にも、それぞれ首を振って見せる。
「お前達はここに残れ。ここからはひとりでいく。」
 それを聞き一歩下がった者たちの瞳も、やはり狂気だった。
「貴方はとうとう扉を御開けになったのですね。」
 夢見るような呟きが、運転手から零れた。それにコヨーテが頷く。甘い甘い微笑み、「ああ」。ポケットから取り出した煙草を、運転手の口元に食ませてやる。
「あとは安心してお逝き」
 キスをするように、火をつけて銜えた自身の煙草の先と運転手の先とをかわし合わせてやり、そして周りに侍った者たちの頬をそれぞれ撫でる。飼い犬にするように手を振ってその場を離れる事を指示する。幸福至極のように淡く笑った者たちはその手の動き一つで身を翻し未だ銃撃の続く屋敷へと入ってゆく。大きく立派な、開け放たれた扉を潜り。
 幾人分もの滴った血が、溢れるように室内から零れて外にまで血溜まりを広げた。扉の前の2段だけしかない階段をどろりとした血液がゆっくりと降りてくる。扉を跨いで向こうは、死で溢れている。



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