スタンド・ユア・グラウンド

 サルヴァトーレ・ロベロの名義で公開されたその写真は、一日と経たずネットのあらゆるところに広がっていった。
 モノクロで、ふたりの男が並んで立った写真だった。左側の男は正面を向き、右側の男は後ろを向いていた。その後頭部の男があの青峰大輝であると言う事は、すぐに世間の知るところとなった。単色で背番号もなにもないものであったが、その服装は明らかにユニホームであったし、何より正面を向いた男があのモデルの黄瀬涼太であったから。
 黄瀬の、美しく無機物じみた面が圧倒的な端正さでこちらを見、離さない。髪も肌も、服も色の薄い黄瀬の存在感は、美しく確かでありながら、どこか消え入りそうな危うさを孕んでいた。しかしその手にはしっかりとあのバスケットボールが掴まれている。そしてそこからまた、力強く繋がるもう一方の手腕。対称のような、浅黒く張りのある肌。艶を含んだ短髪は、モノクロでありながらその本物の深い群青色を見る者に想像させた。
 ふたりの間で、交差するように腕が垂らされている、その間にひとつのボールが。互いの左手に挟まれて、握られていた。
 あらゆる雰囲気が、情感が、そこには含まれていた。
 青峰も、黄瀬も、あれからずっと確かなことは何も言って来なかった。なにを明言するでもなく、沈黙を守り続けていた。
 そうして唐突な、この一枚の写真である。たった一枚の写真は、世間やメディアのあらゆる憶測や批判の飛び交いを一瞬加熱させ、そしてすぐに鎮めた。無駄に足掻かず、しかし明確な意思表示。決意表明とも、言えるかもしれない。それは多くの人々を納得させる力を持っていた。
 青峰の度胸を、人々の多くが評価した。どの事柄においても、"最初のひとり"というのは辛いものである。
 バスケ関係者のひとりが、インタビューを受けこう発言していた。
 "ダイキのとった行動は、これからのひとつのロールモデルとなるだろう。後に続こうと思う選手もいずれ出てくるだろう。ダイキの場合、最初は本人の望むところではなかったアウティングにしろ、それでもこうやって結局は事を自らの手中に収め終息させた。彼らに関する論争はもう終わりだ。これ以上何か言い合うのは、まったくクールじゃないからね。"

 オールスターゲームにて、青峰は自らのプレイスタイルである型に囚われない自由なプレーで存分に会場を沸かせた。その素直で偽わりのない歓声が、青峰が確かに人々に受け入れられた証だった。
 以降、騒がしかった青峰と黄瀬の周囲は、次第に落ち着きを取り戻していく事となる。
 この一連の事柄は、業界に大きな問い掛けや投げ掛けを残し、議論の余地があることを広く白昼のもとにしたが、そこにおいてはもうすでに青峰や黄瀬の手のもとを離れた論争である。

 3月にはいると、いよいよシーズンも佳境になり、4月の下旬にはプレイオフが開始される。残されたレギュラーシーズンにて、青峰はそれまで以上の活躍を見せた。
 一試合一試合重ねていくごとに、まるで尖られた集中の穂先のようなものの鋭さが増していくのを、チームメイト達は感じていた。
 そこにはすでに妙な軋轢はなくなっており、ハイタッチを交わす腕に躊躇はなかった。チームメイトは青峰を、素直な眼差しで自らのチームのエースとして受け入れていた。
 バスケットはメンバーの入れ替わりの激しいスポーツであり、スターティングメンバーの5人が必ずしもベスト中のベストという訳でもない。バスケットは、とても多様性に富んだスポーツなのだ。
 青峰はこのチームにおいて、言わばシックスマン的な役割にあった。
 スターティングメンバーとして先発する試合は、青峰の出場した試合数の半数以下である。多くの試合を青峰はベンチでスタートする。しかし、総出場時間で言えば、青峰はチームで一番長い間コートに立っていることになっている。
 青峰のフィジカルや運動能力は、アメリカNBAにおいてはそう抜きん出たものではない。しかし彼のもつセンスは本物であり、その型のないプレイスタイルは独自のユーティリティへと繋がっていた。
 シックスマンという存在には、様々な起用理由があるが、そのなかでも青峰はそのユーティリティを評価されての起用だった。
 試合状況に応じ、それに沿う形で青峰は投入されるのだ。シックスマンでありながら、青峰のチームへの貢献度は、"エース"と言って憚りないものであった。
 年末のあのロッカールームでの出来事から、チームはこれまでに幾度かのミーティングを繰り返している。青峰も、黄瀬との写真が公表される前にチームメイトには先にその写真を示すなどしていた。
 重ねられるミーティングは、チームにヒビを入れるどころか、一層の結束を促すに至り、シーズン後半戦をチームは一度も首位を明け渡す事なく終える事となった。
 レギュラーシースンをイースタン・カンファレンストップで終えたチームは、すぐにプレイオフへとはいる。
 そこで怒濤の戦いぶりを見せたチームはプレイオフトーナメントを勝ち上がりカンファレンスファイナルは制すも、しかし東西王者が対決しての決勝戦を負け越すと、4戦先勝を先に相手チームとられこのシーズンは結局総合準優勝で幕を閉じる事となった。

 NBAで個人賞を受けるという事。そのことのあまりの価値を、青峰はこの年はじめて知る事になった。
 ネイティブとは言い難い発音で"Daiki Aomine"とコールされるのに青峰は立ち上がり、その楯を受け取りにいく。着慣れないタキシードは、肩が凝った。
 "NBA Sixth Man of the Year Award"と彫られたそれを受け取って、青峰にしてもなんだか感慨深い想いになる。
 3年目にして、チーム最重要の選手とも評されるようになった。多くの事にブチ当たりながらも這い上がってきた世界最高峰のこの場で、ようやっと自身の存在を認めさすことが出来たような心地だった。ようよう、同じコート上に立てたと。
 この青峰の受賞には、純粋にプレイが評価されて、というのが一番大きい理由であるのは当然だが、それでもその理由以外の要素も絡んできている事も確かだろう。
 青峰は、これまである部分ではとても閉鎖的だったNBA界にひとつの風穴を開けた。
 それは褒められるばかりではない騒動を巻き起こしたし、解決の遠い大きな問題を表面へと引きずり出してしまった。しかし、これからはその問題にNBAも――アメリカスポーツ界も目を背けられないだろう。そして青峰に正式に賞を与えるということは、その問題に対し立ち向かっていく、という業界の決意の表明でも、ある種あったのだ。
 授賞式にて、青峰が楯を授与された瞬間、会場には大きな拍手が巻き起こった。
 会場のなかには拍手をしていない者もいたし、周りに合わせたお座なりな拍手の者もいた。すべてが、解決した訳ではない。ほつれてしこりを残した部分のほうが、ずっとずっと多い。かつてと比べれば、青峰はこの業界にてずっと生き辛くなった。
 しかし、その反面で、この一連の騒動を通して青峰のNBAでの立場は確かなものにもなったのだった。
 あらゆる付加価値をつけて、多くの偏見や先入観に塗れて"青峰大輝"という人物は世間に晒されたが、そういった一方、青峰はとても純粋に、ピュアに、選手としての能力のみでも周りに査定された。チームメイトや、熱心なブースターや、チーム首脳陣に。そして、その査定を青峰は見事クリアした。
 青峰は、そういった付加してくるあらゆるしがらみに霞むことない、選手としての本物の実力を周囲に認めさせたのだ。その実力は、皮肉な事に今回で確実な信頼を勝ち取るに至った。
 多くの者が、気付いたのだ。青峰大輝というバスケットボールプレイヤーにおいて、彼がゲイであるとか同性の恋人がいるという事実が、彼の中で最も興味深くまた重要な部分であるわけではないと言う事を。



 7月、ゴタゴタといろいろあったシーズンがようやっと完全に終わると、青峰はJFK国際空港から日本行きの便へと飛び乗った。
 チームとも無事契約延長の手続きを済まし、来季もブルックリンにて4年目のシーズンを戦う事が決まっていた。
 日本に帰り着いた青峰は、まず実家には向かわず、都内のホテルへと腰を落ち着けた。空港の大勢のメディアの輪から抜け出して、ようやっと溜め息を吐ける心地である。
 どのメディアも青峰からなにか一言でも取ろうと必死だったが、この半年ほどでより一層に鍛えられた"何も答えてやるもんか"オーラが功を奏し、思いのほか早く記者達は退散していった。桃井からは、すごい人相でテレビ出てたよ大ちゃん、という別に有り難くない報告メールを受けた。
 青峰はまずこのツインルームでひとり一泊を過ごし、そこから黄瀬がフランスより合流する予定であった。黄瀬が空港に降り立つときは、それはもう青峰の比ではなくメディアが群がるのだろうな、と思うと、青峰でもさずかに労いの言葉をかけてやりたくなった。
 ふたりがこのタイミングでの帰国を選択したのには、理由があった。
 日本に帰ってくればマスコミ対応やなんやで七面倒くさいことになるのは分かっていたが、それでも帰国したのは、ひとえに"挨拶"の為である。
 近しい友人達の多くは言わずとも青峰と黄瀬の関係を了解していたので、今更挨拶ということもないのだが、一応懐かしいメンバーでの食事会は予定されている。
 前回集まったときとは違い赤司がいるので、聞きかじるだけでもその食事会場は随分豪勢なところらしいが・・重要なのはそこではなく、主目的は青峰と、黄瀬の、両親への挨拶だった。
 青峰の帰国翌日の午後には黄瀬も日本に降り立つ。そこからホテルで今度はふたり揃って一泊し、次の日には青峰の実家へと行く予定であった。
 これまで、幾度も黄瀬は青峰家にお邪魔していたが、それはあくまで"お友達"としてであると、きっと青峰の家族は思っていただろう。報道が出たとき、青峰の両親や弟がどれほど驚いたか。報道以降青峰は父から一度メールを受け取っていたが、その内容は、「次のオフではちゃんと帰国してこい。実家で話そう」とだけだった。
 青峰はその晩、不用意に外に出てホテルを特定されるのを嫌いルームサービスで食事を済ますと、なんだか落ち着かない気持ちで、ベッドについた。

 翌日、黄瀬が案の定もの凄い数のカメラや記者達をどうにかこうにか撒いてホテルに到着したのは、すでに日が暮れ出してからの事だった。
 疲労困憊の態でホテルの一室をノックした黄瀬を、青峰はなんとなく、おかえりと言って出迎えた。
 それに嬉しそうにただいま!と言って飛びついてきた黄瀬は、年明けにニューヨークで会った頃から大きな変化はなく、そのことは密かに青峰を安心させた。
 昔から、精神状態で体調が変化し易い傾向にあった黄瀬なのだか、今ではモデルとしてのプロ意識からか、どんな精神状態にあっても体型だけは維持出来るようになっていた。つまり、ちゃんと食べていると言う事だ。
 選手であったころの体型からはずいぶん変わってしまっていたが、それでも黄瀬の身体は相変わらず綺麗に筋肉の乗った美しい身体だった。モデルに有りがちな貧相な印象や痩せぎすのイメージはない。勘違いされがちだが、モデルの身体はただ痩せていれば良いというものではないのだと、いつだったか黄瀬が言っていた。モデルに真に求められる身体とは、美しく、衣服の映える身体だと。
 そんな身体を前にすると、それをドロドロにしてやりたい欲が言わずもがな溢れてくる訳だが、しかしその晩はふたりは静かにお互いのベッドに収まると、恋人としての触れ合いは最低限にして、早めの眠りについた。
 翌日のことを考えると、なんとなくそのような触れ合いを持つ事が戸惑われたのだ。
 布団に籠り、暗闇のなかで沈黙が落ちたとき、ふいに一言、黄瀬がぽつんと呟いた。そしてそのまま、眠りに落ちていった。
「あおみねっち」
「・・ん?」
「あした、だいじょうぶかな」


 ふたりそろって、その黒白根の表札を前にするのは、約3年ぶりの事である。
 定期的に青峰の母が磨いているその大理石は輝きを失う事なく今もそこにあった。
 鍵の開いた玄関を潜ると整理された玄関でひとつのスニーカーだけが無造作にぽんと置かれていた。今は実家を離れ一人暮らしをしている青峰の弟も、帰って来ているのだろう。
 青峰に負けず劣らずの巨躯に成長している弟は、今大学でサッカーをやっている。幼い頃はバスケにも手を出していたのだそうだが、年の離れた兄の類い稀なる才能を目の前で見せつけられ続けて、小学校低学年にしてバスケの道は諦めていた。
 しかしその後地元少年クラブにてサッカーに出会ってからは、そちらの方で弟も見事な才能を開花させている。今では将来を嘱望される、大型ディフェンダーだ。
 玄関の音に気付いたのか、リビングから青峰の母が顔を出した。
 おかえり、と青峰と、その後ろにいた黄瀬にも分け隔てなく笑顔で言うと、嬉しそうな笑顔でさあさあ上がって、と促す。
 母の後についてリビングに入ると、ソファにて父と弟が揃ってテレビを見ていた。3年前の頃からは、少しソファの配置が違っていた。横いちだったものが、L字になっている。聞けば、本来はL字型のソファセットだったのだが、大き過ぎて邪魔だったので何パーツ分かのソファは、弟や夫婦の部屋に置いていたのだと言う。
 巨漢の男3人が暮らしていた当時を考えれば、たしかにリビングにこんな大きなソファがあれば行き来に邪魔になったかもしれない。
 そのL字の短い方に青峰と黄瀬は座ると、まず青峰が、乱暴な所作でアメリカからとフランスからのお土産を手渡した。
 美味しそう且つ高そうな菓子折りに、弟はすぐに一箱は自分のアパートに持って帰る旨を打診している。
 母は喜び勇んでキッチンに紅茶を淹れにいき、父は菓子折りとは別に買ってきていたツマミの類いにニヤニヤとしている。青峰らの帰国に合わせ酒を幾本か購入済みらしい。
 そんな、いつかと変わらぬままの家族の様子に無意識に詰めていた息を青峰も黄瀬も、ゆっくりと吐き出した。
 母の紅茶が出揃い、菓子たちも一端脇に置かれたタイミングで、まず青峰があの報道のこと、騒ぎを起こした事の反省の弁を伝えながら黄瀬との関係を認めると、まず父がひとつ頷き、こう返してきた。

「確かに驚いた。お前たちの仲の良さは知っていたから、はじめはそれが誤解されての報道だとも思った。でも、お前達がとても仲が良かったのを知っていたからこそ、ある部分では納得もしたんだ。そういうこともあるのかもしれない、と。」

 それは予想外に、とてもあたたかく落ち着いた答えだった。

「ええ、そうね。こう言ってはなんだけど、私達、このことをもう随分前から知っていたような心地になったの。最初記事を見たときは、驚きすぎてよく頭が回らなかったのだけれど、でも落ち着いてみると、なんでそこまで驚いたのか・・よく分からなくなって。ふふ、おかしいわね。」

 父も母も、優しく、そしてどこか照れたような笑みを浮かべていた。
 よく似た親子の瞳が真っ直ぐ交差しているのを、黄瀬はその隣で見ていてとてもとても胸が締め付けられた。涙が出そうになるほどここは暖かい家だと、改めて思った。
 こんなにもここは暖かいから、黄瀬は青峰のこの家が好きだった。
 学生時分、黄瀬がこの家へ何度も尋ねていたのは、ただ青峰に会いたい為だけではなかったことをこの時になってようやっと自覚した。黄瀬は、青峰の父にも母にも弟にも、会いにきていたのだ。

「報道からこっち、色々とメディアの方だとか、周囲の反応で少し困る事も確かにあったが、そんなものはお前達の比ではなかっただろう。」
「・・その事じゃ、本当に迷惑をかけたと、」
「謝るな、大輝。」
「そう、謝らないで、大輝。私達はあなたの親だから。あなたを見守る権利があるの。そしてあなたには、私達に甘える権利が・・いいえ、義務があるわ。」

 肩をすくめて軽やかに言った母が、青峰から黄瀬に目線を合わせる。
「涼太くん。」
 黄瀬は、はい、と答えようとした。しかし声が喉元にからんで出て来なかった。顎に力が入って、目元に力が入って、そうしてギリギリになって涙を零すのを耐えていた。

「あなたが、ずっと大輝の傍に居てくれた事を私達は知っているの。ずっとずっと、お礼を言おうと思っていたのよ、涼太くん。」

 青峰が自らの才能に怯えていた頃、進路に思い悩んでいた頃、アメリカ行きを決めた頃、そしてアメリカに渡ってからもきっと。
 両親にとって、息子にいつも寄り添ってくれるそんな存在があると言うことは、とても心強いことだった。

「黄瀬く・・いや、もう涼太、と呼ばせて貰おうかな。涼太くん、こいつが随分迷惑をかけただろ。俺達は、こいつの我が儘さ加減を嫌と言うほど知っているからな、いつ愛想を尽かされるかとハラハラしていたんだよ。君に見捨てられたらとうとうこいつもお終いだな、と母さんと揃って心配していたんだ。」
「そうなのよ!だからね、3年前、涼太くんがまたうちにやって来てくれた時は本当に嬉しかった。」

 そして、今日もまた来てくれた・・ありがとうと言う笑顔の母の眦に、僅か涙が浮かぶ。
 こうして言葉で語る程、両親の心に葛藤がなかった訳ではないだろう。報道以降、様々な想いが彼らの心にも去来したはずだ。そのなかにはきっと、黄瀬を拒絶したい気持ちも僅かながらあったはず・・・それでも、こうして受け入れ、あまつさえ黄瀬に感謝を伝えたいと言うのだ。
 黄瀬の必死の抵抗も虚しく、涙はとうとう決壊した。
 ダムのブロックが崩れてしまったように、そこからはもう次々と零れていくしかなかった。黄瀬の琥珀がトロんで溶けて、べっこうの液体がほろほろと落ちていく。
 その綺麗な光景を、青峰の家族達は微笑ましげに見詰めた。
 優しくて気丈な母は、黄瀬のそんな様子に涙を引っ込めておかしそうにティッシュを差し出した。

「ああもう、黄瀬泣かせんじゃねえよ、親父、お袋」
「うふふ、ごめんなさい。でもなんだか涼太くんカワイイわあ!」

 青峰の母は、桃井と年齢差を介さぬマブダチであるだけあり、ノリがちょっとアレである。
 父も父で、黄瀬を泣き止まそうと頭を撫でてやる青峰の様子をニヤニヤして見てはなんとも言えない視線を送ってくる。陽気で楽しい家族ではあるが、こういった時の両親の反応には青峰もさすがに溜め息をつくしかない。
 一部始終を見守っていた弟が、一番大人な笑みを浮かべると、幸せになれな、とあたたかく言った。
 おう、とぶっきらぼうに答える青峰の言葉がすべてだった。家族たちはどこか誇らしそうに、微笑み合った。

 黄瀬が泣き止んでからもまた大変だった。
 テンションのあがった父が徐に宅配寿司のチラシを持ってくると選べ!と堂々宣言した。
 そこで遠慮のない青峰と青峰弟がメニュー表を片っ端から注文すると、1時間後、宅配の兄ちゃんがそれはそれは重そうに寿司を運んできた。
 青峰父は青峰並みに食べるし、青峰弟に至っては火神レベルである。
 リビングの大きな一枚板の机には所狭しと寿司や総菜が並べられ、青峰と黄瀬は心行くまで久しぶりのジャパニーズフードを堪能させられた。
 そして寿司を食べ終わる前に、いそいそと父が持ち出してきたのが、立派な拵えの酒瓶たちであった。
 息子ふたりともが成人し、こうして家族揃って酒を飲むというのは、あまり日本に帰って来ない長男の所為でこれがはじめてだと嬉しそうに父はそれぞれの杯に酒を注いで回った。
 昼下がりからの酒盛りは夜まで続いて、そうして黄瀬を含んだ家族の絆はより一層に深まったのであった。
 家族は、ふたりに日本に居る間をこの家で過ごす事を勧め、ふたりもその申し出を有り難く受け取るとその晩はそのまま青峰家の客間にご厄介になった。
 夜になる前の段階で、ふたりの着てきた服は母に没収され部屋着に着替えさせられていた。翌日、家を出る段階になって返された服は、きっちりと洗濯乾燥がかけられ、アイロンまでされてと完璧な状態だった。
 お礼を言って受け取りながら、黄瀬は自らの服から青峰家の柔軟剤の匂いがする幸せを心から堪能した。人形のように美しいかんばせは、昨夜からずっとだらしない笑みに崩れっぱなしだった。
 昼を済ませ出掛けていくふたりに、父と弟はそれぞれ眠気眼のままいってらっしゃいを言ってくれた。
 黄瀬に対しても、「今日の晩は鍋だそうだぞ涼太」「うちじゃ夏の水炊きは恒例なんだぜ、涼兄」などと言って見送ってくれた。
 呼び方が随分フランクになっていることに青峰は一瞬眉を顰めたが、そこは、青峰家の物怖じしない性格と黄瀬の人懐っこい性格とが交われば当然の結果かと諦める。
 ホクホクとした気持ちで歩く黄瀬の隣で、青峰は心底から、よかったと呟いた。
 黄瀬は昨夜、ぽろりと不安を零すように「だいじょうぶかな」と言った。
 黄瀬が青峰の家族を信じていなかった訳ではないし、青峰とて自身の家族に信頼を寄せてはいたが、そう簡単に不安は払拭出来るものではない。
 けれど蓋を開けてみれば、家族達はそれはそれはあたたかくふたりを迎えてくれた。
 これほどまでに、家族でありがとうを言い合ったのははじめてだったかもしれないと青峰は思う。
 両親や弟達がいくら気にするなと言おうとも、迷惑や心配をかけてしまったことは青峰の心のなかにはずっと残る。もちろん黄瀬のなかにも。でも、それでもそういった心を家族達は掬い上げるようにやさしく解してくれて、ふたりは、本当にリラックスして昨晩を過ごす事が出来ていた。
 今回のことで、様々、青峰も黄瀬も辛い思いをした。苦しく、長く耐えねばならない時を過ごした。
 けれどその苦しい日々も、耐え抜いてみせれば次第次第にあたたかいものを運んできてくれた。冷たさや痛さをほとほと実感していた身には、その優しさは心底に沁みた。幸福の価値を、あらためて、思い知る事が出来た。
 災い転じて福と為すとかそういった意味合いの日本の諺は様々あるが、そのたった一文の諺ひとつでふたりの複雑な道行きすべてが表せられるとは思わないが、でもそれも強ちはずれではないな、と思う。そう思える程度には、青峰の心は気軽になった。

 たとえこれから、どんなことがあったって、こいつの傍にいようと思った。
 そして、傍にいてほしいと思った。
 これからは堂々と手を繋いで、ふたり立ち向かう事が出来るのだ。








  STAND YOUR GROUND


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"STAND YOUR GROUND"は、アメリカで有名な文句で、意味的には"一歩も引くな""ひるまず戦う"になります。独立戦争時にアメリカ軍指揮官が部下に言ったという逸話の残る言葉で、アメリカの正当防衛法の法律名にもこの一文が使われています。
法律的には、この法は過剰防衛など行き過ぎた防衛行為(=刑罰的には軽い犯罪を犯した加害者を、被害者が必要以上に痛めつけてしまい死亡させてしまう例など)を生み出しやすい事から、抗議デモなどもある法なのですが、言葉的にはアメリカの精神を端的に表した良い言葉だと思います。
批判や偏見に晒される側(このお話の青黄、またその他のLGBTの人達)と、ゲイやセクシャルマイノリティを受け入れられずその存在に危機を覚え批判する側、それぞれ両方の心理を指す言葉として、題名にさせて頂きました。

・・・とまあ真面目ぶりつつも、こんな文章を書いてはいますが作者そうとうな楽天家のアホっ子ですから、さらら〜と今後も読んで下さればサイワイデス。
自分が書く文に関しては余程の事がない限りハッピーエンド主義ですし!(読む見る分にはBadendバッチコイ大好物)



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 サルヴァトーレ・ロベロ
/愛称"トト"
/黒髪の短髪、典型的でイメージしやすいイタリア美形男性
/ファッションブランド"サルヴァトーレ・ロベロ"の総責任者でトップデザイナー
/イタリア・ナポリ生まれの下町っ子、モデルを始めるとともにミラノに上京
/29までモデルを続けるが、交通事故によって脚に怪我を負う。大きな傷痕が残り、また長時間立ちっぱなしだったりモデルウォークをすると脚に負担がかかり姿勢が崩れてしまうなどの事からモデルを引退。
/モデル引退後、デザインの勉強をはじめ、32歳でブランドを立ち上げる。現在41歳。
/独特の美意識より生み出されるファッションは世界中のファッショニスタに高く評価されている

 ジョゼフ・ハロルド・ライトマン
/愛称"ジョー"または"ハリー"
/青黄のふたりがロサンゼルスで偶然出会った駆け出しのフォトグラファー
/ニューヨークで再会した時は、若手のなかでも実力派としてめきめき頭角を表している頃
/両親はユダヤ系カナダ人とアイルランド系アメリカ人
/暗い赤毛で髭面、ガタイも良さげ、でもどこか少年のような雰囲気漂う、青黄と同年代

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