ベイビー,ベイビー
/お友達と盛り上がったベビードール瀬話。


 風呂からあがると、脱衣所の布類がすべて無くなっていた。ご丁寧な事に床に敷いていたマットまで無いとくる。一瞬にして犯人の目星をつけた黄瀬は怒りを隠さずに声をあげる。よく通る軽やかな声音は少々の棘と凄みを含み、リビングの青峰の元まで届く。
「またあんたはーー!!!」
 シタリ顔の青峰が黄瀬の脳裏にありありと映し出される。
 こんな事は初めてではなかった。一番最初は着替えが無くなっていた。タオルを巻いて脱衣所を出て行った黄瀬に青峰は舌打ちし、それに黄瀬は容赦ない踵落としを決めた。二度目は着替えとタオルが無くなっていた。洗面下の棚から予備のタオルを引っ張りだし出て行った黄瀬に青峰は溜め息を吐き、それに黄瀬は回し蹴りをお見舞いした。三度目は着替えと予備含めたタオル全てが無くなっていた。床に敷いていた足拭きマットをガードに出て行った黄瀬に青峰は天井を仰ぎ、そのがら空きの顎に黄瀬は唐竹蹴りを叩き込んだ。青峰は数秒息が出来なかった。
 そして今回である。馬鹿が馬鹿なりに学習した結果、脱衣所の布類は全て撤去されていた。どうせまたソファに山を作っているのだろう。まったく懲りない男である。
「ちょっと!俺に風邪ひかす気かあんたは!さっさと着替えもってこい!!」
「バーカ!長年の夢、今夜こそ叶えてくれるわ!」
 続く高笑いがリビングから尾を引いて脱衣所まで届いた。そのどこまでもどこまでも癪に障る響きに、黄瀬は苛立ちに任せドアを蹴り上げた。職業柄ストーカー被害などを考え自衛の為近所の空手道場に一日入門したことのある黄瀬である。たった一日と侮るなかれ、師範代の技を完全コピーしたその動きに淀みと容赦は欠片もない。今夜は足刀でいくことを黄瀬はこの時決める。
「着替えならあんだろー?ならそれ着りゃいいじゃねーか!」
 空気を読まない青峰がまた声を上げる。
 着替え…そう、着替え。脱衣所に布類の一切がない、というような表現をしたがそれが実際は少々異なっている。ただ黄瀬がその布とも思えぬ薄っぺらいものの存在を完全否定し視界に入れる事さえを拒否していたため、今の今まで黄瀬の意識にそれが昇って来る事はなかった。昇って、こさせなかったのだ。こんなものが我が家にあること、それを意識する事さえ忌々しい。黄瀬は白い肌に血管を浮き立たせ、怒りの所作でそのものへと手を伸ばした。
 脱衣所に唯一残された布とも言えぬ一枚のレース生地。
 青峰がこれを持ち出してきたときの事を思い出す。目も当てられない程に脂下がった顔だった。
 ――ベビードール。
 ベビーフェイスでベビースキンなお前にぴったり!などと得意顔で言っていた。正直引いた。
 しかもこれはふたりの付き合い出した記念日のプレゼントであった。青峰と黄瀬のカップルはお互い忙しい事もあり、ちゃんと贈り物を用意して祝うイベント事といったら定番のクリスマスや誕生日、日程が合えばバレンタイン・ホワイトデイ、くらいなものである。男同士であるし、第一青峰の方が一々細かい事を覚えていられないタチだ。付き合いだした日にちなど覚えている訳がない。
 だからその日、おもむろに綺麗な包装紙に飾られた小箱が彼の背中から取り出されてきたとき、黄瀬は驚きとともにとてもとても感激した。どういう風の吹き回しか分からないが、青峰が、覚えてくれていたのだ。あの、見事な鳥頭で有名な青峰大輝が!
 黄瀬は頬を真っ赤にして泣きそうになりながらそれを開封した。繊細なレースリボンの装飾――思えばその時点で中身を疑うべきだった――ベビーピンクの可愛らしい包装紙、強面の青峰がどういう顔をしてお店に行ったのだろうと想像すると心が躍る程に嬉しかった。・・・実際は、ただの変態親父の顔をして買いに行っていた訳だが。
 開封し上記の「ベビーフェイスでなんちゃらかんちゃら」の台詞を聞き、黄瀬の機嫌は一気に急降下した。下心です!と青峰の顔には太文字で大きく大きく書かれており、しかも追求すればやはり青峰がふたりの付き合い出した記念日など覚えている筈もなく、何でも知ってる幼馴染みの桃井にリサーチをかけたのだと言う。がっかりである。本当に、がっかりである。
 黄瀬は布と呼ぶのも烏滸がましいただの糸と紐の不完全な集合体を全力投球で投げ捨てた。いそいそと拾いに行く青峰の背中に中段前蹴りを捻り込み、その日からこうして、ふたりの攻防は開始されたのだ。


 青峰はそれを、忘れている事もあるし、ふと思い出す事もある。自身の恋人が世に輝くトップモデルであるということをだ。
 普段の生活においての黄瀬涼太とは、まあ常時その目を見張る程のお綺麗な顔と身体であることは別として、至って普通のただの男だと青峰は思う。驚くかもしれないが、なんとキセリョだって一日最低2回は便所に行く。朝は髭剃りをするしコーラを飲めばゲップもした。ただオナラはまだ聞いた事がない。もしかしたらキセリョまでなるとオナラはしないのかもしれない。
 兎に角、黄瀬はただの男の顔をしていつも青峰の前に在った。青峰はそうしていると自然と黄瀬のモデルと言う顔を忘れ、目の前の男をただの愛しい愛しいステディであると認識する。このふたりの家のなかだけは、外の世界の耳をかき混ぜる騒音に邪魔されない特別な空間なのである。玄関で安堵のひと呼吸をし、普段纏っている全ての肩書きや重荷を捨てる。相手という存在だけを抱きかかえる。
 ――とは言え。とは言え、青峰の恋人は世界を股にかけたモデル様なのである。
 これを青峰はこの上もなく幸せな事だと思う。青峰大輝はどうしようもない幸せ者だ。しかし青峰は不満にも思うのだ。時折ふと思い出すよう、黄瀬の美しさを再確認する。そして折角その美しいモデルの恋人がいるのに、俺はその恩恵を余り得られていないんじゃないか、と。
 人が聞けばなんとまぁ贅沢な話を、と笑うかもしれない。しかし青峰は本気で考える。だって青峰の前の黄瀬はいつだって"モデル"という顔を脱ぎ去ってとてもとても無邪気に笑っている。それも最高な事だと思う。キセリョのダッサイ芋ジャー姿なんてもの知っているのは青峰ぐらいであろう。恋人はそこまで気を許してくれている。でも!それでも!
 青峰は、"モデル"という顔をした黄瀬涼太も、また好きなのだ。
 だから時折でいいから見せてほしい。これも恋人の特権だろう。モデルの美しく神々しいまでの澄まし顔を、たったひとりの為に現してくれ。これはぜんぶ俺のもんだって、独占欲と優越感に溺れさせてくれ。
 ――――と、まぁ青峰大輝はセクシーランジェリー専門店のきらびやかな店舗内でそのような事をかいつまんで店員に説明した訳である。
 当然、その時のこれ以上ないというほど脂下がった顔と言ったら。


 バンッ!とその者の怒りを表したかの様な盛大な音がバスルームの方から響き、続きドスドスと廊下を歩いて来る音がする。青峰は先程から上がりっ放しの口角をますます引き上げて、自身でも自覚あるくらいには意地の悪い顔をした。
 これまでは惜しくも苦汁をなめさせられてきたが、今回は違う。今回の俺はひと味違う!予備の洗剤や黄瀬の化粧品類が並ぶ棚の奥の奥まで、脱衣所の隅の隅までチェックしてすべての布類を撤去した。その過程で偶々発見した編み目の細かい大振りの洗濯用ネットを発見しこれもリビングに持ち出して来ている。危ない危ない、ネットとは盲点だった。細かい編み目と大物も入るサイズ故これを見逃していたら今回もまた悔しい敗北を喫するところだった。
 廊下の奥から人影が覗く。リビングの大きな磨りガラスがはめ込まれた扉越しに肌色の塊を見て、青峰は念願の勝利を確信する。
 店員に口頭(と身振り手振り)の説明のみでサイズやデザインを伝えた特注品だったが、サイズ感などに心配はない。ちゃんとしたpは知らないが黄瀬のバストやウエストの大きさなら正確に表現出来る自信が青峰にはあった。腕で抱いた時、手で掴んだ時にこういう感じだから……と。最初は引き気味だった店員も最後には青峰と熱い握手を交わし「絶対に良いものをつくります!」と約束してくれている。沸き上がる期待にソファから身を乗り出す。ガチャリ、と回転する扉が厭にゆっくりと青峰の目には映った。

 ――――一度目は舌を打った。二度目は溜め息を吐いた。三度目は天井を仰ぎ、そして四度目、青峰はなんとも言えない顔をしていた。口元に力が籠っているが、その口が弧を描くべきかへの字を描くべきか両者がせめぎ合い結局はとても微妙な表情に納まる。
 リビングに現れた肢体は確かに日本が世界に誇る圧倒的均整のとれた、神々しいまでに美しいモデルのそれだった。
 しかし、青峰が期待していたものはそこにはない。
 高飛車な顎の角度で堂々と腰に手を当てた黄瀬がそこにいる。真っ白なベビースキンを晒し、秀麗なベビーフェイスで青峰を睥睨する。どうだと言わんばかりの存在感。たしかにそれはそのままどこかの雑誌の巻頭を飾れるほどに完成された構図と佇まいだった。

「タオル」

 端的に一言、黄瀬が傲然と言い放つ。
 青峰の口角が下がる。やはり弧を描く事など出来ない、への字にぐっと下がった口元で青峰は精一杯の不満を訴える。
「タオル」
 しかし黄瀬がそれに取り合う事はなく、今一度そう繰り返すと尊大に首を傾げ腕を差し出した。渋々とそこにソファで山を為した中からバスタオルを抜き出しかける。水滴を纏った身をようやくといった感じで黄瀬は包み込み、その裸体の下半身を隠した。
 なにも纏わぬ生まれたままだった姿が覆われる。
 青峰はとうとうグッと唸ってソファに突っ伏した。

「おっまえ、違うだろーがよぉ!なんか……なんか!なんか違ぇだろ!」
「ハッなにが?」

 黄瀬が鼻で笑う。キッチンに引き返し気に入りのミネラルウォーターを呷り息を吐く。
「ていうか青峰っち廊下拭いといてよ。あんたがタオルもマットも持ってくから脱衣所からここまでびしょ濡れなんスけど。」
「〜〜っだからぁ、お前は!男の夢とか!ロマンとか!」
「知らねー」
 ソファに舞い戻りタオルの山から着替えを発掘するため身を屈めた黄瀬の身に、纏われている筈のレース地は欠片もなかった。脱衣所から出て来た黄瀬は裸だったのだ。潔くなにも纏わず、その瑞々しい風呂上がりの肌色を晒して青峰の前に現れた。これが普段であれば青峰も素直に喜べたのかもしれない。しかし変な方向に跳ね上がっていた期待値は予想外の方向に裏切られ、これから元気になる予定だったモノ共々青峰はしおしおとソファから滑り落ちリビングのラグに沈んだ。
 それを傍目に黄瀬はすっかり寝間着に着替え終わると、倒れ伏した青峰を見て足刀から技を変更し最後に容赦ない踏みつけを行なって、悠々と寝室へ消えていった。

めでたし!





/おまけのちょろエロ


 バスルームに乱入して来た青峰が無情にも投げ捨てた寝間着達が湯船の上に浮いている。湯煙の巻くなか黒の四肢を晒した青峰が、ほの薄く桃に染まった黄瀬の白い肌を強く掴んで薄いレース地を押し付けた。ストリップを要求する彼に口論の末折れたのは黄瀬の方で、舐め回す様な熱い視線を感じながら黄瀬はそれを纏う。
 モデルという仕事を長らくやっているが、初めて袖を通す衣類だった。否、衣類とも呼べぬようなそれは心許ない透け色の――――ベビードールだ。
 着用するとレース越しに形を露にしている自身の性器を目の当たりにして黄瀬は青峰に対し思わず羞恥で背を向けた。レースとTバックを纏った後ろ姿のあられもさも忘れて。
 このシチュエーションにすでに兆しを見せた男の欲望の形がどこまでもどこまでも卑猥だった。しっとりと濡れた金の陰毛が黒のレースに絡む。浴場内にある大鏡が蒸気に曇っているのを救いに、黄瀬は振り向く事を頑として拒む。
「きせ」
 青峰の、ずるいほどにやさしい声音がそっと背後から迫ってくる。ゆっくりと密着した四肢。後ろから包むよう抱き締められる。黄瀬は知っていた、自身がこの声からどうやってでも逃れられないという事実を。
「きせ」
 うなじを食む様に一度キスした後、青峰は長い腕を伸ばし正面の鏡に手を押し当てる。
「やめて、」
 震える小さな声で訴えた黄瀬は無視されて、青峰は鏡の手をずるりと大きく滑らせた。青峰の大きな手で引かれた太い一線。蒸気の払われた鏡がその鏡面を露にする。鏡の中の黄瀬は、真っ赤に染めた顔でとろりと青峰の腕を受け入れていた。
 見ろ、とでも言う様に抱き込む腕が強くなる。黄瀬はそれに縋る。その手付きすら――
「見ろ、この顔。」
 言い逃れ出来ぬほどに、欲情しきっていた。


 鏡が映し込む淫靡な光景に目を逸らしながら、鏡がくれるひやりとした冷静に必死になって縋る。
 悪戯に黄瀬の髪の毛を食んだ青峰が鏡越しに黄瀬に笑いかける。獰猛な笑み。補食のため伸びた犬歯が唇から覗くようだった。それにすら熱を煽られる。
「あ、ぁ・・・っ」
 息をする度に出したくもない声が漏れて、黄瀬は首を振る。口を閉じたい、誤摩化したい、でも青峰の腕は逃げるのを許してはくれない。レース越しに掻く様に胸をまさぐられ、擦れる荒めの生地に乳首が真っ赤に腫れ上がっているのが鏡に映る。はしたない、はしたないはしたないはしたない、黄瀬の頭がその言葉で席巻されて、そしてその心の奥の奥の方に自身の本心を見る。もっと、はしたなくして。
「もういいか?」
「ん、ぅん、だいじょぉ、ぶ」
 長い指が埋まっていたそこは鼓動に合わせる様に柔くうねり侵入するものすべてを歓待しているようだった。指が抜けてもぽっかりと空いた入り口に青峰の欲望がキスをする。ちゅ、と聞こえる筈のないリップ音が浴場に響く。遊ぶ様に幾度か青峰はキスを繰り返し、それに黄瀬の長い脚が焦れったく震えた瞬間、押し入る。
「――っ!」
 肺を大きく開いて背を湾曲させた黄瀬が声にならない息を漏らした。輝いていた鏡面がまた曇る。熱が、上がりきっていた。
「く、っん、きせ、」
「っひ、ぃん…は!ぁ、あおみっ」



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