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穢せ、サンクチュアリ

風邪をひいて休んだ翌日、名前は嘘のように元気になっていた。もしかしたら本当に牛島にうつしてしまったかもしれない、と不安になっていたのは、ほんの数分前のこと。自分の部屋を訪ねてきた牛島は、普段と何ら変わりない様子だった。


「もう風邪は治ったのか」
「うん、大丈夫。若利君にもうつってないみたいだね?」
「だから言っただろう。俺はそんなにヤワじゃない」
「ふふ…そうだね」


さすがというべきか、牛島にはウイルス菌ですら敵わないらしい。名前はその様子に安堵すると、部屋の鍵を閉めて牛島とともに体育館へ向かって歩き出した。
会話が弾まないのはもはやお決まりのことなのだが、今日の牛島はいつもと違っていた。飯は食えたのか、無理はするなよ、昨日の授業のノートがいるなら俺が貸す等々…信じられないことに、ひどく饒舌なのだ。名前は不思議に思ったものの、発言自体に不審な点はないし、そういう時もあるのだろうと思い、特に気にすることなく会話を楽しんだ。
さて、一方の牛島はというと、なぜこんなにも口が動くのかと、自分のことながら困惑していた。会話自体が嫌いなわけではないが、自分から話題を振ることには全く慣れていないはずなのに、今日はどうしてこんなにもペラペラと喋っているのか。牛島は、1つの結論に至った。まさかとは思ったが、それしか考えられない。自分は、緊張しているのだ。名前と2人で話す、というこの状況に。
今までも幾度となく2人で会話をしてきたし、なんなら部屋で2人きりになることもあった。それなのになぜ今更、と思うが、原因は昨日お見舞いに行った時のことにある。あの時の名前の表情や雰囲気が牛島の脳裏にこびりついていて、それを思い出すたびに触れたくて堪らなくなってしまうのだ。
さすがの牛島でも、人前でキスやそれ以上のことをする勇気はない。けれど、今の状態では気を抜くと場所など気にも留めず手を出してしまいそうで、そんな事態を招かないためにも、牛島は気を紛らわそうと無意識の内に必死になっていたらしい。恋愛とは厄介なものだ。牛島はそんなことを考えていた。


「若利君、それで、今日の夜なんだけど…」
「…すまない、聞いていなかった」
「珍しいね。何か考え事?」
「……。今日の夜が、どうかしたのか」
「あ、そうそう。昨日お見舞いに来てくれたでしょう?だからお礼に夜ご飯をご馳走しようかなと思って」
「俺は何もしていない」
「そんなことないよ。来てくれただけで嬉しかったから。それとも…夜ご飯、いらない?」
「……わかった。行く」


満足そうに笑う名前に牛島の胸がざわついていたことなど、名前は知る由もない。それでも体育館に着いた2人は、いつものように選手とマネージャーとして接するのだった。


さて、放課後の練習も自主練も終えた2人は、朝の約束通り名前の部屋に来ていた。名前は牛島に座るよう促すと、足早にキッチンへ向かい夜ご飯の準備に取り掛かる。毎度のことながら手際よく料理をする名前を、牛島は無言で見つめながら思案していた。
この状況で、自分はこれからどうするべきだろうか。夜ご飯を食べて、それから…それから?それから何だというのだろう。何しろ恋愛に関してはまるでど素人な牛島だ。自分の中で燻る気持ちを処理する方法が分からない。
悶々と考えているうちに名前はあっと言う間にハヤシライスとサラダを作り終えていて、テーブルの上には美味しそうな料理が並べられている。お待たせー、と言いながら台所からやって来た名前とともに、牛島は黙々とご飯を口に運んだ。


「今日の若利君、朝はおしゃべりだったね」
「…そういう時もある」
「珍しいからびっくりしちゃった。もうお話してくれないの?」
「何を話せばいい?」
「うーん…あ、じゃあ、私が休んでる間、若利君寂しかった?」


悪戯っぽく笑いながらそんなことを尋ねてくる名前に、牛島は思わずハヤシライスを食べる手を止めた。そういえば名前がいなかった1日は随分と長く感じたし、何が起こったか全く覚えていない。それはつまり、寂しかったということになるのだろうか。そんな感情を抱いたことのない牛島には判断できなかった。


「そうかもしれないな」
「え?」
「名前がいないと練習に集中できなかった」
「そう…なんだ」


名前は冗談できいたつもりだったため、まさか真剣な顔でそんな返事をもらえるとは思っておらず、照れくさいような嬉しいような、複雑な心境で食事を進めた。牛島もまた、それ以上は何も言わず、2人は無言でハヤシライスとサラダを口に運んでいく。そうして食事が終わった頃、名前はお茶を注ぎながら牛島に声をかけた。


「お茶飲んだら帰る?」
「……帰らない」
「え?あ、まだ食べ足りなかった?」
「いや」
「えーっと…じゃあ…他に用事でもあるのかな…?」


少し戸惑った様子で小首を傾げた名前は牛島の顔を覗き込む。その言動が、牛島にはひどく愛らしく映ってしまった。
名前の腕を取って身体ごと自分の方に引き寄せた牛島は、荒々しく口付けを落とす。それはもはや本能以外のなにものでもなかった。今までしてきたそれとは違い深く濃密なキスに、名前は苦しくなって牛島の胸をトントンと叩く。けれど、牛島の唇は一行に離れる気配がない。
いよいよ酸欠になりそうになった頃、やっとのことで解放された名前は、肺に酸素を取り込むために必死で呼吸することしかできなかった。自分がこんなにも苦しいのに息一つ乱していない牛島を、名前は恨めしそうに見つめる。


「わか、とし、くん…、急に、苦しい、よ…」
「治ったらキスしても良いと言ったのは名前だろう?」
「…そう、だけど…、」


いまだに整わない呼吸のまま、今更恥ずかしくなって顔を赤く染めていく名前。抗議の意味を込めてなのか牛島を睨んでいるけれど、その瞳は潤んでいて逆効果だ。
名前は次の瞬間、ひょいっと抱き上げられるとベッドの上に放り投げられ、見上げた視線の先には天井ではなく牛島の顔が広がっていた。まさか、そんな、馬鹿な。これからの事態を察知した名前は身体を強張らせる。


「ちょっと待って、若利君、まさかとは思うけど、なんで、」
「好きならしたいと思うのは当然だろう。俺だって男だ」
「あの、でも、」
「嫌なのか」
「いやじゃないけど、私、その、初めて、だし、」
「俺もだ」


真顔で。照れた様子もなく。牛島はそう言い放った。名前は益々パニックに陥る。お互い初めてで今から行為に及ぼうというのか。いつか読んだちょっといかがわしい内容の漫画と学校で教わった性教育の知識しかない自分と、もはや何を知っているのか見当も付かない牛島で、果たして大丈夫なものなのか。
焦る名前をよそに牛島は着々と準備を進めていて、どこから取り出したのか避妊具を枕元に置いている。そんな生々しいものを何食わぬ顔でセッティングしないでほしい。名前は困り果てていた。


「ほんとに…する、つもり…?」
「駄目なのか」
「だって…やり方とか、ちゃんと知らないし…」
「名前は寝ているだけで良いだろう?」
「え、いや、そういう問題じゃ、」
「何を躊躇う必要がある?」
「それは……、」


改めてきかれると、なぜだろう。名前は返答できなかった。別に結婚してからでなければ受け入れられない、なんて堅苦しいことは思っていない。自分は牛島のことが好きで、牛島も自分のことが好きで、それならば確かに躊躇う理由はないようにも思う。
恐らく、怖いだけなのだ。まだ踏み入れたことのない領域に行ってしまった時、自分がどうなるのか。牛島は自分を受け入れてくれるのか。それが、分からないから。


「…怖い、から」
「俺が怖いのか」
「違うよ。自分がどうなっちゃうのか分からないし、もし、それで若利君に、嫌われたりしたら、」
「嫌わない。俺は名前のことが好きだ」
「……若利君…」


名前はそこで初めて、牛島がいつになく焦っているような、余裕のない様子に気付いた。もしかして、自分では気付いていないかもしれないけれど、牛島も緊張していたり恐れていたりするのかもしれない。それでも自分を求めてくれているのだとしたら。
名前は急に、心が軽くなるのを感じた。牛島は良くも悪くも、常に自分のことを大切にしてくれている。それが2人きりの時だろうと周りに大勢の人がいる時だろうと、関係なく。だから、きっと、大丈夫。


「あの、」
「なんだ」
「優しく、して、ほしいです…」
「……善処する」


名前の申し出を肯定と捉えた牛島は、ほんの一瞬だけ口元を緩めると名前のシャツのボタンにそっと手を伸ばした。



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