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はじめまして、
恋ですか?


04天変地異の前触れ、は言い過ぎか。







11月もあっと言う間に下旬に差し掛かり、一気に冬の足音が聞こえてきた。俺の日常は特に何の変哲もなくて、もっと言うなら名前ちゃんとの関係にも変化はない。そもそも客と店員、野球選手とファン、それ以外の関係などないのだから発展のしようもないのだけれど、俺は相変わらず定食屋に通い続けている。何度も言うが、それは飯を食いに行くためだ。それ以外の理由はない。…たぶん。
そんな、とある平日の夕方。俺は珍しく街中に来ていた。新しい練習着を買いに行くためだ。行く店は決まっているのでさっさと行ってさっさと帰ろう。そう思って足早に歩いていた時に、道路の向こう側に見覚えのありすぎる女性を発見した。名前ちゃんだ。そういえばカフェで働いていると言っていたからこの辺りにあるのかもしれない、と思ったところで、名前ちゃんの隣に、恐らく俺と同じぐらいの年齢であろう男性がいることに気付く。何やら楽しそうに話している様子の2人を見て急にイライラし始めたのはなぜだろう。
俺と話す時はあんなにリラックスしていない。笑顔も自然体じゃない。なんだよ、彼氏いんのかよ、じゃあ言えよ、なんて。別に俺への報告義務などありはしないのに、そんなことを思ってしまった。あの子に出会ってからの俺は意味不明だ。情緒不安定とでも言うのだろうか。こんな感情を抱いたことなど、今まで1度もない。自分のものでもないのに、取られた、と思った。それは俺のだって。そんなことを言う権利なんてないのに。
イライラ。イライラ。買い物中も、仲睦まじく歩いていた2人の光景が脳裏を過ぎってイライラは収まらない。それどころか益々ひどくなる一方だ。そんなぶつけようのない感情をどうにかしたいと思ったからだろうか。買い物帰りに俺が足を向けたのはいつもの定食屋だった。夜ご飯時にはちょうどいい。彼女はいるだろうか。会いたいような会いたくないような複雑な心境がとぐろを巻く。


「いらっしゃいませー」
「……いつもの」
「はい!すぐにお水お持ちしますね」


いた。つい数時間前に他の男と楽しそうに歩いていた彼女が、今は営業スマイルを携えて俺の元に水の入ったコップを持ってきている。昼間の光景を見たせいだろうか。今日はなんだかいつもより彼女の機嫌が良いような気がして、また腹が立ってきた。
俺は、いつもはポケットから出すことのない携帯を取り出して意味もなくたまったメールをチェックしてみたりしてどうにか気を紛らわそうとしたけれど、そんなことではどうにもならず。料理を運んできてくれた彼女に、わけの分からない子どもみたいな八つ当たりをしてしまった。


「今日、機嫌良さそうじゃん」
「そうですか?」
「彼氏とデートでもした?」
「そんな…彼氏なんていませんよ」


白々しく嘘を吐く彼女に、イライラは増すばかり。よくよく考えてみれば、彼女が俺に嘘を吐く理由なんてないし、そもそも彼女は嘘を吐けるようなタイプじゃないことぐらいすぐに分かることだった。その時の俺はどうかしていたのだ。冷静さの欠片もない。


「今日の昼、見た。嘘吐く必要ねぇじゃん」
「今日の昼…?」


刺々しい俺の物言いに文句を言うこともなければ、避けようとしてすぐに立ち去るわけでもなく、彼女は昼間の出来事を思い出しているようだった。そうして、漸く全てを思い出したらしい彼女の口から出てきたのは。


「今日の昼は店長と買い出しに行ったぐらいなんですけど…」
「は?店長?」
「背が高めの、ちょっとひょろっとした人じゃありませんでした?」
「よく見てねぇけど、そんな感じだった気もする」
「店長、若く見えるのでよく彼氏に間違われちゃうんですよね」
「なんだよ…紛らわしいな…」


なんとも恥ずかしい間違い方もあったものだ。何をそんなにイラつく必要があったのか、今となっては理解できない。普通に、今日の昼見かけたんだけど一緒にいたのって彼氏?とでも尋ねれば良かっただろうに、あんな嫌味ったらしい言い方をして。しかも、彼氏じゃないことが分かって勝手にホッとしているなんて、本当にどうかしている。名前ちゃんは理不尽に八つ当たりをされたにもかかわらず、すみません、と俺に謝罪してきて、罪悪感が募るばかりだ。
名前ちゃんからしてみれば、自分に彼氏がいようがいまいがお前には関係ないだろって感じだと思うし、実際その通りで間違いない。それなのに、怒るどころか謝ってきたりなんかして。そういえば、名前ちゃんはいつも俺に謝ってきてばかりだなと今更になって気付く。何も悪いことをしていないのに彼女を謝らせるようなことばかり言っているのかと思うと、俺はなんだか自分がこの上なくちっぽけな男に思えてきて情けなかった。


「御幸さんは、何かあったんですか?」
「…なんで?」
「いつもよりちょっと元気がなさそうだったので…」
「何もなかったけど」
「じゃあ私の勘違いですね」


余計なこときいちゃってすみません、と。彼女はまた謝った。まるで口癖のように、すみません、と言う。俺に気を遣っている証拠だ。
本当は元気がなかったんじゃない。勝手にイラついていただけ。名前ちゃんに彼氏がいるんだって思って、それで、イライラした。なんで?なんとなく分かってはいた。その理由に。でも、自信がなかった。その感情には初めて行き着いたから。
イライラした理由は、嫉妬だ。自分のものだと思っていたものが他人のものになってしまった。そう思って、取り返したくなった。勿論、名前ちゃんは俺のものじゃない。でも、俺のものにしたいと思っているから、嫉妬なんてくだらない感情が生まれたのだ。俺のものにしたい。それはつまり、俺が彼女のことを、好きだということなんだろう。
いつどこでどのタイミングでそんな感情が芽生えたのか。もしかしたら最初に出会った瞬間から、ああこの子は他の子と違うなって、何かしら感じていたのかもしれない。俺のファンのくせにきゃあきゃあ言うこともなければ、周りの誰かに自分と俺との関係を言いふらす素振りもなく、俺の迷惑にならないようにといつも考えてくれている。きっとそれは当たり前のことのようで、誰にでもできることじゃない。そんな名前ちゃんだから、気になって仕方がなかった。そして、好きになってしまった。この歳になって、初めて。人を、好きになってしまった。


「御幸さん?食べないんですか?」
「…いや、食うよ」
「ごゆっくりどうぞ」


優しく笑いかけてくる彼女を見て、再度確信する。俺は本当にこの子のことが、名前ちゃんのことが好きになってしまったんだって。この28年間、野球一筋で恋愛になど全く興味がなかった。好きだと言われたことは何度もあるけれど、自分からその感情を抱いたことは1度もない。これが、恋というやつなのか、と。この歳にして気付いてしまった。なんと滑稽なことだろう。
食事はいつも通り美味しかったんだと思う。が、味は覚えていない。会計もちゃんとしたはずだが、その記憶も曖昧だ。ぼーっと考えていた。この気持ちの整理をしなければと、ひたすら考えていた。名前ちゃんのことを。俺らしくない。こんなに考え込んだり、これからどうしようかと迷ったりするなんて。恋愛ってのは俺が思っていた以上に難しいものらしい。
こんな状態だったから、俺はすっかり忘れていた。定食屋の机の上に携帯を置きっぱなしにしていたことを。珍しくポケットから出したりするからこんなことになるんだ。でも、それすらも、もしかしたらシナリオ通りだったのかもしれない。誰の書いたシナリオかは分からないけれど。

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