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la derniere grande bouffe


鉄朗とまともに話さなくなってから2日ほどが経過した。あれから、私と鉄朗は無言で鉄朗の家に戻ると、簡単に挨拶を済ませてからそれぞれの自宅に帰った。当たり前のことながら、車の中でも会話らしい会話はなかった。
私じゃ分かってあげられない、と。あの時、私はそう言った。事実、鉄朗の考えていることは私には全く分からないし、そもそもどういうつもりで私と付き合い始めたのかも定かではない。好きだと言ってくれたのは嬉しかったし、その言葉に嘘はないと信じたい。けれども、信じきれない自分がいるのは、なんとなくからかわれているというか、遊ばれている気がしないでもないからだ。
2人きりの時は、まあ、それなりに良い雰囲気になっても構わないし、私だって求められれば嫌な気持ちはしない。しかし、会社や土曜日のように沢山の人達がいる場では、もっとこう、私の気持ちを汲んでくれても良いと思ってしまう。
いつか鉄朗に、なぜ恥ずかしげもなく公共の場で大胆なことができるのかと尋ねたことがある。答えは、見せつけたいから、という至極シンプルなものだった。独占欲の表れとも言えるその発言に、その時の私は、そうか愛されているからなのかと照れながらも納得したけれど、よくよく考えてみれば私の気持ちを無視してやりたい放題の鉄朗が、本当に私のことを考えて愛してくれているのかは甚だ疑問である。
そんなどんよりした気持ちを抱えて迎えた月曜日。職場が同じだと否が応でも鉄朗と顔を合わせてしまうので仕事に支障をきたさないかと不安だったけれど、その懸念は杞憂に終わった。なんでも鉄朗は、上司と共に外出したきり帰ってきていないらしい。営業に連れ回されているのかなあ、と、鉄朗の顔が頭を過る。あまり考えないようにしていたけれど、ふとしたきっかけで思い出してしまうと、鉄朗のことが頭から離れないから困ったものだ。


「そういえば名字さん、仕事どうするんですか?」
「え?何が?」
「え?何がって…ああ、今日まだ黒尾さんに会ってないんですか?」
「そうだけど…何?仕事どうするって…」
「いえ!なんでもないです。黒尾さんから聞いてください」


後輩の意味深な発言に、私は首を傾げる。仕事どうするんですかって、どういう意味だろう。どうもこうも、頑張るしかないんですけど。鉄朗に聞けって、何をだ?
疑問は浮かべど、答えはひとつも出てこない。幸い、私と鉄朗が微妙な状態だということは、たぶんバレていない。全く接していないのだから当たり前と言えばそうなのだけれど、いつまでも隠し通すことはできないだろう。早めに、どうにかしなければ。
私が心の中で小さく決意した時だった。オフィスの部屋の入り口の方が少しざわついて、上司と共に鉄朗が帰ってきた。私はなんとなく緊張してしまう。ほんの一瞬、鉄朗と目が合って。けれど、すぐに逸らされた視線。それは、一体何を意味しているのだろうか。
結局、鉄朗とはそのまま話す機会がないまま終業時刻をむかえてしまった。何の約束をしていなくても一緒に退社するのが定番化していたけれど、今日はどうするべきなのだろう。
私は、特にやることもないくせに、のろのろとデスク整理をして時間を潰す。あわよくば、鉄朗の方から連絡をしてくるかもしれない、と思っていたのだけれど、スマホは静かなままだった。


◇ ◇ ◇



翌日。私はすっきりしない頭で出社する。昨日は帰ってから久し振りに1人で晩酌を楽しんだから、そのせいかもしれない。決して、鉄朗のことで思い悩んでいて眠れなかったからではない。絶対に。
こんな日に限って元気一杯の後輩は、私が出社してくるなりワクワクした様子で近付いてきて、挨拶もそこそこに突拍子もないことを言ってきた。


「黒尾さん、さすがうちのエースですね!大出世のチャンスじゃないですか!」
「え?何のこと?」
「とぼけないでくださいよー。栄転するって話、もう噂になってますよ?」
「は?え?そうなの?」


またまたー、なんて言いながらヘラヘラ笑っている後輩の声は、もう私の耳には届いていなかった。鉄朗が栄転するなんて、そんな話は全くきいていない。噂も、今初めて聞いた。
そこで私は、漸く昨日の後輩の発言を思い出す。仕事どうするんですか、って、栄転する鉄朗について行くのか、ここに残るのか、どうするんですかって意味だったんだ。
呆然としている私を見て、後輩はさすがにおかしいと思ったのか、名字さん?と何度か声をかけてきた。私は、はっと我に返る。


「ごめん、ぼーっとしてて…」
「まあそうですよねー。考えちゃいますよ。栄転とは言え、経験積むために1年ぐらい海外店舗に行くんですっけ?彼女としては悩みますよねー」
「海外……1年…」
「それで、名字さんはどうするんですか?」


後輩の混じりっけのないストレートな質問に、私は固まる。どうするも何も、私は鉄朗からその話を聞いていない。海外に1年行くなんてことも、勿論初耳だ。
フリーズしている私を見て、後輩は、昨日の今日だからまだ決められませんよねーすみません、と勝手に勘違いしてくれたらしく、いまだに状況が整理できていない私を残してどこかへ行ってしまった。
鉄朗と、今、微妙な空気の中、タイミングを見計らったかのように栄転の話。そりゃあ、今の状態からすれば言いにくかったのかもしれないけれど、こんな大事な話を本人からではなく噂で聞いた、一応彼女の私の身にもなってほしい。
これはさすがに、気まずいだとか言っている場合ではない。私は鉄朗に、話がしたい、とだけメッセージを送った。直接話をしなければ、何が何だかさっぱり分からない。
けれども、メッセージは既読になったのに鉄朗からの返事は一切ないまま昼休憩になり、あっと言う間に終業時刻になってしまった。所謂、既読スルーというやつである。待てど暮らせど、今日も鉄朗はオフィスに顔を出さないし、これは一体どういうことだ。
私の中で、嫌な予感がした。もしかしてこれを機に、私と別れるつもりじゃないだろうか。ちょうど良く…とは言いたくないが、微妙な空気であることに間違いはないわけだし、鉄朗にとってみれば、私なんかのことを考えるより栄転の話を優先させたいに決まっている。もしかしてこのまま自然消滅を狙ってるとか?……考えたくはないが、大いにあり得る。
私は自分のスマホを祈るような気持ちで見つめた。けれど、勿論、スマホはうんともすんとも言わない。つまり、返事はこない。
私は重苦しい空気を身に纏ったまま、会社を後にした。せめて、何かしらのリアクションがほしい。そんな願いも虚しく、鉄朗からの返事はその日以降も全くなかった。


◇ ◇ ◇



鉄朗が栄転するという噂を聞いてから1週間が経過した。私と鉄朗の関係はというと、何も変わっていなかった。別れ話を切り出されたわけではないが、全く話もしなければ連絡も取っていない。かつて私が鉄朗を避け続けていたことがあったけれど、その時の鉄朗はこんな気持ちだったのかな、と思うと、今更ながらに反省した。
どうやら鉄朗が栄転するというのは本当の話らしく、それゆえに鉄朗は、最近すごく忙しそうだ。周りの後輩達も引き継ぎやら何やらがあるのだろう。すぐにどこかに行ってしまうわけではないにしても、今後のことを考えれば社内がバタバタするのは当然だ。
私も、鉄朗の部署とは直接的に関係はないものの、煽りを受けているのか、いつもより忙しい。仕事をしていると余計なことを考えなくて済むから、それは有り難いことなのだけれど、根本的な解決にはならなかった。


「名字さーん、この会計処理、あっちの部署に持って行ってくれるー?」
「分かりました。ついでにこっちの資料、コピーしてきます」
「助かるー!」


先輩から書類を受け取り、私は隣の部署に届けに行く。そろそろお昼だなあ、と時計を見ながら歩いていたからだろう、私は目の前から近づいてくる人に思い切りぶつかってしまった。手に持っていた書類が床に散らばって、私はそれを慌ててかき集める。


「ごめんなさい、前見てなくて…」
「気ィ付けろよな」
「え……、」
「どーも。お久し振り」


床にばかり視線を向けていた私は、忘れるはずもないその声に、弾かれたように顔を上げた。そこには、少し懐かしくすら感じる鉄朗のニヤニヤした顔があって、なぜか涙腺が緩む。けれども、それを悟られまいと、私は再び書類を集めるフリをして視線を下に落とした。


「返事、できなくてごめんな」
「……忙しいんでしょ」
「ん。ちょっとな」
「あの、鉄朗、私、話があって…」
「今日の夜。時間あるか?」
「…ある、けど、」
「俺からも話がある。付き合えよ」


鉄朗が綺麗にまとめてくれた書類を受け取りながら、私は頷く。鉄朗はそれを満足そうに確認してから、颯爽と去って行った。
話がある、か。それは、つまり、きちんとケリをつけるということなのだろう。たった2週間。されど2週間。鉄朗の声を聞かなかっただけで泣きそうになってしまった私が、遠距離恋愛できるなんて到底思えない。となると、残る選択肢は別れることだけで、きっと鉄朗は、今夜私に別れを切り出すのだろう。
別れたくはない。けれど、このまま一緒にいることもかなわない。どっちにしても、私には鉄朗を手放すことしかできなくて、そう思うと視界が滲んでくる。
私は、鉄朗に何を望んでいたんだろう。どうしてほしかったんだろう。どうなりたかったんだろう。今となっては、もう、よくわからない。
手に持っていた書類を握り締め、私は歩き出した。悩んでも落ち込んでも仕方がない。とにかく今夜、鉄朗と話をしてみなければ。私はその日、信じられないぐらい冷静な気持ちで仕事を進め、定時に退社することに成功した。
化粧も直して、準備は万端。すると、タイミングよく、鉄朗からも仕事が終わったと連絡が入る。私は戦場に向かう兵士の気持ちで、鉄朗の待つロビーへと足を進めるのだった。



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la derniere grande bouffe=最後の晩餐


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