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例えばこんなスタート


あの日から、私は一也君と会っていない。もっと言うなら、連絡も取り合っていなかった。だって、何て言えばいい?何事もなかったかのように、元気にしてる?調子はどう?なんて、とてもじゃないけれど口に出せない。
私なんかが心配せずとも、一也君は夏の敗戦を乗り越えて今頃野球部の練習に励んでいることだろう。もしかしたら私とのことだって、もうなんとも思っていないか、記憶の彼方に消し去ったかもしれない。それなら、良い。けれど、そうじゃなかったら?まだ、あの日のことを覚えているとしたら?そう思うと、野球部の練習を見に行こうという気にはなれなかった。
今日も外は暑い。基本的に冷房の効いた部屋でダラダラと過ごしている私がこうして外に出ているのは、なんとなくアイスが食べたくなったからという、ただそれだけの理由だ。家から1番近いコンビニに入るなりアイスコーナーに直行した私は、どれにしようかと少しの間悩む。限定ものか定番か。帰りながら食べるなら棒タイプが良いかな。くだらないことでこんなにも頭を使っている自分は、案外元気なのかもしれない。


「御幸の彼女…だっけ?」
「え?あ…!」
「俺のこと覚えてるんだ」


突然声をかけられて振り向けば、そこにはいつかも声をかけてきたピンク色の髪をした先輩の姿。詳しくは知らないけれど、引退した先輩というのはどれぐらいの頻度で後輩達の元に顔を出すものなのだろうか。あの敗戦からまだ1ヶ月も経っていないし、気持ちの問題で顔を出しにくいとか、そういうことはないのだろうか。
大きなお世話だろうと思いつつもそんなことが気になってしまい、けれども先輩に直接きくわけにもいかず黙っていると、先輩の方からまた尋ねてきた。御幸の彼女だよね?と。
元々曖昧だった私達の関係は、今や更に曖昧さを増している。彼女。さて、私は今、一也君の彼女なのだろうか。こんな状態で彼女ですと名乗り出ることができるのか。答えは案外簡単に導き出された。


「たぶん、違います…」
「たぶん?」
「元々、そういう関係じゃなかったんだと思います…」
「ふぅーん…じゃあ片想いなんだ?」
「…そう、ですね、」


歯切れの悪い私の返答に先輩は何もつっこまず、ふぅーん、という相槌を繰り返すだけだった。一也君がこの先輩とどれほど仲が良かったのかは知らないけれど、少しぐらいプライベートなことを話したりはしなかったのだろうか。ふと、そんな疑問を抱く。


「先輩は、かず…御幸君と野球以外のことで話をすることってなかったんですか?」
「そんなに話すことはなかったかな」
「そうなんですか…」
「でも、キミのことは知ってた」
「え?」
「練習もよく見に来てたし」
「たしかに…1度お会いしましたし否定はしませんけど…」
「御幸とは特別な関係だと思ってたんだけどね」
「どうして?」
「…それは御幸にきいたら?」


それができないからあなたにきいてるんです、とは、さすがに言えなかった。ただ、ふふ、と。現状において愉快なことなどひとつもないのに先輩が小さく笑うのが不可思議で、何が面白いんですか?と尋ねてみたけれど、笑みを深めただけで返事は何も得られず。もやりと、胸の内でわだかまりができるのを感じた。
それから先輩はあの時と同じように、じゃあね、と言い残して去って行って、私はアイスコーナーにぽつんと取り残される。どのアイスを買おうかと悩んでいた数分前の思考はどこへやら。今の私の脳内を支配しているのはあの先輩とのやり取りと一也君のことばかり。ああ、もう。どうしろって言うんだ。
誰にもぶつけられない感情を吐き出すように大きく吐いた溜息は、涼しすぎるコンビニの中の空気に紛れて消えていった。


◇ ◇ ◇



夏休みはあっという間に終わり、新学期が始まった。相変わらず、暑さは厳しい。じんわりと滲む汗を拭いながら登校した私は、久し振りに会うクラスメイトと挨拶を交わしながら席に着く。
一也君と別のクラスだったのは良かったのか、それとも悪かったのか。新学期が始まっても偶然顔を合わすということはほとんどない。いい加減、きちんと決着をつけなければとは思っている。けれども、いざ一也君に連絡しようとすると固まってしまうのだ。動きも、思考も。
こういう時に限ってほとんど有り得ないはずの偶然がうまれるもので、昼休み、4時間目の体育の時に忘れてしまったものを取りに更衣室へと向かい教室に戻ろうとしたところで、私は一也君にばったり出くわしてしまった。一也君の方も私を見て目を丸くしているところを見ると、偶然の出会いに驚いているようだ。


「久し振り…」
「…ああ」
「練習、頑張ってる?」
「当たり前だろ」
「そうだよね、ごめん…」


会話が続かない。気まずい。忘れ物のタオルを胸の前でぎゅっと握り締め、私は必死に言葉を探した。一也君に会って話さないといけないと思ったこと。何度も考えたじゃないか。


「一也君、あの…あのね、」
「主将になった。野球部の」
「え?あ、そ、そうなんだ…すごいね。さすが一也君」
「正直、俺には向いてねぇと思う」
「そんなことないよ!一也君は誰よりも野球が好きで、練習も頑張ってて、どうやったら皆で勝てるか一生懸命考えてるもん!それを知ってるから皆だって納得してるんでしょ?自信もって!私は一也君、主将に向いてると思うよ!」
「…お前、そういうとこ変わんねぇよなぁ…」


もう1度、きちんと謝ろうと思っていた。謝って、それから、あの日伝えそびれた自分の気持ちをぶつけたいと思っていた。けれどもそれは一也君の突然の報告によって遮られ、今、私は動けずにいる。私よりも背の高い一也君の頭が、ごつりと肩にのしかかっているからだ。まるで縋り付くみたいに。


「かず、や、くん…?」
「文句なら後できくから、もうちょい待って」
「…うん」


文句なんてない。むしろ、このままずっとこうしていてくれても良いと思った。
最初に一也君を傷付けたのは、きっと私の方だ。けれどその分、突き放されて、冷たくされて、私だって散々傷付いた。好きだから何を言われたって、何をされたって良い。そう決心したはずだったのに、その気持ちさえグラついて。その度にまたほんのりと優しさを与えられて手繰り寄せられるから、結局離れられなくて、もっと好きになる。
これもまた、私を手繰り寄せるための罠?明日には突き放されて、冷たくされて、傷付く運命が待ってる?だとしても私は、一也君を拒むことなんてできなかった。理由は簡単。好きだから。ただ、それだけ。


「一也君…私、一也君のことが好きだよ」
「…あ、そ」
「ずっと好きだった」
「他の男になびいたくせに?」
「うん。そう」
「…都合の良いヤツ」


私の肩から顔を上げた一也君は、呆れたように笑う。そして、まぁいいわ、と。何かを諦めたみたいに、けれどもどこか吹っ切れたようにそう言って。何事もなかったかのようにどこかへ行ってしまいそうになったので、私は慌てて引き止めた。


「私、まだ一也君の彼女…なの…?」
「俺のこと、好きなんだろ?」
「うん」
「じゃあ、そういうことで良いんじゃねぇの」
「一也君は…それで良いの?」


返事はすぐにもらえなくて、待っている間にどくりどくりと心音が速くなっていく。


「俺、ああいうこと、お前にしかしたことないんだけど」
「…ああいうこと…?」
「それが答え。じゃーな」


今度こそ去ってしまった一也君と、取り残された私。ああいうことって、さっきのあれのこと?と思い至ったのは、取り残されて数秒後のこと。ねぇ一也君。私、一也君にとって特別なんだって自惚れちゃうよ?
たとえ明日にはこのふわふわとした幸せが嘘みたいに壊されてしまうとしても、夢だったのかもって思わされるほどの絶望が待っているとしても、今この瞬間は幸せだって思わせてね。