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#15




「名前ちゃん?どないしたん?」
「あつむ、さん…っ、つたえたいことが、あるんです、けど…!」
「は?え?もしかして走っとる?」
「いま、どこですか…!」


侑さんが電話に出てくれた瞬間、緊張が走った。けれども、言いたいことを言えずに躊躇っていたら今までと同じ結果を招いてしまう。だから私は、勢い任せに言葉を続けた。侑さんが戸惑うのは仕方のないことだけれど、それすらも構っている余裕はない。
会社を出て家に向かっているところだと言われ、そこまで行きます、と息も絶え絶えに伝え、一方的に電話を切る。侑さんが待っていないかも、なんてことは考えなかった。だって侑さんは、私にひどく優しいって分かっているから。私が困ることはしないという自信があるから。
これは自惚れだ。そして、自惚れであり、事実でもある。現に侑さんは、きちんとそこにいてくれた。走ってきた私に、どないしたん?と、焦ったように声をかけてくる。私は呼吸を整えることに精一杯で、なかなか返事ができない。
伝えたいことがあって来たんです。だから、逃げないで。ここにいて。無意識に侑さんのシャツを掴んでしまったのは、そんな気持ちの表れか。侑さんは逃げないって、分かっているのに。


「あつむ、さん」
「名前ちゃん、なんかあった…、」
「すきです、わたし」
「は…?」
「ちゃんと…、あつむさんのこと、すき、」
「え、は?え?」
「ずっと伝えてなかったから、」


急に電話されて、走って来られて、挙げ句の果てに突然の告白。どれだけ頭の回転が速い侑さんだって、そりゃあ混乱するだろう。けれども、こんな勢い任せでもない限り、私には自分の感情を素直に表出することができなかったのだ。
言った後で羞恥心や走って来たことによる疲労感に襲われたけれど、後悔はしていない。かなり一方的ではあるけれど、きちんと伝えられた。それだけで随分と達成感がある。
走ってきたせいで呼吸はいまだに乱れたままで、私はそれをなんとか整えようと荒い呼吸を繰り返していた。そうして漸くバクバクと脈打っていた心臓が落ち着きを取り戻しそうになった頃、何の前触れもなく身体をぎゅうぎゅうと締め付けられた私の心臓は、またもや忙しなく動き始める。
唐突に、好きです、なんて告白をした私が言えることではないけれど、ここは人目につくお店の前だ。抱き締められている私は視界いっぱいに侑さんの胸板しか広がっていないから見えないけれど、通行人の注目を浴びていることは間違いないだろう。恥ずかしい。ただ、この鼓動の速さは、それだけが原因ではないのだけれど。


「なんで急にこないなことすんねん…」
「ごめんなさい…、」
「ほんま、心臓に悪いやんか」
「そうですよね」
「…で、」
「はい」
「嬉しくて死にそうなんやけど、こっからどないしてくれるん?」


はて。どないしてくれるん?とは。私は自分の目的を達成して満足したわけで、これからどうしようかなんて一切考えていなかった。ゆっくりと私から距離を取って無邪気な笑みを浮かべる侑さんは、プレゼントを貰えると分かってワクワクしている子どもみたい。


「……とりあえず、ご飯食べますか?」
「どこで?」
「侑さんのお好きなところで?」
「ほなうち来てや」
「は?」
「名前ちゃんの手料理。前からずっと食べたかってんもん」
「いやいや、それは…」
「だーいすきな俺のためなのに?できへんの?」


この男、今このタイミングだと断れないと確信して言ってきているな、ということは分かったけれど、悔しいことにいつものように突っぱねることができない私は、侑さんの思う壺だ。別に手料理を振る舞いたくないわけではない。問題はそこではなく、侑さんの家に行くということ。
良からぬ展開になりはしないかという不安と、過去の女性関係が見え隠れしたらなんとなく嫌だなあという、一丁前の嫉妬心。それらが、私の気持ちにブレーキをかける。どうしよう。今から買い物をして、侑さんの家に行く?本当にそれで良い?
依然としてニコニコと笑顔を浮かべたままの侑さんを前に、うだうだと悩んでいる時だった。ぽたり。頬に冷たいものが落ちてきて反射的に空を仰げば、いつの間にか厚い雲が立ち込めているではないか。頬を濡らしたのが雨粒だと分かってから数秒。雨はぽつりぽつりと本格的に降り始めた。今日は朝から快晴だったし、折り畳み傘は会社に置きっ放しだ。


「雨宿りするところ…、」
「うち近いんやけど」
「え、」
「ちょうどええなあ?」
「ちょ、侑さん…!」


有無を言わさず私の手を取って走り出した侑さんは、間違いなく自宅を目指している。それが分かったところで、私は侑さんの手から逃げられないのだから走るしかない。雨脚は強くなるばかりだし、この際だから仕方がないと諦め、私は知りもしない侑さんの家を目指すのだった。


◇ ◇ ◇



侑さんの家はエントランスを見ただけで良いマンションだと分かった。重厚感のある扉を抜けてエレベーターに乗り込んだ侑さんは、慣れた手つきで7階のボタンを押す。お互いなかなかのずぶ濡れ加減で、スーツはクリーニングに出さなければならないだろう。今日が金曜日で良かった。
ふと落とした視線の先にある私の手は、いまだに侑さんに握られたままでいる。振り解こうと思えば簡単にできるけれどそうしないのは、私がその温度を心地良いと思ってしまっているからだ。暑くなってきた外気に晒され雨でじとりと張り付く気持ちの悪い感覚が、侑さんに握られている手だけ不思議と感じられない。
無言のままエレベーターを降りて侑さんに導かれるままマンションの一室へ。玄関先でやっとのことで離れた手は、途端にひやりと冷たくなる。


「ん、タオル」
「ありがとうございます」
「入りぃや」
「…お邪魔します」


ここまで来てしまったからには拒絶するわけにもいかないので、借りたタオルで濡れたところを粗方拭いてから、綺麗な廊下に足を踏み入れる。男の人の家なのに汚いという印象は受けず、どちらかと言うとあまり生活感が感じられない室内。ちらりと見た台所は使われている形跡がないから、あまり自炊をするタイプではなさそうだ。
一人暮らしにしては広々とした室内をキョロキョロと見回していると、背後からガチャリと音がして振り返る。そこにいるのは勿論、家主である侑さんなのだけれど、その格好が問題だった。タオルで髪を拭きながら入ってきた侑さんは、上半身裸。スウェットのズボンは履いているものの、私の視線は上半身に向けられてしまう。


「濡れたスーツ乾かしてもええよ?」
「う、うえ、」
「上?」
「何か着ないと風邪ひきますよ!」
「ああ…シャツこっちの部屋に置きっ放しやったから」


リビングのソファには確かにシャツらしきものが置いてあった。なんだ、それを取りに来たのか。あまり侑さんの方を見ないようにしながら、けれどもそれが不自然に見えないように再び室内を見回す。


「スーツ。脱がへんの?これどーぞ」
「ああ、ありがとうござ…、」
「どないしたん?」
「なんで服着てないんですか!」
「んー?先にハンガーいるかなあ思て」


どうぞ、と渡されたハンガーを有り難く受け取ろうとした私の視界には、先ほども見てしまった侑さんの逞しい上半身。咄嗟のことで顔の逸らし方が不自然になってしまったせいで侑さんの悪戯心を擽ってしまったのか。名前ちゃ〜ん?こっち向いて〜?と、侑さんが声をかけてくるのが煩わしい。
いい加減にしてください!と抗議の言葉をぶつけるべく、思い切って侑さんを睨みつけてやろうと顔を向けたのが運の尽き。口調とは裏腹に真剣な眼差しに射抜かれてしまい、私は言葉を失った。


「意識しとる?」
「なに、を、」
「…俺を。男として」


そんなの、そんな表情できいてこないでよ。狡すぎるでしょう?好きだって自覚した時点で、否、たぶんそれよりもっと前から。私はきっと、侑さんのことを意識していた。男として。
だから答えられなかった。素直に返答してしまったらどうなるのか、その先が分からないのが怖くて。…なんて、うそ。本当はその先をなんとなく想像してしまった自分を、認めたくなかったんだ。


扉のを開け放つのです