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それでは、さようなら

名前には彼氏がいた。強豪と謳われている野球部でキャプテンという重責を担いながら正捕手を務めている、名前にとっては自慢の、御幸一也という彼氏が。けれどもそれは過去の話で、つい今しがた、名前はその御幸一也に別れを告げられたばかりだった。
名前の方から告白したということもあって、常に不安ではあった。御幸は本当に好きだから付き合ってくれているのだろうか、と。けれども、一緒にお昼ご飯を食べたり、たまにではあるけれどメールでやり取りをしたり、そういうことをしているということは上手くいっているのだと、そう思っていた矢先にこれである。
御幸は何をもってして付き合っても良いと判断したのか。そもそも、名前のことを認識していたどうかも危ういレベルだっただけに、名前には何ひとつ分からなかった。そして何も分からないまま、名前と御幸の関係は終わりを迎えてしまった。部活で忙しい御幸に負担をかけぬよう細心の注意を払っていた名前にとって、フラれた理由は皆目見当がつかなかったけれど、理由をきけるほど強い精神力は持ち合わせていなくて。別れたくないと縋り付く勇気もなく、言いたいことだけ言って去って行く御幸の後ろ姿を眺めながら、名前は思った。暫く、恋愛はいいや、と。


そんな出来事があってすぐ、御幸に彼女ができたという噂が広がった。まだ名前の心の傷が癒えていないうちに、まさかそんなことがあるはずはない。別れてからまだ1週間も経っていないのに、そんなにすぐに彼女をつくるなんて、非常識ではないか。
俄かには信じがたく、名前はその噂が本当なのか確かめるべく、御幸の様子をこっそり窺った。そもそも、同じクラスなのに御幸が告白されているところなんて目撃した記憶はない。ずっと監視をしているわけではないので、どこかに呼び出されて…という可能性は確かにあったけれど、クラスで誰かと親し気に話すところは見たことがなかった。昼休憩のざわつく教室内で、御幸はいつもと同じように野球部の倉持と談笑していて、特に変わった様子はないし、やはり、噂はデマだったのか。
さすがに別れたばかりの元カレに、新しい彼女ができたってほんと?ときく勇気はない。きっとあの噂はデマだったのだ。それならば、このまま噂が廃れていけばいい。そう思っていた時、御幸く〜ん!という、甘ったるい声が聞こえてそちらに目を向けた。
その声の主はA組の、同学年では可愛いと評判の女の子だった。たまに雑誌のモデル活動をしているらしく、確かにそのふわふわの髪の毛やぱっちりとした目、白くて細い腕や脚は、男子でなくとも可愛いと思ってしまう。
なぜそんな女の子が御幸の名前を親しげに呼ぶのか。名前の背中に嫌な汗が伝う。もしかしなくても、これは。噂のことが頭を過った瞬間、女の子が御幸の腕を引っ張ってお昼ご飯に行こうと言い始めた。渋々ながらも席を立った御幸ではあったけれど、その表情は満更でもなさそうである。その様子を見て、名前は愕然とした。結局のところ、可愛い女の子には簡単に靡く。御幸もただの普通の男子高校生だったということだ。


「なんだ…ほんとに彼女できちゃったんだ…」


思わずぽつりと呟いた言葉は、昼休憩の喧騒に紛れて誰にも拾われることはなかった。名前が視線を向けていることになど全く気付く様子もなく教室を出て行った2人は、恐らく食堂にでも行くのだろう。
付き合っている時ですら、大勢の人の前で堂々と御幸と行動を共にしたことのなかった名前は、その行動力に感心すると同時に羨望を覚えた。できることなら自分もあんな風に、御幸と付き合っていると胸を張ってアピールしたかった。けれども、自分に自信がない名前には到底そんなことできるはずもなく。もっと努力していれば未来は変わったのかと、今更ながらに後悔を重ねる。
そして気付いてしまった。自分と別れてすぐに彼女を作る御幸は、やはり自分のことなど好きではなかったのだと。きっと遊びだったのだと。気付かなければフラれて落ち込むだけで済んだものを、そのことに気付いてしまったばかりに、名前の中では沸々と怒りという感情が芽生えてしまった。
たとえ遊びで付き合っていたとしても、こんな仕打ちはあんまりじゃないか。付き合っていた自分に対して、申し訳ないとか失礼なことをしているとか、そういうことは思わないのか。可愛い子と付き合いたかったなら、最初から告白なんて受けなければ良かったのに。フラれたのは確かに自分の努力不足だったのかもしれない。けれど、今の展開はあまりにも惨めで。名前の考えはあらぬ方向に進んでいた。
こうなったら御幸に、フったことを後悔させてやる。逃した魚は大きかったと、後になって思い知ればいい。元々の土台が土台だけに、努力したからと言ってどこまで変われるのかは正直分からない。けれど、何もしないよりはマシだと思ったのだ。


「名前?どうしたの?怖い顔して…」
「私、決めたの。今日から自分磨きする!」
「えぇ…急にどうしたの?御幸君にフラれてから頑張っても遅くない…?」
「いいの!」


名前の意図が読めない友人は、席に戻ってくるなり鬼の形相をしている名前に眉を顰めた。そして続く突然の高らかな宣言には、首を傾げるばかりだ。そんな友人をよそに、名前はお弁当を広げると、腹が減っては戦ができぬと言わんばかりに中身をたいらげる。


「もしかして、御幸君に新しい彼女ができたから対抗心燃やしちゃってるとか?」
「対抗心っていうか…ギャフンと言わせてやりたいの!」
「まあ気持ちは分かるけどね…」


察しの良い友人は止めても無駄だと諦めたようで、応援してるわ〜、と間延びした声援を送った。誰に応援されようがされまいが、名前には関係ない。つい数日前まで好きで堪らなかった人は、今日から名前の敵になったのだ。


◇ ◇ ◇



翌日から、名前は早速行動を開始した。髪は丁寧にくるりと巻いて、薄く化粧を施し、スカートの丈も少しだけ短くする。それだけでも、昨日までの自分とは別人のように思えるのだから不思議だ。名前の両親は、一体何事かと娘のことを怪訝そうに眺めてはいたけれど、追求することはなかった。
登校すれば、当たり前のことながらクラスメイト達の反応がいつもと変わる。肝心の御幸はというと、どうやら特に気にしている様子はなくて、がっかりすると同時に、苛立ちも募る。けれども、名前が教室に入るだけで軽くどよめきが起こったのは少し気持ちが良かった。席に座るなり真っ先に声をかけてきたのは、隣の席の男子だ。


「名字さん、おはよう」
「おはよう」
「…イメチェンしたの?」
「まあね」
「女子ってすごいよなぁ…昨日と全然違う」
「おかしい?」
「いや、いいと思うよ。俺は」


それが本音なのか建前なのか、名前には判断できなかったけれど、たとえ建前だったとしても肯定的なことを言われて嬉しくないはずがない。誰かに認められた。それが名前にとっては、何より喜ばしいことだった。


「ありがとう」
「あー…うん…」


にっこりと微笑みを携えてお礼を言った名前にドギマギしながら目を逸らしたクラスメイトが、この瞬間、恋に落ちたことを知るのは、それから数日後のことだった。

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