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青い薔薇をきみに


御幸先輩、もとい一也先輩は、私のことをとても大切にしてくれた。憎まれ口を叩くことは日常茶飯事だけれど、表情も、行動も、私のことを想ってくれているんだということが分かるからほとんどの場合は喧嘩にならない。時々言い合いになることもあるけれど、それは世間一般で言う、痴話喧嘩らしい。友達に相談したら惚気るなと指摘されてしまった。
関係が安定してから暫くして、倉持さんにも会った。世話が焼けるな、と笑っていた倉持さんは、一也先輩の良き理解者なのだろう。倉持さんと一緒にいる時の一也先輩はいつもより少し幼く見えて、心を許しているんだなあということが伝わってきた。
そうしてあっという間に月日は流れ、一也先輩は今日、大学を卒業する。寂しさは勿論あるけれど、それよりも私が抱いているのは不安だった。
一也先輩は今まで住んでいたところを出て、会社近くのマンションに引っ越すらしい。大学からは遠いというほどではないにせよそれなりに距離があるので、今までのように頻繁に会うことはできなくなるだろう。私も就活が本格化してきたので忙しくなってきたし、一也先輩も仕事が始まれば私に構っている暇などなくなってしまうと思う。
物理的距離ができてしまうこと、そして、2人での時間が減ってしまうこと。それらは私にとって不安要素でしかない。けれど、そのことを一也先輩には言えずにいた。言ったところでどうにかなるわけでもないし、そういう話題で微妙な空気になるのは嫌だったのだ。


「一也先輩、卒業おめでとうございます」
「おー。さんきゅ」
「引っ越し準備、進んでますか?」
「まあ…ぼちぼち?」


卒業式も終わり、皆が写真を撮ったり後輩達と話をしたりしている中、一也先輩は早々に帰ると言って喧騒から離れた門の近くにいた。ゼミの人とか、そこそこ交流のあった後輩もいただろうに、人間関係が非常に淡白なところは変わらない。
きっちりと着こなしていたスーツのネクタイを緩め、あー苦しい…とぼやく一也先輩の姿をぼーっと眺める。こんな何気ない姿も、そう簡単には見れなくなっちゃうんだよなあ…。そんなことを思っていたせいだろうか。私はぽろりと口から零してしまっていた。寂しいな、と。
はっとして一也先輩の方を見ると、どうやら私の呟きはバッチリきこえていたらしく、ニヤリと不敵な笑みを浮かべられた。また揶揄うような何かを言われるんだろう。そう思って身構えていた私に、一也先輩は思いがけない言葉を落とす。


「もっと早くそう言えっての」
「え?」
「名前が考えてることなんてバレバレ」
「そんなに分かりやすいかなあ…」
「で、提案なんだけど」


言葉の続きを聞きたくて見上げた視線は、交わらなかった。一也先輩がわざとそっぽを向いたからだ。珍しい。いつも自信満々な一也先輩が、発言を躊躇うなんて。
そこで私は、ハッとした。もしかして、これを機に別れよう、などと言い出すつもりなのだろうか。今までは今までとして、4月から新しい1歩を踏み出そう、とか。先ほども言った通り、一也先輩は人間関係が非常に淡白だ。そう言われる可能性は大いにある。そんなことを言ったら私がショックを受けるだろうと考えて言い淀んでいるのかもしれない。


「あ、あの、私、大丈夫ですよ」
「…何が?」
「何を言われても、大丈夫って意味です。今まですごく、幸せでしたし、」
「は?なんで過去形?」
「いや!今も幸せなんですけど!そうじゃなくて…」
「なんか勘違いしてるだろ」


会話が噛み合っていないとは思った。どうやら私が考えているような内容ではないらしくてそれに関してはホッとしたのだけれど、だとしたら一也先輩が言うのを躊躇う内容ってなんだろう。
はあ、と深く息を吐いた一也先輩は、調子狂う…と呟いた。その声音に怒気は含まれていない。


「今すぐにとは言わねぇけど、こっち来れば?」
「……遊びには行こうかなって思ってましたけど」
「そうじゃなくて。こっちに住めば?ってこと。……一緒に」
「え、いっ、いっしょ、って、」


見上げた一也先輩とは、やっぱり目を合わせることができなかった。どこを見ているのか分からない一也先輩の耳は、なんとなく赤みがさしているような気がする。
混乱しているから整理すると、つまり今の提案は、一緒に住まないかってことだよね?それはイコール一也先輩からの同棲のお誘い?どうしよう!嬉しいけど、嬉しすぎて現実味がない。
少し離れたところでは卒業式が終わり賑やかな世界が広がっているのに、私達の周りだけは静寂に包まれていた。一也先輩はきっと私の返事を待っている。そりゃあ気持ちだけならすぐさま、そうしたいです!と答えるところだけれど、良くも悪くも現実的なことを考えてしまう性格の私は悩んでいた。
同棲なんて始めてしまったら、一也先輩の邪魔にならないだろうか。まだ学生の身分である私のバイト代だけでは家賃や生活費を出すなんて無理だろうし、どうやって生活していくのだろうか。そもそも、今すぐじゃないならいつから?ていうか本気?親に何て言えばいい?
考えれば考えるほど現実から遠ざかっていくのが分かって、自然と表情が曇っていく。あまりにも沈黙が長く続いたからだろう。一也先輩の視線が向けられるのを感じた。と思ったら、眉間をトンと強めに指で弾かれる。痛くはないけれど、突然の出来事に私は目を瞬かせることしかできない。


「くだらねぇこと考えてんな?」
「…くだらなくないです」
「俺は、お前がどうしたいかきいてんだけど」
「どうしたいって…そりゃあ一緒に住めたら幸せだろうなって思いますけど、」
「ん。じゃあ決まり」
「え!?いや、そんな簡単に決めることじゃ…!」
「具体的な話は後で良いんだって。名前にその気があるかどうか、俺はそれだけが確認したかった」


ぐしゃぐしゃと、乱暴に頭を撫でられる。おかげで髪は乱れてしまったけれど、一也先輩の嬉しそうな顔を見たら、そんなことはどうでも良くなってしまった。ああ、私、やっぱりこの人が好きだなあ。一緒にいたいなあ。漠然とそう思わせる表情。つられてふにゃりと頬を緩めた私を視界に捉えたらしい一也先輩は、そういえば、と言葉を続ける。


「俺、もう先輩じゃねぇから。その一也先輩ってのは今日で終わりな」
「え…!急にそんなこと言われても…」
「先輩って呼んだらペナルティー」
「横暴ですよ!」


何を言いだすかと思えば、一也先輩は唐突に意地悪な提案をしてきた。こうなったら暫くは名前を呼ぶまいと密かに誓って、少しずつ帰路につき始める学生達を見遣る。どうせすることもないわけだし、一也先輩は確かこの後謝恩会だと言っていたから帰って支度もあるだろう。
だから、そろそろ帰りますか?と声をかけたというのに、一也先輩は素知らぬ顔。私の声が聞こえない距離ではないだろうに、わざと聞こえないフリを決め込んでいるようだ。私に名前を呼ばせるためだということは明白なので、その手には乗るもんかと、ちょっと、とか、ねぇ、とか、当たり障りない声のかけ方をしてみたのだけれど、反応はやはりない。


「じゃあ私、もう帰っちゃいますからね?」
「…」
「帰らないんですか?」
「…」


だんだんと虚しくなってきて、ちょいちょいとスーツの裾を引っ張ってみる。それでも無視を決め込まれてしまえば寂しさが込み上げてきて、私は小さな声で呼んでしまっていた。一也先輩、と。
途端、スーツの裾を引っ張っていた手が引き寄せられて、端正な一也先輩の顔が視界いっぱいに広がった。にんまりと笑い、ペナルティーな?と囁いた直後、唇が重なって、離れる。なんてベタなペナルティーなんだ、とツッこみたい気持ちは山々だったけれど、帰りがけの学生達がいるところでされた行為に羞恥が募り、それどころではない。幸いにも一瞬のことだったしそんなにジロジロと見られている雰囲気はないけれど、何人かには確実に目撃されてしまっただろう。
一也先輩は涼しい顔をしていて、どこか満足そうだ。それがなんとなく悔しくて、私はつい突っかかるようなことを言ってしまった。


「もしかしてキスしたかっただけですか」
「はっはっは!」
「…分かってますよ…楽しんでるだけだってことぐらい…でも、」
「そうだって言ったら?」
「は?」
「卒業記念に。それぐらい良いだろ?」


こういうところが、ズルいと思う。こんなことを言われてしまったら責めるに責められない。こうなったらもうヤケだと、一也先輩の腕を引いて人気のないところまで連れて行く。


「一也先輩」
「急にどうした?」
「ペナルティー」
「は?」
「私、先輩って呼びました」
「…何?サービス?」
「一也先輩、早く」
「じゃあ…ペナルティー2つ分」


絡み合う温度が好きだ。後頭部に回される手の優しさも好きだ。肌で感じる息遣いも好きだ。一也先輩の全部が、私は、大好きだ。
こんな未来が待っているなんて、過去の自分が知ったらそれはそれは驚くだろう。それこそ、ありえない、奇跡だって。それでも今、私はこうして一也先輩と結ばれて幸せを感じることができている。
この先どうなるかなんて分からない。けれど、少なくとも私は、これからも一也先輩と一緒にいたいと思うんだ。奇跡が終わるその時まで、ずっと。