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99.9%の絶望と0.1%の何か


正直なところ、名前には何もバレていないと思っていた。俺の隠し事に気付くはずがない、と。腹を括っていたとも言えるのかもしれない。けれども俺の予想に反して名前は随分と聡い人間だったらしく、アイツが俺の元を訪れた日を境に、あからさまに避けられるようになった。つまりは、アイツの存在に気付いたということなのだろう。
追求はされたくない。けれど、誤解は解きたい。どちらにせよ、話をしなければ。そう思って取った行動は、最悪の展開を迎えた。
自分から突き放したという自覚はある。もはや反射だった。これ以上、俺のテリトリーに踏み込んでくるな、という牽制。名前にはかなり心を開き始めたつもりでいたけれど、過去のソレを話すのはまだ憚られた。何もやましいことはしていない。後ろめたいこともない。ただ、触れられたくないだけで。


「…私じゃなくて、あの女の人を選ぶんですね」


名前の声は僅かに震えていた。あの女の人、というのは、アイツのことを指しているのだろうか。いつの間に出会ったのか、そりゃあアイツが訪れたあの日しかないのだろうけれど、これで俺の隠し事が簡単にバレてしまった理由には合点がいった。


「アイツに会ったんだな」
「……あの日…御幸先輩の家に行く予定だった日、先輩の家に入っていく女の人を見ました。アイツって、その人のことですか」
「…そう」


名前はひどく傷付いた、というような表情をして見せた。きっと、いや、絶対に名前は勘違いしている。まあ勘違いされても仕方のない行動を取ったのは俺なのだけれど。
名前とアイツを天秤にかけてどちらを選ぶか。それはお門違いな質問だ。名前は名前で大切だし、アイツはアイツで切り離せないものがある。どちらかを選ばなければどちらも失うというのなら、俺はどちらも失う道を選ぶしかない。そもそも、同じ土俵に立つべき2人ではないのだ。そうさせてしまったのは間違いなく俺だから全ては俺が招いたことなのだけれど、生憎俺は、上手に取り繕うことができるほど器用な男ではなかった。


「…先輩の、特別になれたんじゃないかって、自惚れてました」
「は?」
「そんなはず、ないですよね」
「勝手にそんなこと、」
「先輩のこと好きでした」


さようなら。


勝手にそんなこと決めんな。最後まで紡げなかった言葉と、きっぱりと言われた別れのセリフ。好きでした、か。この僅か数分のやり取りの間だけで今までの「好き」という気持ちを過去にできるなんて、女ってのは不思議で、残酷な生物だ。
涙のひとつも流さず足早に去って行く名前を、追いかけることは容易い。けれども、追いかけて、引き留めて、俺は何と言えばいい?俺はもう名前の中で過去の男になったというのに。考え直してくれ?お前が好きだ?アイツよりお前の方が大事だから?そう言って、繋ぎ止められることができたとして。結局、名前にはアイツのことを話さなければならなくなる。話したっていいのだ。いいのだ、けれど。


「あー…くそ…っ」


俺は自分が思っていたよりもずっと、弱くて臆病だった。


◇ ◇ ◇



御幸先輩に言った、さようなら、のセリフは、どのように届いていただろうか。恩着せがましいとか、未練がましいなどと受け取られていなければいいなと思う。
御幸先輩のことが好きだった。今だって変わらず好きだし、好きになったばかりの頃より好きだと思っている自信もある。けれども、だからこそ、よくよく考えてみたのだ。大好きな御幸先輩を困らせない方法、これ以上苦しめない方法。
答えは簡単。私が、離れれば良いだけのことだった。御幸先輩の1番も、特別も、私であってほしかった。今はそうじゃなくても、これから少しずつそんな存在になっていけたらいいなと思っていた。
けれども、どこで、いつ、どんな出会いだったのかは分からないけれど、御幸先輩には既に、私よりも優先させたい女性がいる。私はきっと、必要ない。その選択は正しかったようで、御幸先輩が私を追いかけてくることはなかった。
バタン。最後の方は小走りになりながら家に帰り、玄関のドアを閉めてベッドに倒れ込む。途端、今まで張り詰めていた緊張の糸が切れて、私の目からは止めどなく涙が溢れてきた。
こんなに人を好きになったことはなかった。これが愛してるってことなのかもしれないなどと浮ついたことを初めて思った。付き合っていた期間はとても短かったけれど、この人とずっと一緒にいたいと思った。大学生の分際で調子に乗るなと思われるかもしれないけれど、将来を託してもいいとすら考えていた。それほど、幸せだった。
だから、何人かと付き合って別れた経験はあるけれど、失恋は初めてだったのだ。


「みゆき、せんぱいっ…、」


呼んだって返事などあるわけがない。それでも、無意味に何度も先輩の名前を呼んだ。嗚咽交じりに、何度も何度も。こうなったら涙が枯れ果てるまで泣いてやろう。そんな馬鹿げたことを思っていたけれど、涙が底をつくことはなくて。結局、私は眠りにつくまで泣き続けていた。


目を覚ましたのは夜の10時になろうかという頃。こんな時でもお腹はすくもので、鏡を見て予想以上にひどい顔をしていることを確認しつつも、私はコンビニに行くしかなかった。一人暮らしというのは、こういう時に困る。カップ麺も冷凍食品もストックを切らせてしまっているなんてツイてない。
最寄りのコンビニまでは徒歩数分。さっさと会計を済ませて帰ろう。そう思ってそそくさと歩く。こういう時は本当にとことんツイていないようで、できるだけ俯いて顔を見られないようにしていたせいか、コンビニの入り口で小柄な男性とぶつかってしまった。しかも、その手に持っていたビニール袋は地面に落ち、中に入っていたらしい炭酸飲料は泡立っている。


「ごめんなさい!」
「こっちも見てなかったし別に良い…あ?違ぇよ!お前に言ったんじゃねぇ!」


ぶつかった相手の男性はどうやら電話中だったらしく、電話の向こうの相手に強い口調で言った。あまり柄が宜しくない雰囲気が漂っている。もしかして私はヤバい人物にぶつかってしまったのではなかろうか。これは弁償でもしなければ許してもらえないかもしれない。
そんな怯えを感じ取ったのか、電話中だったその男性は少しばかり面倒臭そうに頭をかき毟って、ちょっと待て、と目で伝えてきた。


「悪ぃ、御幸、あとでかけ直す」
「え、」
「あっちゃー…ジュース暫く飲めねぇじゃん」
「あの、御幸先輩の、お知り合いなんですか?」


私が拾い上げたペットボトルの炭酸飲料を取り上げて呟いた男性はあきらかに初対面だ。けれど、その口から、御幸、と。確かに聞こえた。冷静に考えてみれば、もしかしたらみゆきさんという別人か、はたまた女性の名前かもしれなかったのだけれど、今の私の頭の中には「みゆき」=「御幸先輩」しか思い浮かばなかったのだ。
私の質問に、その男性は目を見開いて驚く。どうやら彼の電話の相手は本当に御幸先輩だったらしい。


「御幸の知り合い?」
「え、っと…大学の、後輩です」
「もしかして、名前って名前?」
「…へ、」
「マジかよ」


見ず知らずの御幸先輩の知り合いに、どうして名前がバレているのだろう。私の反応を見て自分の予想が的中したと確信したのか、男性はヒャハッ!と独特の笑い方をした。


「あの…」
「今時間あるか?」
「え…あ、はい…」
「ちょっと話あんだけど」
「でも…」


御幸先輩の知り合いだろうということはほぼ間違いない。けれども、今の今、初めて出会った男性と2人きりで話をするのは抵抗があった。どうしたものかと悩んでいる私と、答えを待つ男性。
ていうか、初対面の私に話したいことって何だろう。そう思った直後、彼が私の頭の中を見透かしたかのように言ったのは、私の疑問に対する答えのようなものだった。


「御幸の過去、知りてぇだろ?」
「…教えて、くれるんですか」
「ここで会ったのも何かの縁じゃねぇの?ホントは御幸のケツ叩きに来ただけなんだけどな」
「はぁ…」
「で?どうする?」


御幸先輩の過去。知りたかったけれど、御幸先輩は教えてくれなかったこと。それをこの人は知っていて、教えてくれると言う。こんな上手すぎる話があって良いのだろうか。
疑念はあれど、目の前でニヤリと笑う男性が嘘を吐いているとはなぜか思えなくて。気付いたら私は、名前も知らないその男性に、話を聞かせてください、と言っていた。
今更、御幸先輩の過去を知ったからといって現状が変わるとは思わない。けれど、彼の言う通り、ここで会ったのは何かの縁かもしれないから。少しでも、何かが好転すれば良い。そんな願いを孕むことぐらいは許されるよね?