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崩壊がお似合い


電話がかかってきた。とても懐かしいヤツから。大学に進学して1年生の頃は何度か会うことがあったけれど、年々連絡を取らなくなって、今では電話帳の中に名前があるだけになっていたその男は、倉持という。高校の時、同じ寮で生活をして、甲子園を目指して苦楽を共にしてきた仲間の1人だ。直接的に応援されたわけではないけれど、俺のプロ入りを誰よりも後押ししてくれた数少ない友人。俺がプロになれなかったのを誰よりも悔しがってくれた良いヤツだ。
そんな倉持からの電話に、俺は胸騒ぎがした。時間はかかってしまったけれど、漸く、俺は俺なりに新しい道を歩みだそうとしていたというのに。過去が、俺の行く手を阻んでいるような。そんな、嫌な予感。


「もしもし」
「あー、久し振りだな。今いいか?」
「悪いって言ったら切るのかよ」
「ヒャハッ!相変わらず可愛くねぇヤツ!」


懐かしい声の主は、あの頃とちっとも変わらぬ様子で笑った。その声のトーンから、悪い話ではないのかと期待した。期待したら絶望してしまうことは、既に経験済みだったというのに。


「アイツが、お前に会いたがってた」
「…、なんで」
「俺が知るかよ」
「今更だろ」
「謝りたいんじゃねぇの」
「…それこそ、今更、だろ」


名前を出されずとも、アイツ、というのが誰なのか、ニュアンスで分かってしまった。何度も言う。全ては今更なのだ。謝られたってどうにもならないし、謝られるべきことでもない。俺は俺の意思で行動したわけで、結果的にそれによってプロ野球選手の道が断たれることになったとしても、誰かを恨むのは間違っている。今でこそこんなにも冷静に心の整理をすることができているけれど、あの頃は突き付けられた現実を受け入れられなくて、周りの人間を散々傷付けた。アイツもその1人だ。どちらかと言うと、謝らなければならないのは俺の方かもしれない。
電話越しに、倉持が溜息を吐いたのが分かった。お前、変わってねぇな。倉持の言葉に、1人、首を傾げる。さて、それはどうだろうか。自分ではよく分からない。ああ、でも。名前との関係が始まってからは、少なからず変わったような気がする。


「変わったよ」
「へぇ?彼女でもできたか?」
「まぁな」
「は?マジかよ!」
「マジ」
「……良かったな」


嘘だろ!と喚かれると思ったのに予想外。倉持はなぜか心底安心したと言わんばかりの声音でそう告げた。お人好しにもほどがあるだろ。もう俺は、あの頃みたいな同級生でも、仲間でもねぇのに。
今度こそ幸せになりやがれ。
その言葉の真意が分かるのは、きっと俺と倉持だけだ。


◇ ◇ ◇



そんな電話があって1週間が経過した。俺の日常は相変わらず何の面白みもなく、けれど今までよりどこか充実している。穏やかに、平凡に。それでいい。それがいい。刺激などいらないから、このまま。俺の陳腐な願いは、今のところ叶えられているようだった。
大学4年生になると講義はほとんど受ける必要がなくて、就活がメインになってくる。3年生の後半から少しずつ始まっていたそれは、本格化していた。周りの奴らが必死になって面接に駆けずり回っている中、俺は余裕綽々でぼーっとした毎日を過ごしている。同級生が見たら、それはそれは怪訝そうな顔をされるだろう。
俺の実家は御幸スチールという小さな工場を営んでいる。そこに就職の内定をもらっているから余裕、というわけではない。実は野球選手への道が断たれた時、俺は大学にも進学せずに実家の工場を継ごうと考えていた。けれどもそれを反対したのは他でもない親父。やりたいとも思っていない仕事をするな。楽な方に逃げるな。あの時の言葉は、なかなかに辛辣だったけれど、的を得ていたと思う。
そんなわけで、俺は大学に進学させてもらい、4年間をそれなりに楽しく過ごさせてもらった。家業を継ぐわけではないけれど、俺には既に内定をもらっている会社があって、その会社は今後の俺に必要なスキルを身につけることができる。他の会社に行きたいとは思わないし、就活なんて正直もうこれ以上は真っ平ごめんだ。そもそも俺は、堅苦しいスーツってものが嫌いなのである。


「御幸先輩ってすごいですよね」
「何が?」
「ちゃっかり就職内定もらっちゃって、残りの大学生活は遊ぶだけじゃないですか」
「それなりに努力したんだよ」
「そんな素振り、ちっとも見たことないですけど」


俺は講義がないので基本的に大学に行く必要がほとんどない。卒論はあるけれど、そこは及第点がもらえる程度にまとめればいいわけだし、他の同級生に比べれば時間はある。だからこうして、用もないのに大学に来て、食堂で名前とゆっくり昼食を取る時間があるのだ。俺も随分と絆されたものである。


「今日の講義って何限まで?」
「3限までです」
「ふーん…じゃあ終わったらうち来る?」
「え、」
「これでも約束は守るタイプなんで」


1週間前の帰り道、オムライスを作ってやると言って別れたことを忘れてはいない。というのは建前で。本音を言うなら、そんなのただの口実で、うちに誘い込みたいという煩悩だけだったりする。まあどれだけ澄ましていても、所詮、男なんて皆こんなものだ。
名前が初めて身体を重ねた日のことを意識しまくっているのは知っている。だから不用意にうちに来ないということも。それを分かった上で名前が食べたがっている俺の手料理で釣ろうというのだから、自分はつくづく性格が悪いなと思う。けれど、この性格は今に始まったことではないので気にしないことにする。


「行こう、かな」
「じゃあ終わったら連絡して」
「私、御幸先輩の家まで1人で行けますよ?」
「…分かった。待ってる」


本当は一緒に買い出しにでも行ってそのまま帰ればいいか、と思っていたのだけれど、まあいい。名前が3限の講義を受けている間に俺が1人で買い物に行けばいいだけの話だ。そんなやり取りをしてから一旦名前と別れ、大学を出る。最寄りのスーパーに行って適当に食材を買ってから家に帰る、なんて、俺は主婦かよ、と自分で自分にツッコミをいれたくなるような行動を取って。名前が来るにはまだまだ時間があるからと、適当にテレビをつけた。
料理は昔からしていたので苦にはならない。ただ、自分だけのために作るのは面倒だし気乗りしないから、あまり台所を使うことはなかった。自分の料理を美味しいと思ったことはないけれど、名前が喜ぶならという気持ちを抱いている俺は、名前のことがわりと本気で好きらしい。
そもそも俺は、誰かを家に招くのがそんなに好きじゃない。押しかけられたり、勝手に集合場所にされたことはあるけれど、自分からうちに来るか?などと誘ったのは名前が初めてだと思う。名前が来るまでに少しぐらい部屋を片付けておくか。さほど汚れてはいないけれど、なんとなく思い立って見ていなかったテレビを消したところで、玄関のチャイムが鳴った。誰だろう。名前が来るには早すぎる。
玄関に向かい扉を開けて、そこにいる人物の顔を見た俺は固まった。時間が止まったように感じる、とはまさに今のことで。無意識のうちに一歩後退りしていた。


「押しかけてごめんなさい。でも、どうしても謝りたくて」
「……なんで今更来るんだよ…」
「だって!私がいなかったら一也は今頃…!」
「もうその話は終わっただろ」


4年ぶりに見る彼女は少し大人びていて、年月の経過を感じさせた。倉持が言っていたアイツが、今、ここにいる。会いたくなかった。でも、深層心理の中では会いたかったのかもしれない。


「私、ね。元気だよ」
「見りゃ分かるけど」
「一也のおかげ。ありがとう」
「…それで?」
「今更なのは分かってる。けど、私、一也のこと、」


本当は恨めたら良かったのかもしれない。恨んで、罵って、完膚なきまでに遠ざけて。そうしたら、今こうして彼女に縋り付かれることもなかったのだろう。けれども俺は彼女を拒絶できるほど、過去を忘却できていなかった。これは、裏切りになるだろうか。脳内で、名前の笑顔が霞んだ。