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桜が少しずつ咲き始めたものの、まだ肌寒さの残る3月下旬。私は故郷を離れ東京の地にいた。そう。頑張った甲斐あって、私は見事、第一志望の大学に合格することができたのだ。
大学の合格発表があってからというもの、私は慌ただしくもすぐさま引っ越し作業に取り掛かった。お父さんやお母さんは私が一人暮らしをすることをかなり心配していたけれど、徹も同じ大学に行くことを知るとなぜか安心した様子で、じゃあ大丈夫か、なんて言っていた。普通、娘の彼氏が同じ東京の大学に行くとなると逆に心配しそうなものだけれど、徹はなぜか私の両親から絶大な信頼を得ている。あんなに胡散臭そうなのに、と思いながらも、徹とのことを認めてもらえているのは素直に嬉しい。
さて、そんなわけで私と同様、徹も引っ越し作業で忙しかったので、私達は暫く会っていなかった。スマホで連絡を取り合ったり電話をしたりはしていたけれど、会う余裕なんてちっともなかったのだ。
私は大学の最寄駅から二駅ほど離れたところに部屋を借りた。大学周辺は既に良い空き物件がなく、エリアを広げて探したところ見つかったのがその部屋で、駅からも歩いてすぐだし、近所にお洒落で落ち着いたカフェなんかもあって、私は結構気に入っている。
徹は推薦入試で受かっていたので早々に物件を確保していたらしく、大学にほど近い部屋を借りたと聞いた。きっと今頃、部屋の片付けでもしているんだろうなあと思いながら、私は自分の部屋を見回す。大学が始まる前に綺麗にしておきたいと思いせっせと手を動かし続けたおかげで、部屋の中はなんとか人を招けるところまで片付いた。
私はうーんと伸びをしてから時計を確認する。時刻はお昼の2時を過ぎたところ。今日は春らしく陽射しも暖かくて、過ごしやすい気候だ。ずっと片付けのために部屋にこもっていた私は、ふと、散歩にでも行ってみようかという気持ちになった。近所に何があるのか散策しておけば、後々役に立つかもしれない。思い立ったら即行動。私は最近買ったばかりの春物のコートを羽織ると、意気揚々と部屋を後にした。


◇ ◇ ◇



気になっていた落ち着いたお洒落なカフェの前を通って、いつか行ってみたいなあなんて思ったり。可愛らしいパン屋さんを見つけて朝ご飯用のパンでも買って帰ってみようかなあなんて考えたり。私は見るもの全てにワクワクしながら、ブラブラと散策を続けていた。
そんな時に見つけたのが、これもまた可愛らしい雑貨屋さん。新生活に必要なものは一通り揃えたと思うけれど、何かほしいものが見つかるかもしれない。そんな期待を胸に、私は吸い寄せられるようにそのお店に入って行った。
お洒落な店内に所狭しと並ぶ商品はどれも可愛らしくて目を奪われるけれど、ふと、私の目に止まったのはシンプルなペアマグカップ。そういえばお客さん用のコップは少なかったかもなあと思いながらも、ペア、というフレーズで思い出すのは徹のこと。徹用に、なんて買うのは恥ずかしいけれど、憧れがないわけでもない。
なんとなく商品を手に取って、その近くに掲げられているPOP広告を見ると、新婚生活を始めるあなた達にぴったり!という謳い文句。私は思わず、違うから!と心の中で叫んでしまった。安いし可愛いとは思うけれど、そういうつもりで買うのはなんとなく気が引けて、私は手に持っていた商品を元の位置に戻す。
するとその直後、ポケットに入れていたスマホが着信音を響かせるものだから、私はびくりと肩を跳ねさせてしまった。まったく。心臓に悪い。誰かと思って画面を確認すると、そこにはつい先ほどまで思い浮かべていた徹の文字。別に緊張する必要なんてないのに、無駄にどくんどくんと心臓がうるさいのは、あのPOP広告のせいだろうか。私は大きく息を吸ってから心を落ち着けると通話ボタンを押した。


「あ、名前?片付けってもう終わった?」
「うん」
「じゃあ今から会えない?そっち行くから」
「良いよ。道分かんないと思うから駅まで迎えに行くね」
「えっ…本当に行っていいの?」
「うちに来たいからそんなこと言ってきたんでしょ?」


図星を突かれたのか徹は無言を決め込んでいるけれど、1年も付き合いを続けていれば大体の考えはお見通しだ。


「今駅に向かってるから。また後でね」
「分かった」


なんだかんだ言って、結局のところ徹は既に家を出ているらしい。私は電話を終えると、可愛らしい雑貨屋さんを後にして駅に向かった。


◇ ◇ ◇



駅で待つこと数分。私は無事に徹と会うことができた。東京というところはメインの駅でなくても人が多いから、待ち合わせには不向きだな、などと思っていたけれど、徹は一般成人男性の平均身長を遥かに上回っているため、すぐに見つけることができてとても助かる。
高校時代は、それこそほぼ毎日顔を合わせていたため、徹と久し振りに会う、という感覚は初めてで少し変な感じだ。相変わらず整った顔にお洒落な着こなしをした徹は、この大都会東京でも十分見栄えがするらしく、何人かの女性が振り返っていた。きっと大学でも、さぞかしモテることだろう。


「その服似合ってる。最近買った?」
「そんなのよく分かるね」
「名前のことは何でも分かっちゃうから」
「あ、そ」
「名前…久し振り」
「うん」


徹は嬉しそうに顔を綻ばせると、私の手に自分のそれを絡めて笑みを深くした。こういうことを恥ずかしげもなくさらりとやってのけてしまう徹には、いまだに慣れない。けれど嫌な気持ちはしないので、私はそのまま歩き出した。
ポカポカとした陽射しが春の陽気を感じさせる午後。徹とこうしてのんびり歩いていると、漠然と、幸せだなあと感じる。大学の話や新しい住まいの話など、他愛ない話をしながら穏やかな時間を過ごしていると、徹が突然足を止めた。私もつられて立ち止まると、徹が見つめているのは私が先ほど入った雑貨屋さん。


「ね、ちょっと寄って行こうよ」
「え?なんで?」
「新生活に必要なものがありそうだから。名前、こういうお店好きじゃなかったっけ?」
「そうだけど…、」
「じゃあ決まり。入ろ」


初めて入るお店ならワクワクしながら、入ってみよう、とスムーズに返事ができたかもしれないが、生憎、私がこの店を訪れるのは本日二度目だ。しかも、脳裏にあのペアマグカップと、その傍に掲げられているPOP広告の文字が浮かんでくるものだから、どうにも落ち着かない。
徹は私がここに来たことがあるなんて知らないわけだし、もっと言うならそのPOP広告のことなんて更に知る由もない。ここは何も知らないフリをしてさーっと店内を見て回ってさっさと帰ろう。私は徹に連れられるまま、1人で訪れた時と同じように店内をぐるりと一周した。


「徹、そろそろ帰ろ」
「うん…あ、待って。これ、シンプルで良くない?」
「え!」


もう少しで店を出られるというところで、徹が私を引き止めて手に取ったのは、あのペアマグカップで。私は思わず、大袈裟なリアクションを取ってしまった。徹はそんな私の様子をおかしいと思ったのか、眉を顰めている。
しまった。つい意識しすぎて過剰な反応をしてしまった。しかし、後悔してももう遅く、無駄に勘の鋭い徹は何か思いついたのか、ニヤニヤといやらしい笑顔を向けてくる。


「どうしたの?そんなに驚いて」
「…別に」
「名前、これ見るの初めてじゃないんでしょ?」
「え!なんで!」
「さっきからずっと、ちらちらこの文字ばっかり見てるから」


徹が指すのは、私が気にしていたPOP広告。でかでかと掲げられた、新婚生活を始めるあなた達にぴったり!という文字に、徹は最初から気付いていたのだろう。私は図星を突かれてうまく反応できない。
私が徹の考えを読めるようになってきたのと同じように、徹も私の心情を読むことには長けている。だから、押し黙ってしまった時点で、私が何を考えているのかなんて徹にはバレてしまったと思う。けれど徹は、私をからかってくることなく、マグカップをじっと見つめている。


「これ、買おっか」
「え?」
「名前んちに置いといてよ。俺専用に」


柔らかく笑いながらそんなことを言う徹は、とても幸せそうで。気付けば私は首を縦に振っていた。徹は私の返事を確認すると薄緑色と薄ピンク色のペアマグカップを持ってレジへ並ぶ。よく見たらその薄緑色は青葉城西高校のジャージの色に似ていて、だから目を引かれたのかなあ、なんて今更のように思う。お会計をしようと財布を出した私に、これは俺の買い物だから、と言った徹は、どうやっても私にお金を払わせてくれなかった。


「今、新生活応援キャンペーンをしているんです。良かったらくじを引いて行かれませんか?」
「折角だから引いたら?」
「名前が引いて良いよ」
「私が買ったんじゃないんだから。徹が引きなよ」
「ふふ…とっても仲が良いんですね」


私達のやり取りを聞いていた店員さんがクスクス笑いながらそんなことを言ってくるものだから、私は俯いてしまった。隣の徹は、そうなんですー、なんてふざけているけれど、そんなことを言っている暇があったら早くくじを引いてほしい。
私のそんな願いが通じたのか、徹は店員さんが持って来た箱の中に手を突っ込んでくじを引いた。よく分からないが運よく当たりを引いたらしく、店員さんが持って来たのは徹が先ほど買ったばかりのペアマグカップと同じ配色のペアグラスだった。


「こんな良いもの貰えるんですか?」
「当たりですから。丁度ご購入いただいたものとセットになっていますし、素敵なご夫婦の新婚生活にはぴったりだと思いますよ」
「あの、私達、夫婦じゃ…!」
「ありがとうございます。大切に使わせてもらいます」


慌てて否定しようとした私の言葉を遮って、にこやかに笑いながら店員さんにお礼を言う徹をじとりと睨む。が、徹は知らん顔。結局私達は最後まで夫婦だと勘違いされたまま店を出るハメになってしまった。徹はなぜか上機嫌で鼻歌を歌っているけれど、変な嘘を吐くのはやめてほしい。


「俺達、新婚さんに見えるんだねー!」
「否定しなよ…嘘吐いてどうすんの…」
「ゆくゆくはそうなるから、嘘じゃないよ」
「……ばっかじゃないの」
「そんなこと言ってー!名前だってちょっと意識してたくせにー!」


徹の言う通り、私はあのPOP広告の煽り文句を見て、一瞬、徹と結婚したら、なんて馬鹿げた想像をしてしまった。けれど、そんな恥ずかしいこと、絶対に徹には言ってやらない。


「貰ったグラスの方は徹の家に置いといてね。…私専用に」
「勿論!」


再びどちらからともなく絡めた指先はいつもより温かくて。私達は穏やかで幸せな空気に包まれながら、のんびりと歩を進めるのだった。

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