×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -

おかしいなとは思っていた。名前は自分から俺の彼女ですアピールをするような子じゃないけれど、隠そうともしていなかった。俺の練習風景を観に来たり、試合を観戦しに来てくれた時は、俺がコートから姿を見つけて手を振れば振り返すぐらいのことはしてくれる。それなのにあの練習試合の日は、2階の観覧席に名前の姿がなかったのだ。
挨拶を終えてすぐに連絡をしてみたけれど、返事もなし。何かあったのかと心配になって電話もしてみたけれど、繋がったのはそれから1時間後ぐらいのこと。電話の向こうにいる名前は、急用が入っちゃって、と言っていたけれど、どうにも腑に落ちなかった。
本当に急用が入ったのかもしれない。しかし、もしそうだとすれば、名前は体育館を離れる前にあらかじめ俺に連絡をしてくるタイプだと思う。そりゃあ本当の本当に連絡もできないほど急ぎの案件が入った可能性もゼロではないけれど、本来、名前は俺の方から何度も連絡をしなければならない状況なんて作らないはず。
やっぱりおかしい。名前は俺に何か隠しているのではないか。そんな疑念が頭を過ったけれど、その時の俺は考えすぎだと思い直した。急用って何だったの?と尋ねても、ちょっとね、としか返されなかったし、声のトーンが少し落ち込んでいるようにも感じられたけれど、名前のことを信じられない彼氏にはなりたくなかったから。

ところが、俺の「おかしい」と感じていた僅かな疑念は、考えすぎだと言い聞かせるには少々難しい状態になってきていた。というのも、あの日以来、名前が俺を避けているような気がするのだ。いや、気がする、なんてレベルじゃない。非常に納得しがたいけれど、これは完全に避けられている。
もともと大学構内で偶然出会うということは少なかったけれど、食堂で昼ご飯を食べたり、最終講義の時間がかぶったら一緒に帰ったり、バイトがなければ俺の部活が終わるのを待っていてくれたり、兎に角、1週間で全く会わないということは今までなかった。
それなのに、練習試合の日から1週間以上が経過した今、俺は一度も名前に会っていない。勿論、連絡はした。今日昼ご飯どうする?とか、講義何限目までだっけ?とか、練習観に来る?とか、今日バイト?とか。それらのクエスチョンマークつきのメッセージを、名前にはことごとくスルーされていた。
スルー、というか、返事がいつも遅いのだ。お昼ご飯もう食べちゃった、とか、もう講義終わったから帰ってるところ、とか、今からバイトだから今日は会えない、とか。返事はくるけれど、まるで俺に会うのを避けるみたいなタイミングでしか返ってこない。こんなことになっている理由が必ずあるはずだ。

雨がしとしと降り続く水曜日の午後。俺は遂に名前に会うことができた。といっても、待ち合わせしたわけではない。偶然、というわけでもない。こんな言い方をするとストーカーみたいで嫌だけれど、待ち伏せていたのだ。
名前は水曜日の2限目を終えたら、食堂で昼ご飯を食べて帰るか、そのまま直帰かのどちらかである。だから俺は2限目を終えてからずっと、門のところで名前が来るのを待っていた。
どれだけ待ち続けても構わない。たとえ何かの用事があって帰りが夕方になろうとも、俺はここで待ち続けてやる。そういう覚悟で立っていたのだけれど、名前は2限目を終えて数分後には門のところに現れた。どうやら講義を終えてすぐに帰ろうとしていたらしい。
名前は俺の姿を見つけると、ぎょっとして傘を落としそうになっていた。なんでそんな反応すんの。まるで俺に会いたくなかったって言ってるみたいじゃん。ずきりずきり。たったそれだけのことで、俺の胸は簡単に痛み出す。
名前は傘で顔を隠すようにして俺の方に歩いてきた。けれど、久し振りだね、とも、こんなところでどうしたの?とも言わず、俺の横を通り抜けようとしたのである。
何それ。俺何かした?急にこんなことってある?俺は勿論、通り過ぎようとする名前の手を掴んで引き止めた。だって今のこの状況、俺には全然理解できないよ。ちゃんと説明してもらわないと困る。


「なんで逃げるの」
「逃げてない」
「俺のこと無視しておいて?」
「それは……ごめん。でも、離して」
「じゃあちゃんとこっち見て」
「やだ。人に見られちゃう」
「関係ない」
「関係あるの!」


名前にしては大きな声。俺はびっくりした拍子に思わず手を離してしまって、その隙に名前は走り去ってしまった。
なんで急に、こんな拒絶をされなければならないのか。思い当たる節がないものだから余計にどうしたら良いのか分からない。けれど、名前が理由もなくこんな行動を取る子じゃないということは、俺が1番よく知っている。となれば、やることはひとつしかないじゃないか。
俺は名前を追いかけて走り出す。何年も運動部に所属している男の体力をなめないでほしい。傘がほとんど意味をなさないぐらい真剣に走れば、数分で名前に追い付いた。おかげで服は結構濡れてしまったけれど、そんなことはどうでも良い。
また、手を掴む。今度は絶対に離すもんかと力を込めれば、その気持ちが伝わったのか、名前は振り払おうともせずに乱れた呼吸を整えることに力を注いでいた。俺はこの程度のダッシュで息を弾ませるほどヤワじゃないので、名前が落ち着くのを静かに待つ。その間も、掴んだ手は離さない。


「……ごめん」
「それは何に対して謝ってるの?」
「最近、徹のこと、避けてたから、」
「やっぱり避けてたんだ」
「ごめん、」
「……俺もごめん。それは、いいよ、って言ってあげられない」


俺は名前に甘いという自覚がある。たぶん惚れた弱みってやつなのだろう。大体のことは、いいよ、って許してしまう。けれども今回は、そんなに簡単に許せなかった。
どんな理由であれ、避けられていたという事実は俺を傷付けた。俺をこんなに傷付けたんだから許せるわけがない。……というわけではなくて。避けるという行動に至った経緯を、俺は名前の口から何も聞いていない。避けられていたという事実より、そのことに傷付いていたのだと思う。


「俺、何かした?」
「何もしてない」
「じゃあ何があったの?」
「……」
「俺のこと、嫌いになったとか?」
「違う!それは絶対に違うんだけど……」
「けど?」


言い淀む名前の顔は見えない。傘のせいもあるけれど、俯いているから。もしかして泣きそうなのかな。だから手が震えてるのかも。でも、離してあげないし逃がしてもあげないよ。本当の俺はちっとも優しくないから。


「徹の隣に立つ自信がない」
「どういうこと?」
「私は徹の彼女でいいのかなって、不安なの」


名前がどうして急にそんなことを言い出すのか、俺にはさっぱり分からなかった。名前は高校時代から、よくも悪くも周りの目を気にするタイプじゃない。俺と付き合っていることで揶揄われたりいじられたりするのはうざったそうというか、ちょっと困っているようだったけれど、それをあからさまに嫌がることはなかったと思う。
俺と名前は間違いなく相思相愛で付き合っている。だから不安に思う必要はない。それなのに名前は不安になっている。恐らく、付き合いだしてから初めてのことではないだろうか。
誰かに何か言われたのか、それ以外の何かをキッカケにそう思うようになってしまったのか。問い質せば教えてくれるかもしれないけれど、名前から話そうとしていないのであれば聞き出すべきではないような気がする。俺は掴んでいた手を離した。


「俺だって名前の彼氏で良いのかどうかなんて分かんないし、自信ないよ」
「そんな、」
「たぶん不安がなくなることなんてないと思う。けど、俺は名前がいない未来は考えたくないし考えられないから、不安でも自信がなくても離したくない」


名前の不安や自信のなさがどれほどのものなのか、それがどうやったら解消されるのか、俺には分からない。けれど、思うのだ。好きであればあるほど、その感情は大きくなっていくものじゃないかって。好きで好きで堪らなくて、だからどうやっても離したくなくて、でも相手や周りはそんな自分をどう思っているのか分からなくて。
少なくとも俺は、名前と付き合い始めてから常に不安だし自信がない。誰かに目移りされたら?愛想を尽かされたら?俺よりもっといい男が現れたら?挙げ出したらキリがない。名前も、そんな悩みを抱えていて今に至るのだとすれば、俺にとっては幸せなことだ。それほどまで俺を好きでいてくれているということなのだから。


「名前は、不安で、自信がないから、俺と別れたい?」
「ううん」
「距離を置きたい?」
「ううん」
「じゃあ、どうしたい?」
「徹と、一緒にいたい」
「うん。俺も」


自分の傘をたたみ、名前の手から傘を取り上げ、片腕で抱き寄せる。人通りが少ない一本道とは言え、可愛らしい傘の中で抱擁を交わすなんて、いつもの名前なら激怒するだろう。
けれども今日は、俺の湿った服で自分の服が濡れてしまうことも厭わずに、腰に手を回して抱き締め返してくれる。たった1週間会っていなかっただけ。触れていなかっただけ。それなのに、きっとお互い恋しくて堪らなかった。恋愛って、難しくて単純だ。


「徹、今日も部活あるよね」
「うん」
「……徹の家で待っててもいい?」
「え」
「お泊まりの準備して待ってたら、迷惑?」
「俺がそういうの迷惑だって断ったことある?」
「ないけど」
「バイト休みなの?」
「うん」
「じゃあ待ってて」
「うん」


反動ってすごい。俺からの誘いではなく名前の方からお泊まりに来てくれるなんて、初めてのことだ。今だって俺にぎゅっと抱き付いたままだし、これは快挙かもしれない。
本当なら今すぐにでも一緒に帰って、抱き潰してしまいたい。どろっどろに甘やかして、できれば甘やかされて、そのまま溶けてしまいたい。けれども残念ながらそれはできないので、俺はぎゅうっと抱き締め返すことで欲望を抑え込んだ。
ぽつぽつ。傘を叩く雨音が静かになる。どうやら、晴れてきたらしい。


|