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余暇


「よし、もういいぞディーア」

「やっとか……」

「お前がもっと定期的にくれば、すぐに終わるぞ」


うんざりとした顔でベッドから起き上がったディーアに、ソレスタルビーイングの医師であるJB・モレノが苦笑した。
モレノはイアンと以前からの旧知であり、早くにソレスタルビーイングのメンバーとして参加していたこともあってディーアと気心知れた仲であった。

ディーアは以前から定期的に身体検査をする義務が課せられていた。トレミーのクルーたちも身体検査を定期的に行うが、ディーアだけその頻度が違った。そしてモレノはトレミーの搭乗する前から、ディーアの担当医という位置づけにされている。
定期的に検査をするようにと言われているディーアだが、彼女はそれを嫌ってまともに検査しに来たためしがない。決まって痺れを切らしたモレノが捕まえに来るのがいつものパターンだ。


「特に問題はないが……ちゃんと休めてるのか、ディーア?」

「そんな脆弱につくってないわ」

「体に問題は無くても、精神衛生上のことだよ。お前は自分が思ってるほど、強くはねーぞ?」

「忠告をどうも、モレノ」


メディカルルームから部屋に戻ってきたディーアは、すぐさま服を脱いでシャワーを浴びにバスルームへ入った。部屋に備え付けられているバスルームは一人分の狭い部屋だが、シャワーを浴びるだけなら事欠かない。

頭の上からシャワーを被り、汗や日頃の疲れを洗い流す。壁に設置された鏡を前に両手をついて、目を閉じた。

武力介入を開始してか4ヶ月の期間が過ぎようとしている。介入回数は60を越えているらしい。
ソレスタルビーイングを否定する者、肯定する者、どちらの気持ちも戦争を否定するという意味では一致していた。
地球にある3つの国家群の内、ユニオンとAEUは、同盟国領内での紛争、事変のみソレスタルビーイングに対して防衛行動を行うと発表。世界中で行われている紛争は縮小を続けていたが、武力による抑圧に対する反発は消えることはなかった。

シャワーの音に耳を澄ませながら、今までの事を振り返る。ここ4ヶ月を思い返し終えると、水音に誘われたように別の事を思いだされた。
この水音は雨に似ている。でも、雨だけじゃない。飛び散る赤い血にも、似ている気がする。

蛇口をひねってシャワーを止める。湯気でくもった鏡を拭い、水気を含んだ髪を掻き上げる。鏡に映る自分を一瞥してディーアはバスルームから出ていく。
鏡にディーアの後姿が映る。彼女の背中には、『05』という番号が刻まれていた。




△▽




ろくに髪を乾かさないまま、ディーアは部屋を出た。
部屋にとどまっている気にもなれず、宙に上がってからのお気に入りの場所である展望室へ向かう。微重力の中、レバーを使わずに手や足で壁を蹴って進む。展望室にたどり着き、地面に足をつくと自動で扉が開いた。


「――! ディーア……」

「! フェルト」


展望室にいた先客は、クルーの最年少オペレーターのフェルト・グレイスだった。
フェルトは二つに結わいたピンク色の髪を揺らし、両目に涙を浮かべてディーアに振り向いた。


「シャワー、浴びてきたの?」

「ああ……うん」


濡れた髪のままでいるディーアを見て、フェルトはそう聞く。
ディーアの髪が揺れるたびに、微重力の空間に滴を作った。ディーアは耳に髪をかけて優しく微笑む。


「――そうだったね、今日は」


「おいで」と手を差し出すと、フェルトは縋るように手を取ってディーアに抱き着く。ディーアはフェルトを受け止め、少し自分より背の小さいフェルトの頭を優しく撫でた。

ディーアはフェルトに対してはとても優しかった。表情も声色も、いつも顔色を変えず単調に素っ気なく話す彼女だが、フェルトに対しては優し気な顔と柔らかい声色で話した。本人が気づいているのかは知らないが、フェルトの事を大切に可愛がっていることは分かった。

フェルトもそんなディーアが大好きだった。物心ついた時から隣にいて自分を守ってくれた彼女は、フェルトにとって本当の姉だと言えた。

二人、手を繋ぐ。言葉はない。ただ寄り添うだけでよかった。

今日はフェルトの両親の命日。
二人とも第二世代のガンダムマイスターだった。ソレスタルビーイングに早くから参加しているディーアはもちろん彼らの事を知っているし、第二世代のマイスターでもあった。

秘匿義務により両親の死すら知らされていないフェルト。それを知っているディーア。だがフェルトもディーアが第二世代のガンダムマイスターであったことは知らない。”自分たちとは違う存在”であることには気付いているが……。


「ディーア」

「なに、フェルト?」

「ディーアはちゃんと、帰ってきてね」

「……うん」

「約束だよ、ディーア」

「うん……約束……」


ギュッと手を握る力を強める。
こうしてみると、彼女たちは本当の姉妹のように見える。容姿の相違は問題ではない。寄り添う彼女たちは”家族”だった。

シュッと音を立てて突然、展望室の扉がスライドした。
驚いて繋いでいた手を放して扉に目を向けると、そこには気さくな笑顔を浮かべるロックオンが立っていた。


「よう、何してる?」

「ロックオン……」


急いで涙を拭ったフェルトがロックオンに振り返る。涙は拭いきれず、空中にも小さな雫が舞った。
泣いているフェルトとそれに寄り添うディーアを見て、ロックオンは一瞬言葉が発せずに固まった。そして再び”兄”のような優しい笑みを浮かべて問う。


「どうした?」


その問いかけにフェルトは戸惑った。
そんなフェルトを見て、ディーアは頭を撫でるとロックオンのほうへ足を進め、すれ違うざまに「フェルトの事、よろしく」と声をかけて展望室を後にした。後ろからロックオンが呼ぶ声がしたが、ディーアは無視した。

わたしには、気の利いた言葉とか慰めの言葉とかはかけられない。そういったことは、皆の兄貴分で世話焼きなロックオンが得意だ。フェルトも私よりロックオンのほうが良いだろう。

ディーアはフェルトが密かに抱いていた淡い恋心を知っていた。
展望室を出て、ディーアはトレミーの廊下を進んだ。




△▽




展望室を出たはいいものの、ディーアには行く場所がなかった。
自室に戻る気分にもなれなければ、食事がしたいわけでもない。ラズグリーズの整備もすでに終わっているとイアンから聞いている。向かう場所がなくトレミーの中を彷徨っていると、曲がり角で偶然アレルヤと出会った。


「――! アレルヤ」

「ディーア、こんなところで何してるの?」


驚いた拍子に浮いた身体を、アレルヤがディーアの腕を掴んで優しく引き戻す。


「とくに、何も」

「あ、シャワーを浴びたのかい? 髪、乾かさないと風邪ひいちゃうよ?」


水気を含んだ髪を一束掬う。しっとりと濡れていて、外気に当てられてひんやりと冷えている。

「早く部屋に戻って乾かさないと」アレルヤが髪を乾かす様にと即す。それに対してディーアは「部屋には、戻りたくない」と行く手を阻んだ。

アレルヤはディーアの応えに瞬きをする。ディーアは気まずそうに眼を逸らした。そこでアレルヤはディーアがトレミーを彷徨っていた理由に気付く。しかしこのまま放っておけばディーアが風邪をひいてしまうかもしれない。とにかく髪を乾かさなければと思ったアレルヤは、あることを思いつく。


「なら、僕の部屋に来るかい?」

「え?」


遠慮がちに笑みを浮かべて誘うアレルヤの言葉に、ディーアは目を丸くするも頷いた。




△▽




アレルヤの部屋は簡素なものだった。いや、実際どの部屋も簡素だろう。部屋に私物を置く人は少ない。みんな、自室はただの個人専用の休憩室としか認識していない。

アレルヤに即されて部屋に入ったディーアは、身を置く場所がわからず立ち尽くす。そうしていると「取り敢えず、髪を拭かないと。そこに座ってて」と声をかけられ、大人しくベッドに腰を下ろす。
引き出しから綺麗なタオルを持ち出したアレルヤがディーアの隣に腰を下ろす。


「それじゃあ、後ろを向いてくれる? 髪を拭くから」


タオルを広げるアレルヤに言われるがまま、ディーアはアレルヤに背中を向けるように座り直した。アレルヤがタオルで髪を包んで、丁寧に水分を拭っていく。時折アレルヤの指がディーアの首筋に触れて肩を小さく揺らすと、アレルヤは「ごめん」と言うわりに、クスリと笑みを零した。


「何かあったのかい?」


最初に口を開いたのはアレルヤだった。
ディーアの髪を拭いながら、楽しそうに口端をあげて優しい声色で問いかけた。


「どうして?」


ディーアが声色を変えずに問い返した。


「いつもより君が大人しいから」


アレルヤが答える。
スーッとタオルが髪を撫でる。毛先の水分を大方拭い終え、今度は頭部に手を伸ばした。優しい力で髪を拭かれる感覚は、まるで頭を撫でられているように感じた。


「普段と変わらないと思うけど」

「ううん。だってほら、いつもの君ならこうやって僕に髪を拭かせたりしないでしょ?」


ニッコリとしてアレルヤは自信気に言った。

確かに、そうかもしれない。普段の私なら「そんなものはいい」と言って手を跳ね返すなりするだろうし、「自分でやれる」と言ってタオルを奪って自分でやっていただろう。
そう納得してしまったディーアは、アレルヤの言葉に反論できなくなった。

アレルヤはそれ以上、追求はしなかった。勿論、アレルヤはディーアのことを心配しているし、その悩みも聞きたいと思っている。だが頼ることを知らないディーアが、自分の口から話すという大切さを、アレルヤは理解していた。


「むかしのこと、思いだして」

「昔の事?」


こくん、とディーアが頷く。
アレルヤは髪を拭う手を止めた。


「シャワーの音が、血の飛び散った水音に似てて、伝う水とか、濡れた手も、ぬべっとした血みたいでさ」


本当の血はもっと生温かくて、感触もぬべっとしている。シャワーで浴びた水はさらさらしてるし、お湯も温かい。似てないけど、連想くらいはさせられる。

ディーアが話し終わっても、アレルヤは口を開く様子もなければ動く様子すらない。不思議に思って振り返ってみれば、何とも言えない……悲しそうに顔を歪めるアレルヤがいた。それを見て、ディーアは話したことを後悔した。


「アレルヤ、わたし、そんな顔させたかったわけじゃなくて…………ごめん」


アレルヤに手を伸ばすが、触れそうになったところで思いとどまり、伸ばした手は力なくゆるゆると下げられた。顔を俯かせながら「ごめん」と呟いた彼女は、小さな子供のようだった。


「ディーア」


肩を引かれてアレルヤの胸に頭を預ける。気付いた時には背中に両腕を回されていて、アレルヤに抱きしめられていた。優しい力で包み込む腕を振り払う事は容易にできた。けれどディーアは振りほどこうとしなかった。胸に頭を預けたことで、アレルヤの心臓の音が聞こえる。

人は心臓の鼓動を聞くと安心すると言う。だから一定のリズムの中にいると安心して眠くなるとも。
なるほど。これは確かに、安心して眠ってしまいたくなる。


「君が謝ることじゃないよ、ディーア」

「アレルヤ」


アレルヤは腕の中に閉じ込めたディーアの頭を撫でる。身体を固くしていたディーアは徐々に力を抜いて、アレルヤに任せるようになる。その変化がアレルヤには嬉しかった。


「アレルヤの体温は温かいね」

「ディーアも温かいよ」

「うそ。私に体温はないわ、いつも冷たいの」

「君にだって体温はあるよ、こうしているとほのかに温かいのがわかる。それに、僕は君の体温が好きだよ」


背中に回した手で、ディーアに片手を握る。
ひんやりとした冷たい体温。冷たいから、体温を分け合おうと手を繋ぎたくなる。包み込んであげたくなる。そこからほのかに感じる温かい体温が心地良い。


「ほんと、へんなひと……」


ディーアはそう言って笑った。