故郷愛しむ君



 どうやら近々、カリムやジャミルの故郷である熱砂の国の絹の街で、伝統的な祭りである花火大会が開催されるらしい。主催はアジーム家が行うらしく、カリムの計らいで同じ軽音部であるリリアがそれに誘われたらしい。それに加え、まだ席が余っているからと言ってマレウスも一緒に行くことになった。

 シルバーに至ってはリリアがいるからと心配はしなかったが、セベクに至っては夜になるまで自分も一緒に行くと言って聞かなかった。まったく元気なことだ。

 そして旅行当日である今日。準備を整えたリリアとマレウスが寮を出るはずだが……。


「お前さんら、何をしてるんだ? 今日は熱砂の国へ行くんじゃなかったかえ?」
「ああ、魁。そのつもりなんだが」


 なんだか騒がしいと思ってリリアの部屋に向かってみれば、リリアはベッドの上で布団に包まっていて、それを荷物を持ったマレウスが見下ろしていた。

 話を聞いてみると、どうやらリリアは腹痛に襲われているらしい。唸り声をあげながらリリアは布団に包まっているが、どうにも大げさすぎて怪しい。変な物でも食べてしまったかもしれない、と言っていたが、あんな手料理を作るリリアがそんなことで腹痛を訴えるわけがない。

 ちらりとリリアを盗み見てみれば、やはり腹痛というのは嘘で、マレウスから見えない角度から親指を立てる始末。やれやれ、とため息を一つ零した。


「なら、わっちがリリアの代わりに付いて行っても良いか? 熱砂の国には行ったことがなくてなあ、楽しそうだ」
「おお、それは名案じゃ! マレウス、魁と共に楽しんでくると良い!」
「僕は構わないが」
 提案を申し出れば、唸っていたのが嘘のような勢いで食いついてくる。大方、最初からこれを狙っていたのだろう。


 とは言っても、カリムが誘ったのはリリアだ。勝手にこちらで決めてしまって悪い。そう零すマレウスの言葉に「まあ、その時は大人しくわっちも留守番をするさ」と魁は続ける。


「ほらほら、準備を終えてるってことはもう行くんだろう? 早く行こうではないか!」


 思わぬ展開になったが、楽しめることに変わりはない。これはなかなか良い暇つぶしになりそうだ。
 善は急げ、と言わんばかりに、魁はマレウスの腕を掴んでいそいそと寮を出て行った。




「……と、言うわけでわっちが来たんだが……お前さん、準備するのも寮出るのも早すぎだろう。集合時間に合わせんか」
「早く来ることに越したことは無いだろう。待たせてしまうのは悪い」
「遠足が楽しみ過ぎて眠れない幼子か貴様は。歳を考えんかい」


 てっきり準備を万全に終えた状態でリリアの部屋にいたから、すぐに集合時間なのかと思い急いで寮を出たが、実際は数時間も前だった。よく何もせず立ったまま数時間も待てていたものだ。カリムに同行の許可を貰えたのが唯一の救いに思える。


「いやー、それにしても。こうしてマレウスくんと魁くんが揃うと……」
「はは、迫力が凄いな……」
「ふふ。ジャミルの胃がさらに逝きそう」
「面白がるんじゃない……!」


 待ち合わせ場所に来たのは、カリムとジャミルとナギル、そしてケイトとトレイ、それに加え監督生とグリムの七人だった。ケイトとトレイに関しては、学内でも有名で一目置かれるマレウスと魁が揃って並んでいる光景に苦笑を零している。その横でカリムは普段通り笑っていて、まさかマレウスと魁が来るとは思わなかったジャミルは眉間にしわを寄せて項垂れている。それを揶揄うように笑うナギルはいつもの調子だ。

 ジャミルが異を痛めている原因は、マレウスが茨の谷の次期当主で、魁が茨の谷の客人だからだ。もしも二人の身になにかがあれば国際問題にもなりかねない。それに悩んで頭を抱えるジャミルに気づいた魁は、軽い調子で笑いながら言った。


「まあまあ、心配することは無い。わっちに何かあっても、マレウスのように国際問題にはならんからな」


 冗談を言うような調子で言った魁の言葉に、ジャミルやケイトそしてトレイは目を丸くした。魁が茨の谷の客人というのは、有名な話だ。そんな魁が他国で何かがあれば問題になることぐらい、素人でも分かる。


「へえ、それはどうしてです?」


 その疑問に、ナギルが尋ねた。

 なんでも、魁は茨の谷の王宮からあまり良く思われていないらしい。気に入ってくれているのは、城ではマレウスとリリアぐらいで、二人のおかげで客人としてなんとか茨の谷に滞在できているという。しかし良く思わない者も多いから城には居られず、今はリリアやシルバーが住んでいる家に滞在しているらしい。だから魁の身に何かが起きても、茨の谷がどうこうすることは無い。彼らにとって魁は客人ではなく、ただの余所者なのだ。


「魁くんも大変なんだね」
「そんなことはない、気楽でいいものさ」


 事情を聞いたケイトが、意外と肩身の狭い魁に同情したが、当の本人は少しも気にした様子はなく、むしろ自由気ままで楽だと言う。そういう感覚は、やはり一般人からは分かりにくい。それを聞いて、ケイトとトレイは視線を合わせて苦笑を零した。


「まあ長話はこの辺にして、そろそろ行かぬか? わっち、熱砂の国は初めてでなあ。楽しみだ」
「んじゃ、そろそろ出発しよーぜ!」
 そうしてようやく、熱砂の国の観光旅行が始まった。



* * *



 熱砂の国はとても賑やかな国だった。観光地として有名な絹の街には人が溢れ、花火大会があることもあって観光客も多く行き交っている。閉鎖的な極東にも陰鬱な茨の谷にも似つかない煌びやかな国に、魁は目を奪われた。

 カリムの好意で伝統衣装も着ることができた。洋服は好みではなく着物ばかり着ていたが、熱砂の国の伝統衣装はまた違う良さがあってなかなか良い。赤色ばかり身につけていたが、水色というのも新鮮味があって面白い。

 日中はジャミルとナギルに案内をしてもらいながら、みんなで街の観光に向かった。現地ならではの食べ物や、雑貨や楽器そして絹。どれもこれもが珍しく、監督生が連れているグリムは食べ物が目に付けば飛びつき、ケイトは何処でもスマホをかざして写真を撮っていた。途中でマレウスとはぐれるというハプニングも起こったが、それを含め楽しい旅行の一日になった。

 そして夜になれば、メインイベントである花火大会が始まった。カリムのおかげで見晴らしの良い場所に席を取ることができ、ゆっくり座って見ることができた。


「いい花火だ。懐かしいなあ」
「魁先輩は、以前にも花火を見たことがあるんですか?」


 大きな音を上げて空に放たれる彩鮮やかな花火を見上げてぽつりと呟いた魁の言葉を聞いて、ナギルが尋ねた。それに引かれて、周りにいたみんなも魁に視線が行く。魁は口角を上げて続けた。


「わっちの国でも、花火は伝統芸でなあ」
「へえ、そうなんだ!」
「確か、極東っていう国だったか」
「ああ、それはそれは美しいぞ。熱砂の国に負けないくらいにな」
「それなら、いつか魁の国の花火も見に行きたいな!」


 最後に見た故郷の花火は遠い昔のことだし、やはり絢爛豪華な熱砂の国のように派手で大きくはないが、それでも故郷に興味を持ってくれることは嬉しいことだ。魁は上機嫌に笑みを浮かべた。

 花火は定期的に空に打ち上げられた。そのあいだ人々は、花火をうっとりと見上げたり、手持ち花火で遊んだり、飲食をして楽しんだりと、各々が花火大会を堪能していた。もちろん、それにはカリムたちも含まれている。しかし魁は、賑やかな彼らの輪のなかに加わらず、座って静かに打ち上げられる花火をじっと見上げていた。


「帰りたいか」


 突然隣から聞こえてきた声に驚き、振り返る。すると、いつの間にか隣に腰を下ろしていたマレウスがじっとこちらを見つめていた。魁は瞬きを繰り返して、そっと息を吐きだした。


「なんだ、突然」
「随分と懐かしんでいたようだからな」


 少しばかり機嫌を損ねた声音を混ぜて言うマレウス。そして空を見上げて、細めた瞳でちらりとこちらに振り返る。それにやれやれと笑みを零した。


「そりゃあ、懐かしむとも。なにせ、わっちが生まれ育たった愛しい故郷だ」


 そう言って大きく上がった花火を見上げる。

 生まれ育った故郷は遠い昔の記憶の底にある。故郷を離れて長く時が過ぎ去ったが、忘れたことは一度もなく、いつまでもこの胸にある。愛しい故郷。懐かしい故郷。自ら捨て去った故郷。もう戻ることもない場所。

 魁は懐かしむように静かに瞼を下ろした。


「だが、熱砂の国の花火も良いものだ。なあ、マレウス」


 綺麗だろう、と楽しげに魁は笑いながらマレウスに振り返った。

 その時、今までで一番大きな花火が上がった。夜空に大輪を咲かせるそれは、とても美しく、街は歓声に溢れた。


「……ああ、そうだな」


 けれど、それを見つめる背中は、少しばかり遠くに感じた。