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綻びる花の如く
その人は、マレウス様と同じような角を持っていた。
「お主がシルバーの友人か」
けれど妖精族ではないことは、なんとなく肌で理解していた。どこか違う気配がしたのだ。
「元気で逞しい子だなあ。将来が楽しみだ」
その人はそう言って口元に笑みを浮かべて、僕を見下ろしてくる。その眼差しは親のような慈しみが含んでいて、どこか居心地が悪かった。
「仲良くしておくれ」
僕は正直、その人を信用できなかった。
* * *
「魁様のことか?」
首を傾げるシルバーに、僕はそうだ、と頷いた。
異国から来たという、マレウス様とリリア様のご友人。話を聞いていた時は、おふたりの旧い友人に会えることを楽しみにしていたが、いざ会ってみれば、その人への感情は不信感に変わった。得体の知れない存在を信用などできなかった。
「極東という国に住まう、人間とも妖精とも違う妖≠セと聞いた」
「なんだ、そのあやかし≠ニいうのは?」
「俺も良くは知らない」
昔に会ったことがあり自分よりも交流のあるシルバーなら、もっとその人について詳しく知れると思ったが、予想は早々に外れた。あまり自分のことは離さないのだと言う。しかし、妖精でも人間でもない妖≠ニいう種族だということは分かった。それだけでも良い収穫だろう。
シルバーに聞いても分からないのなら、今度は自分で暴くのみだ。そうとなれば行動は早い。すぐに探して、木々や草の影からその人の様子を窺った。その人はとくに何をすることも無く、森のなかを散歩したり、木の下に座り込んで煙管を吹いてぼんやりと辺りを眺めるばかり。正直怪しい動きは無いが、警戒すべきだと言い聞かせて、じっと影から長いあいだ眺め続けた。
「何をしておるんじゃ?」
「うわっ!? リ、リリア様!」
肩を大きく揺らしながら急いで両手で口元を抑える。そして振り返れば、空中で逆さまになっているリリア様がいた。リリア様はちらりと僕が見ていた方向に視線をやって「お、魁を見ていたのか。話には行かんのか?」と尋ねてきた。
リリア様から再びその人に視線を無得れば、こっちには気づいていないようで、相変わらず呑気に煙管を吹いている。それを見て俯けば「どうかしたのか?」とリリア様がしゃがんで顔を覗き込んできた。
「あの者は得たいが知れません。妖なんて、どこの書物にも記されていませんでした」
シルバーに聞いて様々な本を漁ったが、妖という存在についてはどの本にも載っていなかった。極東という国についてはいくらか見つけたが、それも少しばかりの情報だけで、全体像は全く見えない。
そう言えば、リリア様は納得したように頷いて「魁の国はひどく閉鎖的と言うからのう」と呟いた。
「あの者は危険です」
意を決して、口を開いた。
いくらおふたりの旧い友人だとしても、信用できない。いつ敵対してくるかも分からない。
「そう言ってやるな。あやつも、国を追われ苦労して此処まで来たのじゃ」
その言葉を聞いて、思わず驚いて、顔を上げた。目を丸くしてリリア様を見上げれば、リリア様はそっと目を細めてにこりと笑みを浮かべる。
「だから、おぬしも魁と仲良くしてやってほしい。あやつは良い奴じゃ、おぬしともすぐ仲良くなれるじゃろう」
そう言って、リリア様は踵を返して行った。
僕はその場から動けずに、じっと自分の足元を見下ろしていた。そうしてゆるゆると頭を持ち上げて、煙管を吹くその人を見やる。僕はグッと拳を握って、影から足を踏み出した。
「おお、セベクか。どうかしたかや?」
少しずつ足を動かしてその人のもとへ行けば、その人は僕に気づいて煙管を吹くのをやめた。煙管はいつの間にかその人の手の中から姿を消していた。
口角を上げて笑むその人を目の前に、僕はまた俯いた。そしてグッと握った拳に力を入れる。それに気づいたのか、その人は笑んだまま首を傾げて、言葉を促してくる。僕はそれに口ごもりながら、続けた。
「ど、どうして国を追われたんだ」
少しだけ目を逸らして、ちらりと盗み見るように窺う。その人は目を丸くしてぱちぱちと瞬きを繰り返していた。間抜けな顔だ、と思った。すると「ああ、リリアだなあ?」とにやりと笑んで、僕を覗き込んできた。それに僕は片足を思わず引っ込めてしまった。
その人は、ふうん、と笑んだままこちらを見つめて様子を窺うと、ふいに僕から視線を外して空を見上げた。
「時代が変わったんだよ、簡単さ」
そうして、その人は瞼を閉じた。
「人間に負けたのか? 妖というのは人間よりも弱い種族なのか?」
「負けとか弱いとかじゃないんだよ、セベク」
言葉の意味が分からず眉根を寄せる。それを見て、その人はくすりと笑みを零した。
「単純に、わっちら妖が生きにくい世の中になっただけさ」
そう言って空を見上げるその人は、空に故郷を見ているのだろうか。僕には分からなかった。ふと、先ほどいリリア様が言っていた言葉を思い出した。ひどく、情けなく感じた。
「おまえのことを、知ろうとしなかった。その……悪かった……」
尻込みながらもしっかりと声にした言葉は、とても素直なものだった。居心地の悪さも感じながらその場に留まって、返ってくる言葉を待っても、返事はかえってこない。不思議に思って見上げてみれば、その人は先ほどよりも目を大きく丸くして呆然としていた。そして、破顔する。
「はは! そりゃあ警戒して当然だ、わっちはこの国では部外者だからなあ」
大声で大笑いをするその人に、僕はぽかんと口を開けて呆けてしまった。怒ることも蔑むこともなく、笑うのだ。いったい何が面白いのか僕には全く分からない。けれど。
「だが、嬉しいよ。ありがとう、セベク」
その人は本当に嬉しそうに、笑ったのだ。