信頼と思慕のできかた



 今朝は快晴といわんばかりの天気だったというのに、午後になった途端に雨が降り出した。今日の授業に体力育成は無いし、事前に天気予報を見ていたおかげで傘の準備も出来ている。雨が降ったところで特に問題は発生しないが、どんよりとした天気はいくらか気分を低下させる。

 早く寮に帰ろうと鏡舎に向けて歩き出したその時、ふと視界があるものを捉えた。中庭のベンチに、なにかか置かれている。雨にさらされているそれが気になって、アガペは傘をさしてベンチに向かって歩き出した。


「誰かの忘れ物かな」


 ベンチに置かれていたのは、電源の切れたタブレットだった。雨に打たれたタブレットはずぶ濡れで、水没したあとのような状態だ。


「うーん、電源点くかな……」


 取り合えず持っていたハンカチで水分をふき取って、電源が点くか試してみる。勝手に他人の情報端末に電源を入れるのは申し訳ないが、そうすることで持ち主に届けられるかもしれない。そう思って電源ボタンを何度か押してみるが、画面はブラックアウトしたまま。まだ壊れていると判断はできない。単純にバッテリー切れの可能性もある。

 アガペはポケットからモバイルバッテリーを取り出して、それをタブレットに差し込んだ。そうしてしばらく様子を見ていると、ブラックアウトした画面に充電中を示す表示がぽっと表示された。


「あ、点いた」


 壊れていないことに、アガペはほっと安心する。

 他にもタブレットに異常が無いか、表面上だけでも確認していると、突然高い声が降ってきた。


「あ、それ兄さんのタブレット」


 振り向いたアガペは、目を丸くして瞬きを繰り返した。

 声をかけてきたのは小柄な少年で、高校生には見えない。それ以前に、全身が機械で出来ているような見た目をしている。それだけでも目を惹くのに、少年の髪は特徴的で青い炎そのもののようだった。


「君が見つけてくれたの?」


 その子は無邪気にそう尋ねてきた。それにアガペも我に返り、ああ、と頷いた。


「さっき、そこで見つけてね。水滴も拭いたし、電源も付いたから、多分壊れてないと思うよ」
「わあ、ありがとう、アガペ・ロディアさん!」


 ニコリと眩しい笑顔を向けて「兄さん、これが無くて困ってたんだ」とその子は続けた。どうやらこちらの名前は把握しているらしい。


「あー、きみは……確かうちの寮にいたよね?」
「うん! 僕はオルト・シュラウド。兄さんと一緒に去年入学してきたんだ、よろしくね!」


 さっきは突然声をかけられて呆然としてしまったが、何度かイグニハイド寮でその姿を見たことがある。とはいっても遠目から見かけたぐらいで、勿論話したことも近づいたことも無かった。

 オルトと名乗った少年が、なぜ兄と一緒に入学してきたのかは知らないが、事情持ちというのはすぐに分かる。学園で許可されているのなら、こちらが口を出すことでもない。

 アガペはそれ以上オルトの存在を特別気にする様子もなく、兄の物であるというタブレットを受け渡した。


「それじゃあ、僕はタブレットを兄さんに届けに帰るね」
「あ、ちょっと待って」


 タブレットを受け取ってそのまま帰ろうとするオルトをアガペは慌てて引き留めた。

 引き留められたオルトは不思議そうに「どうしたの?」と振り返って、黄色の瞳を丸くさせる。


「濡れないようにタオル巻いて、モバイルバッテリーも一応。あと……ほら、傘使って」


 ずぶ濡れのオルトに、冷えないようにとタオルを肩から掛けてさせ、自分がさしていた傘を差し出す。それを不思議そうに見つめていたオルトが「僕には防水機能が付いてるから大丈夫だよ」と答えたが、それに対してアガペが「でも、濡れるのには変わらないでしょ。いいから、使ってよ」と傘をぐいっと差しだした。


「ありがとう、アガペさん!」


 渡されたタオルや傘をオルトはぼんやりと見つめていたが、最後には嬉しそうに笑顔を浮かべてそう言った。その素直な様子が可愛くて、アガペもつられるように口元に笑みを浮かべた。


「あとで兄さんと一緒に返しに行くね!」


 じゃあね、と大きく手を振って立ち去っていくオルトを、アガペは雨に打たれながら姿が見えなくなるまで見送っていた。



* * *



 オルトと再会するのは早く、次の日にオルトの方から丁寧にたたまれたタオルと傘と一緒に会いに来てくれた。


「ごめんね。兄さん、顔会わせるのは無理だって……」
「まあ、人には得意不得意があるし。別に気にしてないから」


 会いに来てくれたオルトは嬉しそうに駆け寄ってくれたが、話が進むと残念そうに肩を落としてしまった。兄と一緒に来る、と昨日言っていたが、オルトが言っていた通り、兄は人と対面するのが苦手らしく、会いに来る直前までオルトと攻防戦を繰り広げらていたらしい。

 兄弟がいてこその光景だろうな、とアガペは頭に攻防戦を繰り広げる兄弟の姿を思い浮かべて、楽しそうだな、と笑みを零した。


「でも、ちょっと残念だな」


 アガペはぽろりと口を零した。
 それに、オルトはこくりと首を傾げた。


「オルトのお兄さん、会ってみたかったんだよね」


 単純に、興味があった。こんなにも弟に慕われている兄に、アガペが会ってみたかったのだ。

 アガペのその言葉を聞いた途端、オルトは「本当!?」と身を乗り出した。嬉しそうにきらきらと目を輝かせている姿は、なんとも兄属性を燻ぶらせる。

 アガペはにこりと笑って、うん、と頷き返した。


「僕も、兄さんと仲良くしてくれたら嬉しいなあ!」


 そう言って兄を想うオルトの姿は可愛くて、健気で。アガペにはどうしようもなく眩しく見えた。

 それからというもの、オルトはなんとか自分に兄を会わせようとしてくれたが、やはり兄に会うことはできなかった。しかしタブレットを拾ってくれた恩もあり、突き返すことができなかったようで、オルトを経由してメールアドレスを交換することになった。いわゆるメル友から、ということだ。

 メールやチャットで会話を重ねるうちに、やはり同じイグニハイド生ということもあって、すぐにゲームや映画など趣味の話で意気投合した。それなら直接話せれば、と思ったが、対面が苦手な彼にそれは酷だろうと、アガペは一ヶ月ほど彼とメールでのやり取りを続けた。

 なぜ一ヶ月なのかというと、ちょうどそれぐらいの月日が流れた時に、偶然彼と鉢合わせたのだ。同じ寮にいるのだから、すれ違うこともあるだろう。そんな偶然を好機に、アガペはようやく彼に対面で会うことができた。

 とはいっても、最初の頃は対面だとまともに喋ってくれず、極度に怯えられた。しかし、メールでのやり取りで互いのことを知っていたこともあってか、趣味の話をして行くうちに打ち解けてくれて、徐々に饒舌になっていった。

 そして、現在。


「……ん? なんでござるか?」


 放課後からイデアの部屋でゲームをしていた二人。ゲームに一段落がつくと、アガペはじっとイデアを見つめた。

 こうしてイデアの部屋で、隣に座ってゲームをするなんて。最初の頃は想像もできなかったな。


「いや。随分慣れてくれたなー、と」
「え、なんの話? 全く話が読めんのだが?」


 怪訝な表情を浮かべるイデアは、全く話の意図が読めずに首を傾げるばかり。その様子が面白く、ここまで打ち解けてくれたのが改めて思うと嬉しくて、アガペは思わずふふ、と笑みを零した。

 イデアは突然、頬を緩めて笑みを零したアガペに目を丸くした。そして、少し悔しそうにしながら視線をゲーム画面に逸らして、唇を尖らせた。


「……アガペ氏って、子供みたいな笑い方するよね」
「え、なんです、それ。馬鹿にしてます?」
「褒めてます〜」
「ならムッとした顔で言わないでくださいよ」


 ふてくされた表情をするイデアに、アガペは、もう、と頬を膨らませた。

 そのやり取りも楽しくて、兄弟みたいだな、とアガペはこっそりと笑った。