冥界の番犬



※イデア式典服パソストの若干のネタバレ



「え、入学式に出る?」

「うぅ、どうしようアガペ氏〜・・・・・・」


入学式の約1週間前。唐突に自室のベッドに包まった#イデアからそんな報告を受けた。イデアは人前に出たがらない。そのイデアが出ると言い出し、アガペは目を丸くした。

話を聞くと、オルトのお願いを断り切れずに「入学式出る」と宣言してしまったという。今から「やっぱり無理」と言い出せばオルトを失望させてしまうと、言うに言えない状況だという。


「あー・・・・・・イデア先輩が出るなら、おれは寮で待機してるけど」

「えぇっ!? 無理無理無理! あんなところに1人でとか絶対無理!!」


ぶんぶんと首を横に振って全力で否定するイデアを、アガペは困った様子で見下ろした。「って言っても。もともと入学式には寮長しか参加しないし・・・・・・」寮長であるイデアが参加するなら自分が参加する理由はない。「そこをなんとか!! アガペ氏は副寮長だし何とでもなるって!」イデアはそういって、なんとしてでもアガペの同行を譲らない。

お願いだと何度も懇願するイデアを相手に、アガペが先に折れる。これもいつもの流れだ。


「・・・・・・わかりました。とりあえず入学式の準備はしとくから、イデア先輩は心の準備でもしといてください」


「アガペ・・・・・・!」頷いたアガペを見て、イデアはほっと息を零す。「それじゃ、おれはこの後用事あるから」すぐにまた戻るんで、と告げ、アガペは早々にイデアの自室を退出する。

入学式まであと1週間だ。入学式の準備のため、この時期の寮長は忙しい。イデアは引きこもりで滅多に外になんて出てこないが、流石は勤勉な精神に基づく寮長だ。なんだかんだで真面目に準備はしている。とはいっても、やはり対人は嫌らしい。だから対人が必要な場面はアガペが代行している。代行といっても、イデアもタブレットで参加しているため、アガペがするのは、まさに対人代行だ。

今日も入学式の準備のための寮長の集会がある。アガペは集会用の資料を取りに、足早に廊下を歩いた。


ほんの数分、ほんの数十分のあいだ出かけてイデアの自室に戻ってくると、イデアの部屋の前にはハーツラビュル寮の寮長であるリドルが立っていた。それだけならよかったのだが、リドルは扉の向こうにいるイデアを怒鳴りつけ、イデアもそれに反発していた。

扉を挟んで言い合いをする様子を、アガペは面倒そうに見つめた。


「あー・・・・・・なにやってんの?」


「アガペ! この際キミもはっきり言ったらどうなんだ!!」控えめに声をかけると、アガペに気づいたリドルは食い入るようにアガペに詰め寄る。「集会も、入学式の準備も、訪問者の対応も、何もかもあのロボットとアガペに任せっきりにして!」顔を真っ赤にしながらリドルは怒鳴る。

「まあ、人には得意不得意があるっていうか。それにこう見えて、イデア先輩勤勉だし」なんで自分に飛び火するんだ、と若干の不満と面倒臭さを想いながら早く終わってくれと手短にする。ただリドルは聞いていないらしく「どうせ今度の入学式にも出ないおつもりでしょう? 無責任な寮長に仕事を押し付けられて可哀想に!!」と続けざまに扉へ向かって叫ぶ。「は? 入学式に出ないなんて一言も言ってないんだが? 勝手な思い込みやめてもらえます??」流石に頭に来たのか、扉の向こうからイデアが強気に言い出す。

ああ、これは面倒臭さい。勢いに任せて言っちゃって、後で後悔するの目に見えてるのに。


「あー、ハイハイ。もうその辺にしてくんない?」


「ほら、集会に呼びに来たんでしょ。早くしないと遅れるよ」これ以上ヒートアップするのは後々面倒だし、他の寮生にも迷惑だ。アガペは真っ赤な顔をして怒るリドルの腕を掴み、半ば強引に連れ去る。機嫌の悪いリドルは「フン!」と鼻息を荒くして、そのままズンズン廊下を進んでいく。アガペはその後ろを付いて行きながら、当日どうなることかとイデアの部屋を振り返った。



――入学式当日。

諸々の準備でアガペは少し遅れて鏡の間へと来た。約束通りなら、式典服に着替えたイデアが先に鏡の間へと来ているはずだ。1人は嫌だというイデアをなんとか押し切って寮を出させたし、鏡の間へ向かったはずだ。アガペは少し速度を上げて鏡の間へと急いだ。


「・・・・・・」

「・・・・・・」


急いだのだが・・・・・・鏡の間の前にいたのはイデアではなく、イデアが対人用で使用しているタブレットがふよふよ浮いていた。アガペはタブレットの前に立ち、無言でそれを見上げる。イデアと繋がっているであろうタブレットも無言で、言葉を発そうとしない。


「・・・・・・もう、どうしたんですか」

「やっぱり外なんて、僕を苦しめるイベントしか起こらない」


タブレットの向こうからイデアはそういう。鏡の間へと来て、1人が不安でオルトを探しに外へ出たらしいが、そこで会ったマレウスの言葉で意気消沈してしまったらしい。イデアはそのまま寮へと戻ってきたということだ。

話を聞いて、アガペはやっぱり駄目かあ・・・・・・と心の中で呟く。タブレットからはブツブツ文句を言うイデアの小さな声が流れてくる。完全に気持ちが沈んでしまっている。


「あー、まあ。外に出る努力はしたんだし、実際外に1人で出たんだし。及第点なんじゃない?」

「拙者の見方はアガペ氏だけでござる・・・・・・」


帰ってしまったのなら仕方がない。もう入学式も始まる。アガペは早く行こうと言って鏡の間の扉に手を伸ばす。ドアノブに触れて扉を引こうとしたところで、タブレットから「ごめん・・・・・・いつも任せっきりで」という申し訳なさそうにイデアの声が流れた。イデアなりに気にしていたらしい。「人間には得意不得意がある。おれはこういうの苦手じゃないから、別にいいですよ」アガペはフッと笑って、扉を開けた。



「イグニハイド寮生、ここに集まって・・・・・・」


闇の鏡にイグニハイドへ選出された新入生を、タブレットから誘導する。タブレットからだが、結局こうして自分の仕事をするのだから、アガペにはやはり仕事がない。


「ふん。あれだけ啖呵を切っておきながら結局出てこないとは・・・・・・やはり無能のままだったね」


数日前に言い争ったリドルは、結局タブレット参加をしたイデアに対してそう切り捨てる。「寮長がこうも適当では、寮生も苦労していることだろう。同情するよ」リドルに続いて「はぁ・・・・・・やれやれ」とヴィルまでもがため息をつく。


「いや、ウチの寮生は基本的に内気で個人主義なんで。そう困ることもないよ。それと、あんまウチの寮長イジメないでくんない?」

「副寮長だからといって、キミはイデア先輩を甘やかしすぎるんだ、アガペ」

「おれからすれば、そっちんトコのトレイ先輩も充分甘いと思うけど」


アガペの言葉に「何か言ったかい?」と目を吊り上げてみてくるリドル。アガペは誤魔化すように肩をすくめた。視線を前へ戻すと、もう新入生を集め終わった様子だった。アガペは「それじゃ、おれはこれで」とリドルとヴィルに断ってそちらへと歩き出す。

「流石はイグニハイドの番犬ってところかしら」アガペの背に向かってヴィルが呟く。「彼は番犬と言うほど強くもないですよ」それにリドルが端的に答える。「それもそうね」すぐさまヴィルもそれに頷く。

アガペ・ロディア――イグニハイド寮の副寮長。
イグニハイドの仕切り役であり、専らイグニハイドの番犬と呼ばれている。