所有物



 その日もヴィヴィアンは、いつものようにデイヴィスに付き合わされ、彼が担当する魔法薬学の授業に補佐として参加していた。担当クラスは、デイヴィスが担任を務める一年A組で、入学初日から問題を起こした問題児がいるクラスだ。

 問題児の一人である監督生――正確に問題児を指摘するなら監督生とペアで入学してきたグリムの方だが――は、学園側の手違いで呼び寄せてしまった異界の人間で、魔力を持たない一般人だ。魔法士育成の学園ゆえに、魔法が使えない監督生は授業一つこなすにも一苦労だろう。それに加え、異界の人間である。常識が通用しないのは、想像するだけでも大変だ。

 そんな監督生は、グリムを含めほか二名とよく問題を起こす。起こす、と言うより、巻き込まれる、と言う方が正しいだろう。そんな監督生を一教師としてサポートし、デイヴィスが受け持つ生徒ということもあって出来る限り気に掛けているのだが、危なっかしい監督生にいつもはらはらとしてしまう。

 問題なく、授業が終わってくれれば良いんだが……。

 そう思った矢先に、問題が発生するのは、このクラスの特徴なのか、はたまたこの学園の特性なのか。勘弁してほしいものだ。


「おい、待て! それに混ぜるな!!」
「え? うわっ!?」


 監督生と組んでいたデュースが誤った薬品を混ぜ込もうとしたのを見て、ヴィヴィアンは大声を出した。しかし一歩遅く、わずかに傾いた瓶から一滴零れ落ちてしまい、それが鍋の中に入ってしまった。誤って入れてしまった薬品は、今回の調合だと爆発してしまう。それに加え、肌に直接触れると危険であるものだ。

 ヴィヴィアンはすぐさまデュースと監督生を庇い、二人の前に飛び出した。その直後に爆発が起きて、教室には煙が立ち込める。一滴だけだったこともあり液体が飛び散ることは無かっただが、落とした瓶から零れた液体が運悪くヴィヴィアンの手の甲に触れてしまった。じゅわ、と肌が焼ける感覚がして、一瞬だけヴィヴィアンは顔をしかめた。


「バッドボーイ! 話を聞いていなかったのか、駄犬ども!!」


 直後に眉根を吊り上げたデイヴィスの怒号が教室に響いた。この事態も毎度のことで、デイヴィスも頭が痛いことだろう。

 調合をミスした監督生たちは、デイヴィスに怒られて肩をすくめている。怒るデイヴィスが怖いというのもあるだろうが、素直に反省を示すところは、監督生とデュースの良いところだろう。

 その様子を見ていると、くるりとデイヴィスが振り向いた。


「ヴィヴィアン! 怪我は」
「ああ、ちょっと薬品被ったくらいです」


 目敏いところは相変わらずだ。あの一瞬のなかでも、薬品に触れてしまったことに気づいたらしい。

 監督生やデュースに至っては気づいていなかったらしく、デイヴィスの話を聞くなりぎょっと目を見開いて、不安げに視線を向けてきた。それに対して、たいしたことは無い、と伝えると、二人は目に見えて安心しきった表情を浮かべた。

 薬品が触れてしまった手の甲は、じりじりと焼けるような痛みがするが、少量であるため、これくらいなら人体に問題は無い。


「キミたちも今後は気を付けるように。魔法薬学は危ないからな」
「は、はい!」


 これを機に、もう少し問題を起こす頻度が減ってくれればいいが。

 大声で良い返事をするデュースに、ヴィヴィアンはやれやれと苦笑を浮かべた。


「じゃ、オレは一応手当に抜けますね」
「ああ、ちゃんと手当てしておけ」
「わかってますよ」


 簡易的治癒でも問題ないが、しっかりと施さないと煩そうだ。

 ヴィヴィアンは保健室に向かおうと教室の扉に手を掛けた。しかし教室を出る寸前でぴたりと足を止めて、デイヴィスに振り返った。


「あ。あんまり怒らないようにね、クルーウェル先生」

 ヴィヴィアンはそれだけ言い残して、教室を出て行った。



* * *



 誰もいない保健室で、黙々と治癒を施し、最後に包帯を巻き終えたころには、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。この後の授業は入っていないから、必然的に魔法薬学の後片付けをすることになるだろう。

 時計を見ながらそんなことを思っていると、徐々に近づいてくる足音に気づいて、扉に目を向けた瞬間、勢いよく保健室の扉が開かれた。


「ヴィヴィ!!」


 走り込んできたのは、案の定デイヴィスだった。授業が終わってからのこの短時間に加え息を切らしている様子からして、廊下を走ってきたのだろう。トレインに見られていたら説教ものだ。


「ちょっと。此処、保健室ですよ。もっと静かに……」
「怪我の容態はどうだ!?」
「話聞けって」


 デイヴィスはそのままつかつかと近づいてくると、怪我をしたのは手だけというのに、全身をくまなく確認された。そして話を聞かないまま怪我をした手を取って、せっかく包帯を巻いたというのに、それを解いて怪我の具合を確かめられる。

 はあ、とヴィヴィアンは呆れたため息をついた。


「大丈夫ですって。少量だし、学園に置いてあるのは濃度が低い。軽い火傷程度で済んでます。痕も残らないですよ」


 そう言っても、デイヴィスには聞こえないらしい。

 おもむろに手袋を外してポケットに手を入れたと思えば、薬瓶を取り出して、クリーム状のそれを怪我をした皮膚に塗り込められる。見たことがある薬瓶で、デイヴィスが調合した即効性の高い治癒薬だとすぐに分かった。それを塗り終えると、再び怪我の具合を確認して、丁寧に包帯を巻きな直される。


「気にしすぎ」
「当たり前だろう、お前ひとりの身体じゃ無いんだぞ」


 思わずどきりとして、ヴィヴィアンはじとりとデイヴィスを睨みつけた。


「……その言い方、なんかヤダ」
「事実だろう、ヴィヴィ?」


 フッと口角を上げたデイヴィスは、見せつけるようにわざとリップ音を鳴らして、指先にキスを落とした。見上げてくる灰色の眼差しが蠱惑的で、押し黙るしかできなくなったヴィヴィアンは、視線から逃げるように目を逸らすしかできなかった。

 髪から覗く、ほんのりと染まった耳。それを見て、デイヴィスはそっとほくそ笑んでいた。