綺麗な人



 その人は、いつも一人でいた。


「見てみたまえ、貴宝院先輩だ」
「ああ、本当だ。彼の姿を見るなんて珍しい」
「それにしても、いつ見ても綺麗な佇まいだ。彼の美しさが溢れ出ている」


 ポムフィオーレ寮の談話室を通り過ぎる途中で、寮生たちの話し声を聞いて、ヴィルはふいに立ち止まった。寮生たちは覗き見るように談話室に視線を送っていて、それを追うようにヴィルも談話室へ視線を向けた。

 視線の先には、談話室のソファに座って退屈そうに窓の外を眺める人がいた。長い黒髪は黒檀のようで、そこから覗くアメジスト色の瞳はどこか妖艶な雰囲気を放つ。長い髪は簪というもので結って、正式な寮服ではなくそれに見立てた着物という東洋の伝統衣装に身を包むその人は、この寮で誰よりも異質な空気を放っていた。

 寮生たちが話していた通り、彼を目にするのは珍しい。基本的にその人はいつも一人でいて、ふらりとすぐに居なくなる。自由気まま人間で、協調性の欠片も窺えないが、それはそれで彼の魅力を引き立てていた。

 東洋出身の謎めいた人。異国情緒の雰囲気と彼自身の秘匿性に、学年関係なしに寮生たちは彼に目を奪われ、そしてヴィル自身も、そんな彼に惹かれていた。







 ある日、また談話室で彼を見つけた。その日は珍しく談話室に彼以外の人間はおらず、彼はのんびりとソファに腰を掛けている。

 ヴィルは自室に向けていた足先を談話室に向け、コツコツとヒールを鳴らした。


「ねえ、そこのアナタ」
「ああ?」


 声をかけると、その人は気怠い様子でこちらに振り返った。怠そうな様子は、遠くから眺めていた時と変わらない。口調は荒くて粗暴な言葉遣いだったが、彼という人間に馴染んでいて、それさえ魅力的に見えた。

 ふと、その人は口元に手に持っていたものを引き寄せた。それを口に咥えるとそっと息を吸い込んで、口を離して息を吐く。すると、口から白い煙が吐き出された。

 確か、東洋で使われる煙管というものだ。ヴィルはそれ見て、きゅっと眉根を寄せる。


「未成年は喫煙禁止よ」
「……ああ、俺はいいんだよ」


 ちらりと視線を向けて、そんなことを言う。なにがいい≠フかは分からないが、もしかしたら東洋では制限年齢が違うのかもしれない。

 煙管を吹く彼の姿は絵に描いたように綺麗だが、喫煙は本人にも他人にも身体に悪いものだ。ヴィルは眉をひそめて、煙管を吹く彼を見つめた。

 その不愉快そうな様子に気づいたのか、その人は仕方なさげに煙管を口から離して、テーブルに置いてあった器のような物に煙管を叩いて燃やしていた中身を取り出した。


「で? お前は誰だ、わざわざ俺にお説教でもしにきたのか?」


 吸うのをやめたその人は、怠い様子のまま問いかけてきた。

 無視でもされると思っていたが、案外他人の話は聞くタイプのようだ。


「アタシはヴィル・シェーンハイト、一年生よ」


 礼儀として声をかけた自分から自己紹介をするヴィル。大抵の人間は芸能界で有名なヴィルだと知って大きな反応をするが、その人は「ふぅん」と興味なさげに気の抜けた反応をした。

 自分のことを知らない人間だっていると思っているし、大して反応を示されなくとも一切気にはしていないが、此処に入学してから周囲の反応が騒がしかったため、少し変な感覚がした。


「モデルをしてるんだってな。うちの寮生たちが騒いでた」


 しかし、予想に反してその人はそう続けた。一切興味も持ってない様子だったのに、周りが話していた内容は覚えていたらしい。

 なんだ、アタシのこと知ってたんじゃない……。

 ヴィルはなんだか肩透かしを食らった気分になった。


「確かに整った顔立ちをしている。綺麗だな」
「――!」


 聞き慣れている言葉だが、思わずヴィルは口を噤んだ。少し、頬に熱が集まる感覚がした。それから気を逸らすように、ヴィルは平然を纏いながら噤んでいた口を開く。


「アンタは? アタシはちゃんと名乗ったわよ」
「雅。貴宝院雅だ」


 名乗られた名前に、思わず首を傾げてしまう。「貴宝院?」やはり東洋の名前で、聞き慣れない発音だ。「貴宝院が姓で、雅が名だ。極東では姓から名乗るんだ」すると、その人――雅は案外丁寧に説明をしてくれた。煙管の件といい、根は親切な人みたいだ。


「それで? 俺になんの用だ」


 名乗り終えると、雅は改めて尋ねた。


「みんなアンタを遠巻きにして見ていたから、気になって。ちゃんと話してみたかったの」
「へえ? 俺と、ねえ」


 素直に口にすれば、雅はわずかに目を見張ってからそっと目を細めて口角を上げた。アメジスト色の瞳が、さっきと比べて関心を向けているのが分かる。じっと視線を向けたままこちらを窺ってくる様子を、ヴィルは静かに見つめ返していた。


「アンタ、とても綺麗ね」


 独り言のように零れ落ちた。その言葉に嘘はなくお世辞もなく、素直に心から思ったことだった。

 それを聞いた雅は、虚をつかれたように目を丸くした。けれどそれは一瞬のことで、また目を細めて見つめ返してくる。

 ヴィルは興味本位で雅の頬に手を伸ばした。避けられることも振り落とされることも無かった手は、そのまま雅の頬に触れる。


「化粧薄いのね」
「俺の国じゃ、男は化粧なんてしない」
「なによ、それ」
「融通の利かないお堅い国なんだよ、嫌気がさすくらいな」


 雅はそう言って鼻で笑った。

 彼の出身国については詳しくは知らないし、彼のこともまだ何も分かってはいないが、少なくとも今の様子で自分の故郷にあまり良い印象が無いことだけは窺えた。

 頬を撫でていた指を滑らして目元に触れれば、それを受け入れるように瞼を閉じる。その様子がなんだか嬉しくて、胸の奥から温かい気持ちが溢れてくる感覚がした。


「ねえ、化粧をさせて頂戴」
「なんだよ、俺の顔が好きなのか?」


 フッと揶揄うように笑う雅に、ヴィルは小さく唇を尖らせた。


「……美しいのが好きなだけよ」