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艶美の白蛇
「おはよう、お前ら!」
「おはようございます、寮長、副寮長!」
「ああ、おはよう」
朝、カリムとジャミルが制服に身を包んだ姿で談話室へ来れば、元気よくスカラビアの寮生たちは屈託のない笑顔で挨拶をした。カリムとジャミルは多くの寮生たちに信頼されているため、これも2人の人望の結果だろう。
談話室に入ると、カリムはきょろきょろと辺りを見渡す。「あれ? ナギルは?」姿の見えないその人の名前を呼ぶと、傍らにいたジャミルもそれに気づく。「おい、ナギルはどうした?」すぐさまジャミルは傍にいた寮生に問いかける。「今朝はまだ見ていません」寮生の返答に、ジャミルは「そうか」と返す。
「今日は寝坊か」
「じゃあ一緒に起こしに行こうぜ!」
ジャミルにとっては、カリムは此処で大人しく待っていてほしいが、話を聞かずにカリムは早々にナギルの部屋へ向かおうとする。その後ろ背を見詰め、ため息を落としてからジャミルも足先を向けて歩き出した。
ノックを2回してから、扉を開く。部屋を覗けば、天蓋付きのベッドの中でナギルはスヤスヤと寝息を立てていた。「熟睡だな」と見下ろしながらジャミルが言えば「そうだな!」とカリムも頷く。
「カリムはナギルを起こしてくれ」カリムにそう指示すると、ジャミルは部屋のクローゼットを開け、制服などを手に持つ。
カリムはナギルを起こそうと改めて顔を覗き込んだ。自分と同じ褐色の肌に、真っ白な絹のような髪。長いまつ毛。ふっくらとしていて、柔らかそうな唇。身体つきも細身で、一見女と間違えてしまうこともある。それでもわずかについた肉付きから、やはり男だと思い知る。
ほうっと思わず眠ったナギルを見詰めていると、閉じた瞼が持ち上げられ、真珠のような瞳がじっとこちらを見上げた。
「お、起きてたのか!?」
「そんなに見られてたら誰だって起きるよ」
「そ、そっか」
カリムは恥ずかしそうにはにかんで、指で頬を掻いた。
布団をどけて上半身を起こせば「ああ、起きたか」と、ちょうどナギルの服を持ったジャミルが近寄ってきていた。
「ほら、早く着替えるぞ。このままじゃ遅刻する」
「自分でできるよ」
「いいから、ほら」
ジャミルはそういって、テキパキとナギルの寝間着を脱がせて制服に着替えさせる。ベッドから足を下ろして座っているナギルは、黙ってそれを受け入れる。一方カリムも準備を手伝うと言い出して、ナギルの背後に回って髪に櫛をいれる。それが終わると、いつもナギルがしている大きめの耳飾りに手を伸ばした。
「間違えて刺したりしないでよ」
「もちろんだ! ・・・・・・たぶん」
耳飾りを片手にナギルの耳に手を伸ばす。間違えて刺してしまわないように細心の注意を払いながら、おそるおそる瞼に触れて耳飾りを刺す。「ふふ、くすぐったいよ」カリムの手つきに思わず笑ってしまう。
優美に微笑むナギルを横目に、カリムは愛おしそうに目を細めた。
「じゃあ、またお昼にね」朝食を終えると、ナギルはそういって自分の教室へ足を向け歩き出した。カリムとジャミルはそれを見送り、自分たちも各々じぶんの教室へ向かう。踵を返す中、ジャミルは何度か背後を振り返りナギルを見詰めた。その瞳には心配の念が渦巻いている。
ナギルはカリムとは違い、自分でなんでもできるし頭も切れる。手先も器用で、世渡り上手だ。他人が不用意に心配するような人じゃない。それはジャミルにとってもそうだ。だが、ジャミルが心配しているのはそういうことではなかった。
「ねえ、このあとオレと一緒にどうよ?」
こういうことが時たま起こる。いや、時々なんてものじゃない。
ふとナギルを廊下で見かけたジャミルが後を追うと、人気の少ない廊下の曲がり角で、ナイトレイブンカレッジの生徒にナギルが話しかけられていた。ナギルは壁に側に半ば追い詰められているように見え、その生徒は逃げ道を塞ぐように目の前に立っている。
ナギルはこの学園では少々目立つ。性別が男ではあるが、ナギルは中世的な顔立ちをしている。背も男にしては低く、細身で、無駄な肉をそぎ落としたような身体つきをしている。それに加え、ナギルは誰をも魅了するほどの妖艶な雰囲気を纏っていた。それは、同じ男でも思わず見惚れてしまうほどの。
ここは全寮制の男子校だ。そんな思春期真っ盛りの男の中にこんな奴を放り込めば、ああいった行為に走る奴も現れる。
ジャミルが心配していたのは、まさにコレだった。
「へぇ・・・・・・ボクと何か楽しいことでもしてくれるの?」
そしてさらに問題なのが、否定をしないで悪ノリをするところだ。
じっと相手を見上げていたナギルは、ニッと口端を吊り上げ、目を細めて艶美に微笑む。色香の漂うそれに、きっと誰もが息を飲みこむだろう。それほどナギルという少年は、人間の欲望を掻き立てるような艶姿を持っていた。
「ナギル」
「・・・・・・ジャミル」
生徒がナギルに手を伸ばそうとした瞬間、死角から姿を現す。ジャミルの姿を見て、ナギルは少し厄介そうな目をして視線を逸らした。そんなことも気にせず、ジャミルは2人の間に割って入る。
「こんなところで何をしてる。授業が始まるだろ」
ナギルの腰に腕をまわして強引に引き寄せる。自分の胸元に顔を伏せたナギルを確認し、ジャミルは鋭い眼光で生徒を睨みつける。そこには殺意が込められていた。鋭利な眼光に睨まれた生徒は冷や汗を流して慌てて逃げ出す。逃げた生徒の背を見詰め、姿が見えなくなったころ、ジャミルはフッと吐き捨てるように鼻で笑った。
「ナギル。お前はもう少し危機感を持て」
「ボクに危機感がないだって? カリムじゃないんだから」
「自分の身ぐらい、自分で守れるよ」身体を離して、ナギルはやれやれと少し面倒そうに言った。経験上、こういう事態に出くわしたときのジャミルは面倒だ。それはカリムにも言えることだが、ジャミルのほうがしつこい。
「はあ・・・・・・ほら、授業に行くぞ」
深いため息を落として踵を返した途端「お腹すいた」という、素っ頓狂なナギルの言葉に足を止める。振り返れば、ナギルはいつものあの笑顔を浮かべて笑っていた。
「ジャミルのご飯が食べたいな、ボク」
ふふ、と妖美な笑みを浮かべる。
その笑みを見て、見慣れているジャミルでさえも息を飲む。キュッと口を噤んで、目をそらすように顔をそむけた。
「・・・・・・寮に帰ったらな」
予想通りの返答に、ナギルはフッと微笑んだ。