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陸地の人魚
――――陸で、美しい”青”に出会った。
アズール、ジェイド、フロイドは、今年ナイトレイブンカレッジに入学した。3人の故郷は珊瑚の海という、国自体が海に覆われた場所。つまり海の中だ。このたび入学するこの3人は、正真正銘の人魚だった。
人魚である彼らにとって、陸は未知の世界だ。当時は慣れない2本の足で歩くことさえおぼつかない状態だったが、入学前までにある程度の陸の知識や歩く練習をして、万全の状態で入学式を迎えた。
迎えの馬車に乗り、棺から目を覚ませば、そこはナイトレイブンカレッジ。入学式はすぐさま行われた。
新入生と各寮の寮長は黒いローブである式典服を着て、鏡の間に集まる。此処で行われるのは、闇の鏡による寮分け。闇の鏡が、その者にふさわしい寮に選別する、一種の儀式だ。アズールやジェイド、フロイドも順番に鏡の前に立って寮の選別をされた。
3人が選別された寮は、オクタヴィネル寮。グレート・セブンの1人である、海の魔女の慈悲の精神に基づく寮だ。アズールはこの結果を当然だと心の中で思っていた。
学園長の挨拶も終わると、新入生は寮長に従って各々の寮へと戻っていく。
「それじゃあ、オクタヴィネル寮の新入生は俺についてきてくれ」
オクタヴィネル寮の寮長が新入生に向かってそういった。その人は深くローブのフードを被っていて、影になってよく顔が見えなかった。彼が歩き出し、その後ろをゾロゾロと付いて行く。
「アイツが寮長?」
「そうみたいですね」
「え〜、なんか弱そ〜」
「お前たち、煩いですよ」
フロイドは迷惑なほど気分屋だ。入学早々に問題を起こされては困る、と愚痴るフロイドをアズールはすぐさま咎める。
鏡舎のオクタヴィネル寮へと続く鏡を通ると、そこは海の中だった。少し先には大きな建物があり、そこが寮なのだろう。新入生たちは海の中に寮があることに、各々感嘆の声を上げていた。3人にとっては海は身近なものであるため、そこまで感動することは無かったが、2本足で海の中にいるのは不思議な感じがした。
寮に入ると、まずはロビーに案内された。ロビーには数人の生徒待っていた。入学式後は寮ごとに新入生の歓迎会が催される。つまり彼らは、そのための在学生であることが伺える。
新入生は物珍しそうにあたりを見渡す。ざわざわとする新入生の前に立ち、寮長は咳払いをして、新入生からの視線を集めた。「あー、もう堅苦しくしなくていいぞ。フードも取って良い、楽にしてくれ」それを合図に、新入生たちはフードを取ったり、首元を緩めたりした。フロイドもすぐさま着崩し、アズールとジェイドはフードのみを取り去った。
気楽にし始めた新入生たちを見渡し「それでは、改めて」と、その人は深くかぶったフードを取り去った。
そして――目を奪われた。
「ようこそ、オクタヴィネルへ――――俺がオクタヴィネル寮寮長のブラウ・コラレだ」
――――陸地で、はじめて人魚を見た。
青い瞳に、青い髪。日差しを知らないような、白い肌。まるで、海のような人だった。揺れる髪は、まるでさざ波だ。瞳の奥を見詰めれば、そこは深海のよう。彼自身が、海そのもののような、そんな気さえさせた。
ブラウ・コラレを目の前に、アズールやジェイド、フロイドさえも、思わず目を奪われ見惚れていた。ハッと息を飲んで、言葉をなくした。
「ねえ、ジェイド、アズール・・・・・・」
ふと、フロイドが呟くような声で尋ねた。
「陸の上にも、人魚っているの・・・・・・?」
フロイドは子供のようにきらきらとさせた目で、じっとブラウを見詰めていた。他には何も見えていないと、瞳が語っていた。
「僕も同じことを思っていました・・・・・・陸にも人魚がいるなんて・・・・・・」
フロイドの言葉に応えるものの、ジェイドも同じように目を奪われていて、視線を逸らすことは無かった。驚いたように目を見開いて、それで見惚れていた。「ねえ、アズール・・・・・・?」同意を求めるように、ジェイドは言った。
「ええ・・・・・・」
なんて、綺麗なんでしょう・・・・・・。
最期の言葉を飲み込み、アズールは心の中で呟いた。陸に人魚なんていない。陸で人魚は生きられないのだから。人魚とは、海の生き物。2本足で立つ彼が、人魚であるはずがない。そうだと知っていても、美しい青い海を目の前に、人魚だと思わずにはいられなかった。
寮長と在学生による、新入生歓迎会は難なく終わった。歓迎会が終わると、寮長からいくつかの注意点と部屋の割り振りを伝えられた。部屋割は既に決まっていて、入学前に送った荷物はすでに各部屋へと運ばれているという。
「明日から新学期だ、今日はゆっくり休むといい」解散の言葉を合図に、新入生は在学生に案内されながら割り振られた自室へ向かい始めた。アズールたちも部屋に向かおうとしたが、彼への興味心が勝り、なんとか話ができないかと様子を伺った。
彼は数人の在学生や新入生と入れ替わりで一言二言話している。ロビーにいる生徒も減り、彼に話しかける生徒がいなくなったころ、3人はブラウに近づいた。
「すみません、少しよろしいでしょうか」
アズールが声をかける。ブラウは振り返り、3人に視線を向けた。
先ほどから目があったことは無かったが、今は自分たちを見詰めている。真っ直ぐに見つめられた青い瞳に、やはり綺麗な海だと心から感嘆した。
「新入生か。なにか困りごとか?」
ブラウは腰に片手を当て、問いかける。
「はじめまして。僕はアズール・アーシェングロットと申します」
「僕はジェイド・リーチ。こちらは双子のフロイドです」
「よろしくねぇ、サンゴちゃん」
「サンゴ?」フロイドの言葉にブラウは問いかける。「サンゴって、海の一部みたいなところあるじゃん? だからサンゴちゃん」フロイドはニコニコしながら語る。「フロイドは陸の生き物に海の生物のあだ名をつける癖がありまして」ブラウの疑問にジェイドが代わりに答えた。「なるほど、変わった愛称の付け方だ」ブラウは納得した、と頷く。
「それで? 俺に何か用か?」ブラウはそういって本題に促した。
「はい。実は僕たち、珊瑚の海出身の人魚でして。陸に上がったのも初めてで、右も左もわからない状態なんです。ある程度の知識は事前に調べましたが、それでもやはり穴があります。そこで是非とも、僕たちに陸についていろいろと教えていただきたいのです」
「常識も違いますから、できればフォローもしていただけると助かります」
「この尾びれで歩くのとか、ちょー苦労したんだよねぇ」
アズール、ジェイド、フロイドと続き、3人はそうブラウに打ち明けた。
話を聞いたブラウは考えるように顎に指を添えて視線を逸らした。「そうか・・・・・・確かに、突然暮らす環境が変わるしな・・・・・・」心の中で、少し面倒だが仕方がないか、とブラウは納得する。「一応、寮長だしな。わかった」ブラウが頷けば「ありがとうございます」とアズールは笑顔で答えた。
「それにしても、珊瑚の海か・・・・・・珍しいな」
ブラウの言葉に「そうなんですか?」とジェイドが尋ねば、ブラウは頷いた。「入学案内はよく行くが、此処は陸だからな。海を出てくる奴は少ない。だから、お前らみたいな人魚は珍しい」それを聞き、アズールは「そうなんですね」と相槌を打つ。「確かに、陸って面倒・・・・・・重力とか重すぎなんだけど」疲れたといわんばかりに、フロイドはそういって肩に手を当てた。
「せっかく海から陸に来たんだ。良い学園生活を送ってくれ。それから、俺は一応、慈悲に基づく精神の寮長だからな。困ったら俺に言え」
ブラウは目を細め、わずかに口端を上げて言った。
その微笑みに、またもや目を奪われたことなど、言うまでもなかった。
――時は戻り、1年後。
授業が終わりをつげ、ベルが鳴り響く。昼休みになり、生徒たちは教室を出て大半は大食堂へと向かう。ブラウは授業が終わった途端、両腕を上げて背伸びをしてから、疲れたように机に突っ伏した。
「どうした、そんなに疲れてしまったのか?」
突っ伏したブラウに声をかけたのはクラスメイトのリリアだ。「ああ、まあ。昨日もバイトだったしな」ダルそうに答えるブラウに「それはお疲れじゃの」と返答する。「お疲れのところ悪いが、そろそろ迎えが来るんじゃないか?」続いてトレイがそういい、ブラウは机から上半身を起こした。その直後だった。
「サンゴちゃ〜ん、お昼食べよ〜!」
「こんにちわ、ブラウさん」
「お迎えに上がりました」
3年E組の扉から3人が顔を覗かせ、笑顔でいつも通りの口上を口にした。
「さっそくお迎えだぞ」揶揄うようにトレイが言った。一方ブラウは、深いため息を落とした。「毎日毎日、懲りないなあ・・・・・・」はあ、とため息ともに吐き捨てる。「可愛い後輩ではないか」と同じように揶揄ってくるリリアに「最初は可愛かったさ」今は鬱陶しい、と続ける。
リリアやトレイと入れ替わりで、アズールにジェイドとフロイドがブラウのところまでやってくる。
「はあ・・・・・・毎日、本当に懲りないな。いい加減、俺離れしたらどうだ」
「えー、なんで?」
「まあまあ、そう冷たいことを仰らずに」
「貴方と僕たちの仲じゃありませんか」
「誤解を招く言い方はやめろ、ジェイド」
ニコニコと笑みを浮かべる3人を目の前に、ブラウは何度目かのため息を落とした。
この3人には、入学当初からなぜか懐かれている。初めは慣れない陸の暮らしをフォローしてほしいと頼まれたが、今では・・・・・・というか、しばらくしてそれが口実であったことに気づいた。寮長の座を渡しても、それでもなお、この3人は付きまとってきた。一体何を気に入られたんだか・・・・・・。
「それでは、ブラウさん。大食堂へ向かいましょう」
「あー、はいはい」
面倒な奴らに気に入られたものだ。
ブラウは渋々席を立ち、一緒に大食堂へと向かった。