第一話
「最近、なにか楽しいものでも見つけたのかい、シャイロック」
そう不躾に問いかけてきた男は、バーカウンターのテーブルに頬杖をつきながら、ニヤニヤとした笑みを浮かべていた。彼がこうして人の神経に障るような笑みを浮かべて唐突に尋ねてくることは、いつものことだ。けれど、今日に限っては、いつにも増して至極面白そうにした笑みだった。
「なぜ、そのようなことを聞くんです、ムル」
微笑みを絶やさぬまま、シャイロックはいつものように腹の内をさらけ出さぬように口角を上げた。そのままムルから視線を外し、手もとのグラスに落として磨いていく。
そんな素気ないシャイロックに、ムルはさらに楽しそうに笑みを深めた。
「最近の君はいつもに増して楽しそうだ」
「おや、具体的には?」
ふふ、とシャイロックは笑みを零した。いったい自分が他人に、ムルに、どんなふうに見えているのか気になったのだ。
そんな少々挑戦的に笑んだシャイロックに、ムルはニヤリと口端を上げて、ひとつひとつ指折って言った。
「最近の君は付き合いが悪い」
まずは、一つ目。
ムルはカウンターテーブルに肘を付きながら、下から覗き込むようにシャイロックを見上げた。計算高い猫が都合が良いときに甘えてくる姿に似ている。「俺が誘っても、君はちっとも付き合ってくれない」ムルはそう言って、わざとらしくため息を落とした。
「貴方が余計なことを言ったからではないですか」
そんなムルに見向きもせず、シャイロックは態度を崩さずにグラスを磨き続ける。
ムルは頭が良く、自他ともに認める天才だ。知的欲求心が高く、この世のあらゆるもののすべてを暴きたくて仕方がない男。挙句には、一年に一度この世界に襲来する〈大いなる厄災〉である月に恋をする、イカレタ魔法使いだ。そんな彼が、他人の内側に踏み込んで、心を荒らして踏みまわることはいつものことで、とにかく人の神経を逆撫でるのが得意なのだ。いつか遠い日に、ムルをこの場所から締め出して出禁にした記憶が懐かしい。
その事実を知りながら、ムルは微塵も気にしていない様子で「それはいつもの事だろう?」と笑む。それに呆れの混じったため息を落とした。
「それだけじゃない」
ムルは続ける。
「最近は時間を気にして、閉店時間きっかりに店を閉める」
広げて見せたムルの手に、二本の指が折られた。
シャイロックはその言葉に「当たり前でしょう、営業時間を終えてるんですから」と、はっきりと答えた。営業時間を終えているのに、いつまでも店を開けておく方がおかしいだろう。閉店時間ぴったりに店を閉めるのは当たり前のことだ。だからそれは問いの理由にはならない、と言った。
「でも以前は、閉店時間が過ぎても俺との討論に付き合ってくれただろう」
しかしムルはそう言って返してきた。確かに、閉店時間が過ぎてもムルが店に入り浸るため、夜通し討論をする日もあった。彼との討論は面白く楽しいものであったから、決してシャイロックは嫌だと思ったことは無く、その時間を大いに楽しんでいた。
「最近は追い出されてばかりだ」
わざとらしくしてしおらしく言うムル。それに少し腹立たしく感じるも、シャイロックはそっぽを向いて素気ない態度を取り続ける。
そして、三つ目の指が折られた。
「君の外出が減った」
買い出し中の君にめっきり会わなくなった、とムルは続ける。
そうは言っても、買い出し中に彼とはちあわせることなんて滅多にない。彼は神出鬼没だ。いくら同じ国に住んでいると言っても、そんな彼と街中で出会うのは珍しい。しかし、嫌なことにムルは、会ってもいないのにこちらの動きを把握していることがある。どこかから観察しているのか、それとも人伝に聞いたのかは知らないが、おそらく後者だろう。だから外出が減った≠ニいう事実は言い当てられていた。まったく嫌な人だ、とシャイロックは心の内で零した。
「で、シャイロック。いったいなにを見つけたんだい」
エメラルド色の瞳が、真っ直ぐこちらを捉えていた。惹き込まれるような緑色の瞳。すべてを暴いて、すべてを見ようとする、不躾で思わず逸らしてしまいたくなるような視線。
「君がそれほど夢中になっているものに興味があるんだ」
眼光が開いた。目を輝かせて、自身の欲求に真っ直ぐなその姿は、見ていてとても清々しく楽しい。けれどこのまま彼になんの抵抗もなくあっさりと暴かれてしまうのは、癪だ。
「秘密です」
唇を引いて、人差し指を立てて、シャイロックは妖艶に微笑んだ。