冬の終わり
寒い冬の夜は過ぎ去って、新しい朝が迎えに来た。
空は雲一つない青空が広がり、肌を撫でる風は温かく、草木や花はゆらゆらと躍り出す。
小鳥がさえずり歌って、太陽が昇ったことを知らせる。
冬のあとには春が来るのだと、誰かが言っていたのを思い出した。
魔法舎の朝はいつも賑やかだ。朝食の時間になると、ネロが作ってくれる食事を楽しみにして、みんなが食堂に集まってくる。
いつもの時間に食堂に訪れれば、すでに全員が食堂に集まっていた。ミスラとドロシーは最後に食堂にやってくることが多い。食堂に足を踏み入れると、最初に二人に気づいた賢者がニコリと笑って駆け寄ってくる。
「おはようございます、ミスラ、ドロシー」
「おはようございます、賢者様」
賢者に軽くお辞儀をして挨拶を返す。その背後では、ミスラが眠そうに大きな欠伸をしていて、それを見た賢者が苦笑を零した。それにつられて、ドロシーも笑みを零す。動き出した賢者に続いて、数人の魔法使いたちも挨拶を交わしに来た。今日はアーサーもいるようだ。相手に触れなければ姿が見えないカインとも握手を交わして、いつも繰り返す朝の出来事を終える。そうして流れるように食堂へ目を向ければ、ふいにオズと目が合った。
オズもつい先ほど食堂に来たようで、席つくことも無く、こちらに視線を向けていた。きっと、先ほどまでアーサーと話していたのだろう。オズとドロシーはじっと見つめ合った。周りにいた賢者たちは、黙って向かい合う二人を見守っていた。そこにはどこか緊張感が走っていて、遠くにいる魔法使いたちも自然と二人に視線を向けていた。それに気づくことも無く、二人はそっと頬を緩めた。
「おはよう、ドロシー」
「ええ。おはよう、オズ」
自然と笑みを浮かべながら、二人は新しい朝を迎い入れた。
その瞬間、わっと声が上がった。すぐさまアーサーや賢者は二人に駆け寄って笑顔を浮かべ、カインに至ってはオズの背中を強く叩いて良かったな、と笑いかけていた。それに混ざって西の魔法使いたちがお祭り騒ぎをして、宙に花火や花びらが舞う。あっという間にパーティーのような騒がしさに包まれたオズは、困ったように視線を彷徨わせ、そんなオズにドロシーはクスリと笑みを零した。
「なんです、朝から騒がしいですね」
輪から外れたところで、ミスラは欠伸を零しながらぼやいた。「あ･･････ミスラさん」すぐ近くにいたルチルがハッと気遣う様子で視線を向けたが、なんです、と首を傾げれば「･･････いいえ。良かったですね」と笑って、ルチルも輪の方へ駆け寄って行った。その様子を分から離れた席に座ってぼんやりと眺めていると、フィガロが傍らへ来た。
「意外だな。おまえなら、駄々をこねてドロシーを困らせると思ったよ」
テーブルに寄りかかりながら見下ろしてくるフィガロを、ミスラは見上げた。
「･･････まあ、気に食わないのは確かですけど」
視線を輪の方へ向ければ、その中心には笑みを零すドロシーと仏頂面のオズがいる。知らず知らずに、フッと笑みがこぼれていた。
「あの人が笑っているなら、それでいいです」
フィガロは目を白黒とさせて、呆然とミスラを見下ろした。ぽかん、と口を開けて目を丸くするフィガロに、ミスラが不振がって、なんですか、と眉根を寄せて言えば、いいや、とフィガロは笑いながら首を振った。
「おまえ、良い男だね。駄々をこねるだけの子供だと思ってたよ」
「子ども扱いしないでください。それに、駄々をこねてドロシーを泣かせたら、オズと同類になるじゃないですか」
「･･････はは！」
騒がしく賑やかな声を聞きながら、笑い合う二人をそっと遠くで見つめていた。
＊ ＊ ＊
パーティー騒ぎの朝食を終え、各々が自由時間を過ごしに食堂をあとにして行く。次々と食堂をあとにして行くなかにはドロシーもいた。特に目的はないが、今日は討伐や調査の予定もない。誰かとの予定もないため、読書でもしようとドロシーは図書室へ足先を向けた。すると、背後から名前を呼ばれ呼び止められた。
後を追ってきたオズに振り返り、どうしたの、と問いかければ、時間はあるか、と問い返された。何かあるのだろうか。予定は無いと伝え、何かあるのかと聞けば、オズは静かに頷いた。
「おまえに見せたいものがある」
「見せたいもの？」
反復して、首を傾げた。
見せたいものとはなんだろう。オズがわざわざ自分に見せたいと言うものに、ドロシーは興味を引かれた。
首を傾げたドロシーにオズは再度頷き、おもむろに手を差し出した。「手を」言われるがまま、差し出された手を取る。大きくて、温かな手。最後にこの手を握ったのは、いつだっただろう。たまらなく愛しさを感じて、ドロシーはわずかに頬を緩め、その手をやんわりと握り返した。すると、オズの片手に魔道具の杖が現れ、それを掲げた。
「《ヴォクスノク》」
自分と対になっている呪文を唱えられた。瞬きをして、次に目を開いた時には、そこに魔法舎の姿は無く、真っ白な白銀の世界が果てまで広がっていた。
真っ青な青空には雲一つなく、真っ白な雪の大地を太陽が照らして、きらきらと反射するそれは幻想的な風景をみせていた。そっと風が吹き、二人の髪を揺らした。北の国に吹く風は、どの国に比べても凍えるほど冷たいが、今日の風はまるで麗らかな春のように暖かい。
「双子に拾われる前に、私たちが彷徨っていた場所だ」
「懐かしい場所･･････何も変わってないわ」
ドロシーはなにも無い白銀の世界を見渡した。
お互いひとり彷徨い続け、ついに出会って、二人手を繋いで歩き続けた大地。そこには、なにも無かった。ただ雪の大地と、灰色の空が広がるばかりの場所。あるのは、お互いだけ。お互いの存在だけが、確かなものだった。
息を吐けば、白い靄が宙を舞った。ふと、繋がれた手を握った。それに応えるように、繋がれた手を握り返された。遥か過去に二人手を繋いで彷徨った場所に、二人手を繋いで今此処に立っている。それがなんだか不思議に思えて、つい感傷的になってしまった。
「あれを」
オズに手を引かれて、足跡一つない雪の大地に二人分の足跡を作っていくと、ふいにオズが遠くを指さした。その指先を追っていけば、雪から顔を出した岩場があった。その岩場のすみに、ゆらゆらと風に揺れる二輪の花が咲いていた。あの時の、花と同じだ。
「待雪草と言うらしい」
オズは花に視線を向けたまま呟いた。「冬の終わりに咲き、春を告げると伝えられている」あらためてドロシーは花を見つめた。小さな白い花びらを付けて、可憐に、しかし力強く、冷たい雪のなか咲き誇る。その姿は、この雪に覆われた大地でなによりも美しかった。
「私にとって、おまえはあの花だ」
驚いてオズを見上げた。そこで、思わず息を飲んだ。
オズはそっと目を細めて、その花を見つめていた。その眼差しには愛おしさと慈しみが溶け合っていて、温かい。緩んだ口元には笑みが浮かんでいて、見たこともないくらい、優しく微笑んでいる。ふいに、その視線が移った。真っ赤な瞳に、自分の姿が映り込む。
「凍える冬の日も、冷え切った心も、おまえが溶かしてくれる」
繋がれた手を解いて、指絡めて、ギュっと握り込まれる。冷え切った指先から、熱が伝染する。
熱の籠った眼差しが、真っ直ぐに降り注ぐ。熱くて、優しくて、温かくて、心地好くて。その眼差しだけで、溺れて、窒息してしまいそう。
「私たち、ずっと一緒よ」
絡められた指に力を入れて、離さぬように握り返し、真っ直ぐとオズを見上げる。
あの日の言葉を、繰り返した。誓いのような、約束のような言葉。狡くて、縋るようなその言葉。あの頃は、答えてくれなかった。あの時は、応えてくれなかった。けれど、今はもうなにも怖くは無いの。
「ああ。これから先は、おまえと共に」
だれにも侵されない白銀の世界で、手を繋いだ二輪の花は、昔みたいに寄り添い合っていた。
――スノードロップ オズ END.