ぼくの孤独がきみだった

「おまえを置いて行ったことを、酷く後悔した」


　オズは、ぽつりぽつりと語り始めた。真っ直ぐと目の前を見据える瞳には、きっと過去の映像が映し出されているのだろう。ドロシーはその様子を見つめ、隣に腰を掛けながら黙って聞いていた。


「私はおまえに、平穏な暮らしをしてほしかった」


　そっと瞳が細められる。

　白銀の世界を、二人で彷徨っていた。行くあてなど無く、目的もな無く、ただただ雪の大地を歩き続ける。凍えるような毎日だった。心までも凍り付くような世界だった。そんな中でスノウとホワイトに拾われ、温かな家と食事を与えられた。守られた屋敷の中には危険なものなど一切無く、平穏で平和な穏やかな日々だけがあった。平穏な日々が似合っていた。穏やかな日々の中、笑顔でいるのが似合っていた。いつか双子の屋敷を出て、二人で暮らすそんな日々を漠然と思い描いていた。


「だが、私の傍では危険が伴う。いつ襲ってきた魔法使いに、おまえが傷つけられるか、おまえが石にされるか･･････私にはそれが、恐ろしかった」


　しかし、それは難しいのだと思い知らされた。自分が望まなくても、自分の魔力を狙って次々に魔法使いたちが現れてくる。何度も何度も殺しに来る彼らを、何度も何度も殺してきた。避けられないのだと、知った。これは強い魔力を持って生れ落ちてしまった、自分の宿命なのだと諦めるしかなかった。そんな自分と一緒に居れば、いつかドロシーが傷つく。どんなに守っても、きっといつかは傷ついてしまう。石になってしまう。それが何よりも恐ろしかった。

　ドロシーは瞼を閉じたオズを見つめた。


「ひとりになって、孤独を思い知った。ひとり歩く雪原は、ひどく寒かったのを覚えている」


　振り向けば、そこにドロシーが居た。隣にはいつも、そこにドロシーが居て、触れ合った手は固く繋がれていた。けれど、今は居ない。白銀の世界にはたったひとり自分しかおらず、雪原には一つの足跡しか残らない。片割れを失くして孤独を知った双子のように、オズもまた、ドロシーの存在を失くして孤独を思い知った。

　おもむろに、オズはポケットの中に手を入れ、そこから何かを取り出した。差し出されたそれに、戸惑いながら両手を伸ばすと、手のひらにそれが流れ落ちた。


「これ･･････」


　それは、昔オズに渡したお揃いの首飾りだった。赤い水晶に白い花を閉じ込めた首飾り。雪の中、二輪寄り添って咲いていた花を、二つの水晶で分け合った。

　ドロシーは自分の胸元に手を引き寄せた。そこには、手のひらに載っている首飾りと同じ物がぶら下がっている。


「何度も、捨てようとした。おまえを置いて行った私に、これを持つ資格は無いと」


　何度もこれを眺めた。何度もこれに思いを馳せた。そのたびに腕を振り上げ、壊してしまおうとした。真っ白な雪の中、これを捨ててしまおうとした。

　オズはゆっくりと首飾りを持ち上げ、優しく握り込んだ。


「だが、できなかった。これが、唯一私とおまえを繋ぐものだった。おまえの存在を、近くに感じられた。だから、手放せなかった」


　まるでこの首飾りがドロシーの分身であるかのように感じた。温もりを感じていた。遠く離れた存在との繋がりを感じていた。首飾りから、記憶と想いが伝わっていた。それがただのまやかしでも、自分勝手な思い込みでも、確かにこの首飾りに救われていた。

　フ、とオズは穏やかに表情を綻ばせた。ようやく安心できたかのように、ようやく安息が得られたかのように。慈しみの帯びた眼差しで、笑っていた。

　胸が締め付けられた。グッと首飾りと一緒に胸元を強く握り込んだ。


「どう言葉を尽くそうと、私がおまえを傷つけたことに変わりはない。赦されないことをしたと、理解している」


　オズは眉尻を下げ、項垂れるように瞼を閉じた。

　どんなに言葉を尽くしても、どんなに真実を言葉にしても、過ぎ去ったことは変えられない。与えてしまった傷は癒えはしない。しかし、それでも。


「･･････だが･･････だがもし、私が赦されるのなら」


　もし、赦されると言うならば。
　もし、赦されたとするならば。


「――私と共に在って欲しい」


　真っ赤な炎に、自分の姿が映り込んだ。真っ直ぐに、ただ目の前だけを見つめている。あの頃と同じ。初めてその瞳に映った時のようだった。

　内側から、感情が溢れだしてしまいそう。込み上げてくるそれに、小さく息を吐いた。

　そっとオズを見上げた。オズはじっと見つめたまま、おもむろに手を差し出す。大きくて、温かくて、いつも守ってくれていた手。ドロシーは差し出された手を見下ろすと、またオズを窺うように控えめに見上げた。

　オズは見上げてくる赤い瞳に自分の姿が映り込んでいるのを見た。それは、まるで昔の時のようで。オズは目元をやわらげ、ひどく優しい笑みを浮かべた。


「私の隣に居て欲しい、ドロシー」


　目尻に涙が溜まっていくのが分かった。溢れ出てくる感情に胸が苦しくて、息が苦しい。開いた唇は震えて、声も頼りなかった。


「･･････私で、いいの？　貴方の負担に、なりはしない･･････？」


　守ってもらうばかりだった。弱い自分には何もできない。ひとりでは生きてはいけない。だからオズの負担になったのだと。弱い自分は、誰かに縋って生きてくしかできない。けれど、そんな自分でも。


「おまえでなければ意味が無い」


　――貴方が意味を与えてくれたなら、生きていて良かったと思えた。

　はらはらと涙が零れ落ちた。溢れる涙は止まることを知らずに、幾度と流れていく。自分の胸を抱いて、零れ落ちていく嗚咽を抱きしめる。

　ドロシー、と優しげな声音で名前を呼ばれた。伸ばされた両手は遠慮がちに肩に触れ、そのまま背中へ流れていく。気づけば、オズの腕の中で泣いていた。心地好い温もりに包まれて、優しく背を撫でてくれる。縋るようにオズ、と名前を口にすれば、頷いて強く抱きしめてくれた。

　幸せだった。幸せだった。これ以上ないほど満たされていた。ようやく触れ合えた。ようやく近づけた。待ち焦がれていた日に、ようやく出逢えた。離れ離れだった二人は、ぴたりと重なり合う。


「約束しよう。二度とおまえの手を離さないと、今ここに誓う」


　その瞬間、見えない糸に絡めとられたような感覚がした。キュッと首が締まり、その感覚はすぐに消えていく。

　ドロシーは驚いて顔を上げた。見上げた先には、愛しむように微笑むオズが、見下ろしていた。オズの大きな手のひらが、頬を撫でる。ドロシーはその手に自分の手を添えて、涙を流しながら微笑み返した。


「ドロシー」


　同じ色をした瞳が、絡み合う。
　夜と朝が、離した手を握りなおした。

　またあの頃のように、手を繋いで歩き出そう。