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ぼくらはいつもくるしくて



 ドロシーは重傷を負ったことで、フィガロからしばらくのあいだ安静にするようにと言いつけられた。賢者やアーサーからも、しっかり休んで欲しい、と熱心に言われ、しばらくは大人しく過ごすことにした。そのため、討伐や調査も他の魔法使いたちに任せることになった。

 重傷を負ったと言うが、外傷的なものは全てフィガロによって治癒されていた。しかし、それはあくまで外的な物だけで、魔力の回復や肉体的疲労は回復しきれていない。そのための休暇だが、既に休みを貰ってから一週間近くが過ぎ去っていた。一週間もあれば、肉体的回復も順調で、魔力もいくらか回復しきる。けれど、もう安静にしておかなくても大丈夫だ、と告げても賢者やアーサーは頷いてはくれなかった。よほど心配をさせてしまったらしく、大丈夫だ、と伝えても、もう少し休んで欲しい、と返されてしまう。医者の意見としてフィガロに振ってみても、フィガロは笑って「じゃあ、もう少し休んでおこうか」と、もう大丈夫だと分かり切っているのにそんなことを言ってくる。おかげで、ドロシーは未だに自室のベッドから抜け出すことができなかった。

 しかし、部屋に引きこもっているのは退屈ではなかった。もともと落ち着いたところを好んでいたこともあり、ひとり部屋に引きこもるのは苦ではなかった。それに加え、頻繁にルチルやミチルがお見舞いに部屋を訪ねてくるのだ。二人に限らず、カインやリケ、西の魔法使いたちも尋ねてきた。時々、東の魔法使いが差し入れだと言ってお菓子を届けに来ることもあった。おかげで部屋は賑やかで、退屈する時間は少ない。お見舞いという名の交流で、ドロシーは徐々に仲間たちと打ち解けて行った。しかし、いつも心晴れやかというわけではなかった。

 討伐の日から今まで、オズとミスラの顔を一度も見ていなかった。オズが尋ねてこないのは、ドロシーも理解している。またお互いを避け続ける日々が戻っただけだ、とドロシーは自分に言い聞かせた。一方、ミスラの様子は一切分からなかった。無鉄砲に飛び出してしまったことを、まだ怒っているのだろうか。それとなくルチルやミチルに尋ねたこともあるが、魔法舎で見かけることはここ数日少なく、見かけても不機嫌で近づき難いと言っていた。完治したら、ミスラに会いに行かなければ。ドロシーはひとりベッドに座りながら、そう心にとどめた。しかし、それも杞憂に終わることになった。

 数日後、ミスラの方から目の前に姿を現したのだ。いつものように突然、部屋に扉が現れ、その扉の向こうからミスラが現れる。部屋に足を踏み入れると、背後で空間を繋げた扉はパタリと閉まり、跡形も無く扉は存在を消した。

 目の前のミスラを見上げるが、視線は交わらない。ちらちらと視線を逸らして、ようやく視線が合ったと思えば、すぐにまた視線を彷徨わせてしまう。どうすれば良いか分からない子供のようだった。しばらく経つと、沈黙に耐えられなくなったのか、ミスラはガシガシと乱暴に頭を掻いて、ボスンとベッドの隅に腰を下ろした。


「・・・・・・怪我の具合はどうですか」


 こちらに背を向けて座るミスラの表情は窺えないが、その声色は心配しているようにも怒っているようにも聞こえた。


「大丈夫よ。もう動けるわ」
「・・・・・・そうですか」


 心配をかけてしまった、という申し訳なさを胸に抱えながら、大丈夫だと笑って言えば、ミスラはほっと安心したように小さく息を吐いた。

 沈黙が場を支配した。どちらも口を開くことは無く、ただただ時間だけが過ぎ去っていく。その時、おもむろにミスラが再び口を開き始めた。


「あなたにそんな力があったなんて、知りませんでした」
「・・・・・・私も話に聞いていただけで、実際に使ったことも、使うつもりも無かったから」


 その言い方は、何故話してくれなかったのだと責めるような物言いだった。ミスラは返答も頷くそぶりも見せずに、また黙り込む。それでも話してほしかった、と背中から伝わってくるようだった。その背に「ごめんなさい」と言えば、居心地が悪そうに身体を動かして、ようやくこちらを振り向いた。

 彷徨う緑色の瞳。


「貴方に怪我が無くて、よかったわ」


 その意味を、理解しようとしなかった。

 突然、視界が揺れた。背中にベッドの柔らかい感触が触れ、視界いっぱいに天井とミスラの顔が映った。何が起こったのか、理解できなかった。ミスラはベッドの上に膝をついて、馬乗りになるように覆いかぶさる。手首を大きな手に掴まれ、シーツに縫い付けられて逃げられない。ミスラに組み敷かれたのだと、ようやく理解した。


「どうして、庇ったりしたんです」


 呆然とミスラを見上げていた。ミスラは眉根を寄せて、睨みつけるようにこちらを見下ろしていた。それに気圧されて、喉から声が出なかった。


「あなたが死ぬかもしれなかったのに。オズが大切にしてたからですか」


 は、と嘲笑するように乾いた笑みを浮かべたが、それもすぐに消えて、また怒りを露わにした鋭い眼光を向けられる。


「いつまで経っても、あなたはオズのことばかり。何百年経っても、オズのことしか考えてくれない・・・・・・ッ!」


 掴まれた手首を強く握られ、痛みが走った。骨が軋むようで、思わず顔を歪めてしまう。けれど、痛い、と声を上げることもできず、力はますます強くなっていく。


「あの人に左右される空を見つめて、オズの名前に耳を澄ませて、毎晩毎晩あの人を思い出してッ!」


 声はどんどん大きくなっていく。こんなミスラは知らない。小さく肩を震わせて、目の前のミスラを見上げることしかできなかった。


「あの人はあなたを捨てたのにッ!!」


 その瞬間、頭が真っ白になった。息が詰まって、上手く呼吸ができない。目端から静かに涙が零れ落ちていく。

 一際大きく声を荒げたミスラは、顔を俯かせて、グッと手首を掴んだまま、呼吸を整えようと息を繰り返した。

 ドロシーは呆然とミスラを見上げるしかなかった。


「・・・・・・ミ、スラ・・・・・・」
「・・・・・・ッ!」


 震えた唇から、掠れた声が出た。上手く、言葉が言えない。それと同時に、溢れるように涙が零れ落ちた。

 ミスラは怒りを堪えるように、唇を噛んだ。


「あなたが、言ったのに・・・・・・俺は、強い魔法使いになれると・・・・・・」


 先ほどとは一変して、その声は静かで、小さくて。まるで縋るようなものだった。怒りを渦巻かせていた緑色の瞳はどこかへ消えて、迷子の子供のような瞳がそこにあった。


「――俺を見てください」


 ぽつり。雫が水面に落ちて、静かに波紋を広げていくような静けさだった。

 こつん、額が触れ合う。掴まれた手の力は抜けて、今度は優しく指で撫でられる。視界には、ミスラの瞳しか映らない。懇願するような眼差しに、目を逸らすことなんて、できなかった。


「俺を見てください、ドロシー・・・・・・」


 見て、見て。こっちを見つめて。こっちを振り向いて。

 願ったのは、それだけだった。いつも誰かに向けられる視線を、自分に向けて欲しかった。誰かを通す眼差しを、自分に向けて欲しかった。目の前には自分しかいないのに。あなたの目の前には自分がいるのに。だから、どうかその瞳で、自分を見つめて。見つめて。見て。

 ミスラは瞼を閉ざすと、腕を離して身体を起こし、ベッドから降りた。背中から弱々しい声で名前を呼ばれたが、それに振り返ることはしなかった。そのままベッドから遠ざかり、部屋を出て行く。

 ドロシーがどんな表情で、自分を見ていたか、分からない。声を詰まらせて、息を止めたドロシーの顔が頭に焼き付いて、離れない。苛立つ。腹が立つ。腸が煮え滾るような感覚だ。

 背後で閉まった扉から遠ざかるように、足早に廊下を突き進む。今は誰の顔も見たくない。話したくない。きっと、誰を殺しても気は治まらないだろう。誰か≠ナはきっとダメだ。大股に足音を鳴らしながら廊下を歩いて行くと、曲がり角から出てきた人物がこちらに気づかずに出てきて、ぶつかってしまった。


「おっと。そんなに慌てて、どうかしたのか?」


 アーサーだった。ぶつかったことに一言謝ると、愛想よくそんなことを訪ねてくる。最悪だ、今はそんな気分ではない。苛立ちながら素気なく「別に、何でもいいでしょう」と突き放すが、アーサーは気づかないのか、会話を続けてくる。


「そうだ、よかったらミスラも一緒に行かないか? 今からドロシー様の見舞いに向かおうとしていて・・・・・・」


 その時、顔を上げた先にオズの姿を見た。アーサーに半ば無理やり連れられ、一緒にドロシーのところへ向かう途中だったのだろう。オズは目が合ったミスラから逃げるように視線を逸らした。それが、許せなかった。


「ミスラ? どうかし・・・・・・」
「下がれ、アーサー」
「《アルシム》」


 突然雰囲気を変えたミスラにオズはいち早く気づき、すぐに防御魔法を展開させた。場所も選ばずに強力な攻撃魔法を放たれ、その場は焼け、砕け、半壊する。突然轟いた大きな音と揺れに、魔法舎に居た全員が驚いただろう。

 オズは、魔道具を掲げこちらに殺気立てるミスラを見据えた。すぐさまアーサーを安全な場所へ送り、再びミスラと向かい合う。こうして、ミスラに突然襲われることは何度もある。だが、今回はいくらか違う。殺気はいつも以上に鋭く、全身で怒りを露わにしている。緊張感が走る沈黙のなか、どちらともなく、口火は切られた。


「《アルシム》」
「《ヴォクスノク》」


 凄まじい魔法のぶつかり合いだった。魔法舎のあちこちがその被害に遭い、半壊しては、地面が抉れ、魔法舎を覆う森林が倒れた。ミスラが放つ魔法は、周りの被害などを一切考えないものだった。そんな魔法を放たれ続ければ、魔法舎どころか、此処辺り一帯が更地になるだろう。早く決着をつけ、被害を抑えなければならない。オズが呪文を唱えれば、突然そらは雨雲が覆った。その途端、凄まじい威力の雷が落ちる。轟く雷は、世界最強の魔法使いたらしめる象徴そのものだ。幾度も魔法が放たれ、幾度も雷が落ちた。そして、ミスラがオズの魔法を受け膝をついて倒れたことで、ようやくそれは幕を下ろした。


「気は済んだか、ミスラ」
「ゲホッ・・・・・・あなたなんかに、俺が・・・・・・ッ」


 ボロボロの身体で倒れ伏すミスラに近づき、オズは見下ろしたまま言い放った。体力も、魔力もかなり消耗して打つ手はないと言うのに、ミスラは歯を食いしばって身体を持ち上げ、見下ろすオズを親の敵のように睨みつける。そんなミスラを一瞥して、オズは踵を返した。これ以上付き合う義理は無いと、歩き出した時だった。


「あなたが捨てた癖に」


 足を掴まれたように、歩き出した足を止めた。オズはおそるおそる背後を振り返った。睨みつける緑色の瞳が鋭利に光る。まるで刃そのものだった。


「これ以上、ドロシーの心を乱さないでください。目障りです」
「――、・・・・・・」


 オズは開いた唇を閉じ、瞳を伏せた。言い返すことも、反論する言葉も、自分には持ち合わせていない。突き刺す視線を受けながら、オズはひとり、踵を返した。