×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -
”マスター”と呼ばれた青年は、呆然と眼前に現れた自分を見下ろす神秘的な彼女を見上げた。
青年はポカンと口を開け、未だ状況を理解するのに追いついていない。

眼前に現れた彼女は、実に神秘的だった。

少女とも女性とも受け取れるような年端の人。足首まで伸びる濡羽色の髪が、透き通る白い肌によく映える。髪の隙間から覗く虹色の瞳が、まるで世界の全てを見透かしたようだった。その容姿はあまりにも美しく、人間かはわからないが同じヒトの形をしているものとして、作られたような造形美。
彼女の身体は純白の布に包まれていた。腕や胸元そして腹部などが外界に晒され露出が多く、腰に巻かれた布から覗かせる脚が魅力的だ。身体には魔術回路のような青緑色のラインが走っている。
耳、腕、手首、太腿、足首、指、髪、と様々な部位に黄金色の輝くアクセサリーを身に着けている。その華麗な姿は、古代のオリエンタルを匂わせる。
彼女の存在は異質だ。だが何よりも異質だったのは、彼女が携える、白を基調に金色の装飾をあしらわれた一槍。

一体どれくらいのあいだ、彼女を見つめていたのだろう。呆然と尻もちをついたまま見上げていれば、彼女は鬱陶しかったのか、それとも問い掛けにいつまでたっても答えなかったことに苛立ったのか。彼女は密かに眉間にしわを寄せ睨むように眼光を鋭くした。


「・・・・・・っ!」


ようやく青年はこの状況を読み込んだ。
ハッとした青年はすぐさま立ち上がり、目の前の彼女と対峙する。


「ぼ、ぼくが、”マスター”・・・・・・?」


彼女は確かに僕をそう呼んだ。
視界に入った自分の手を見下ろせば、今までは無かったものがそこにはあった。肌が焼けるような痛み。電流が走ったような痛覚。あれはやはり気のせいではなかった。手の甲には赤い紋様。なにかの花を模したような刻印。

嫌な予感とそれに伴う冷汗が背中を伝う。


「そんな・・・・・・僕はそんなつもりじゃっ! 聖杯戦争に参加する気なんて全くないんだ! これは、ただの好奇心で・・・・・・」


青年の訴えを彼女は表情一つ変えずに見据えた。
その全てを見透かしたような瞳から逃れようと目を逸らし、何かの間違いだと訴え続ける。


「・・・・・・そうだ、聖遺物! 英霊は聖遺物がないと召喚できないはずだ。僕は君の聖遺物を持っていない」


英霊を喚び出すための触媒――聖遺物。ただでさえ規格外の大掛かりな魔術だ。過去の英雄を使い魔として召喚し、それを使役し戦わせる。そのために触媒を必要とするのは当たり前のことだ。

それを青年は何一つ持っていなかった。
彼女は青年の言葉を聞き、表情を変えないまま辺りを見渡した。辺りにあるのは、散らかった本ばかり。聖遺物のような古く神聖なものはなかった。


「・・・・・・確かに、そのようなものは見当たらない」

「そうだろ! だからきっと、何かの間違いで・・・・・・!」


一瞬の救いが見えた気がした。
何かの間違いなら、まだ間に合う。まだこの聖杯戦争から降りることができる。自分は戦わずに済む、と。だがその期待は一瞬にして崩れ去った。


「だがお前は召喚を成功させ、令呪を身に宿した。それがすべてだ。お前が望もうが望むまいと、お前は聖杯戦争に参加せざるを得ない」


「そ、んな・・・・・・」青年は絶望した。
顔色を変えず、声色も変えず、淡々と真実だけを告げる彼女は、青年にとってどれだけ残酷だっただろう。

青年は動揺して後ずさり、机に後ろ手をついて身体を支えた。
ただの好奇心が、ちょっとした幼心が、こんな事態を起こしてしまった。数分前の自分を悔やみながら、溢れ出す恐怖や不安に押しつぶされそうだ。

瞳を伏せ、これから迫りくる恐怖や不安に俯く青年を目の前に、彼女は目を細め静かに告げた。


「――――願いは無いのか、マスターヒトの子

「――――ねがい・・・・・・」


オウム返しの如く、彼女の放った単語を呟く。

願い――――そんな大層なものはなかった。
願望もなく、目標もなく、夢もなく。ただ時間だけを浪費して、のうのうと生きている。それが”僕”だった。
聖杯戦争は、6人のマスターの命と6騎のサーヴァントの命を引き換えに、ただ一人が願いを叶える。血に染まった聖杯。犠牲のもとに成り立つ願い。そんなものにかける大層な願いなど、持ち合わせてはいなかった。


「ならば――――マスターを破棄するか、我がマスターヒトの子


「破棄・・・・・・?」青年は俯かせていた顔をあげた。
そんなことができるのか、と問えば彼女は淡々と答えた。


「令呪はマスターが所有する、サーヴァントに対する三度きりの絶対命令権。ザーヴァンとはそれに抗えない」


自分に宿った令呪を見つめる。小さくて可憐に咲き誇る花の模様をした、赤い刻印。


「私に自害を命じろ」

「自害・・・・・・ッ!?」


一体何を言っているんだ、と青年は思う。
令呪はサーヴァントをマスターが制御するための、絶対命令権だ。命令は三度きり。令呪を重ねて命ずれば、強制力も増す。それを使って、彼女は自分を殺せと言った。
彼女表情は変わることは無い。


「そうすれば令呪は消え、私は消滅する。お前は脱落者となり、中立を保つ聖堂教会へ行けば、身の安全は保障されるだろう」

「ッでも! そしたら君は死ぬんだよッ!? 僕の命令で、君はッ!!」


たった一言。「自害しろ」と言うだけ。その僕の言葉で、彼女は死ぬ。何の罪も咎もなく、ただ聖杯戦争に呼び出され、マスターに命令されただけで。彼女は”第二の生”とも呼べるものを失うのだ。何の力も才能もない、無力なこの”僕”に。


「私はお前の使い魔だ。お前の命令には従おう――――マスター」


そこには一切の私情は無く、感情が付け入る場もない。

この世の全てを見通すような、僕のすべてを見透かしたような鋭利な瞳を真直ぐと向け、僕にそう告げる。僕はそれに、頷くことができなかった。たとえ自分が彼女のマスターで、彼女僕の使い魔だったとしても、それだけの理由で、彼女の死を命令できるはずがなかった。

青年は再び俯き、握りこぶしを震わせた。しばらくの無言が続いた。沈黙の中、彼女はじっと青年の答えを待つ。やがて意を決した青年が、ゆっくりと口を開いた。


「きみの、ねがいは・・・・・・?」

「・・・・・・」

「聖杯の召喚に応じたのなら、何らかの願望を持っているはずだ。僕が自害を命じたら、君の願いが叶えられない。君はこの、奇跡に縋ったのに・・・・・・」


青年は一言一句をはっきりと発音し、彼女に自分の思いを伝えようとした。
彼女からの返答は無かった。ただ少しだけ目を見張って、僕を見つめるだけ。

「・・・・・・願い、か・・・・・・」ポツリと、彼女は小さく言葉を零し、今まで真っ直ぐに見つめていた瞳を少しだけ伏せた。


「願いがあったのかも、わからない。名がなんだったのかも、わからない。どのように生きていたのかも、覚えていない」

「え?」


彼女の言葉に、青年は動揺した。そして気付いた。彼女は記憶を忘れてしまったのだと。理由は、召喚が不十分であったせいが妥当だ。だとすれば、それは自分のせいだ。


「だが問題は無い。自分がどのような存在なのかは理解している。私は人間でもなければ、神ですらない。この”私”に、願いなど存在しないだろう」


「だから、問題は無い」彼女はそう続けた。

自分がどんな存在だったのか。それだけを残して、彼女は全ての記憶を失くした。その当の本人は気にした様子もなく、淡々と告げるだけ。願いはあったのかもしれないのに、存在しないのだと言いつけ、自害を良しとする。
それは、ダメだ。


「問題なくない!! 君にはきっと、願いがあったはずなんだ!! それを、僕のせいで記憶を失くして・・・・・・でないと! 聖杯に召喚されるはずがない! 奇跡に、縋るはずがない! 君にはきっと、それに縋ってでも、願いを叶える資格があるんだ・・・・・・」


そうだ。彼女にはきっと、叶えたい願いがあったはずだ。長いあいだ切望した、叶えたい願い。それを叶える権利が今、彼女は渡された。なのに、それを僕のせいで記憶をなくし、その奇跡を自ら手放そうとしている。それは絶対にダメだ。

彼女は、自分のために訴える青年に対し、少し困惑していた。理解ができないと、その瞳が語っていた。
「決めた」青年は真剣な顔つきで彼女を見返す。


「僕は、マスターとして戦う。君の記憶を取り戻して、君の願いを叶える」

「良いのか。私はもともと概念的存在だ。それが人と同じ形を成したのにすぎない。願いも無ければ、感情も理解できない」

「いいや、君には願いがあるんだ。それを、君が忘れてしまっただけ。それが聖杯戦争。願いある者が争う。というか、僕が嫌なんだ。君の記憶は、僕の責任だから」


青年はそう言って、申し訳なさそうに微笑んだ。
それを見た彼女は、やはり青年を理解できず、瞳をそっと閉じた。


「なら、私はお前に願いが芽生えることを願おう、マスター」

「うん! 改めてよろしく、ランサー」


マスターは嬉しそうに笑って、何の意味があるのかもわからない握手を交わした。

マスターが何故、サーヴァントの記憶を取り戻したいと言ったのかは、わからない。
マスターが何故、サーヴァントの願いを叶えたいと思ったのかは、わからない。
人間でありながら、自分の欲より他人を優先するのが、理解できない。
ただ――

――その手が温かったことは、今でも覚えている。




3



prev | next
table of contents