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 翌日になれば、世間は昨夜の冬木新都の大火災の話でもちきりだった。テレビを点ければ、どこのニュースでも大火災のニュースが流れていて、街の人々もその噂で溢れかえっていた。

 昨夜の大火災については、原因は不明とされていた。けれどそれは、聖杯戦争に関わらない一般人にとっての話であって、聖杯戦争に関わった魔術師たちは聖杯戦争の末に起こったことだと理解していた。

 とは言っても、この聖杯戦争で生き残った者は少ない。いや、聖杯戦争は互いに殺し合うもので、サーヴァントを失った元マスターも他のサーヴァントと再契約する恐れがある。だから、一人以上生き残っている方が珍しいのかもしれない。

 少なからずディーアが生存を確認でいたのは、セイバーのマスターである衛宮切嗣、アサシンのマスターである言峰綺礼、そしてライダーのマスターであるウェイバー・ベルベットのみだ。他の参加者は監督役であった言峰璃正を含め、全員が死亡している。この二週間にも満たない時間で、関係者を含め関係のない一般人も多く失ったものだ。

 あの大火災を逃れた人間はほぼ皆無であるらしい。寝静まる夜中に起きたこともあるし、呪詛に染まった黒い泥からただの一般人が生き延びることはできないだろう。ただ、唯一の生存者を衛宮切嗣自らが見つけたようだ。今はその子供を養子として引き取ったらしいが、今はどうしているか知らない。

 言峰綺礼は、監督役であった父を継いで冬木教会に身を置いている。ただ、心臓は動いていないように見えた。それに加え、彼と一緒に受肉したアーチャーがいたことには驚いた。聖杯戦争中に、遠坂時臣から言峰綺礼にマスターを乗り換えたのだろう。それは聖杯戦争で稀に起こりうる事態だから、さして予想外だったわけではないが、受肉しているのには驚きだ。

 そのことについてアーチャーから少しばかり話を聞いたが、どうやらセイバーや衛宮切嗣を含む四人はあの市民館の中にいたらしく、セイバーは消滅して免れたが、残った三人はあの黒い泥に触れてしまったらしい。心臓が動いていないのに生きているように動き、受肉しているのは、つまりその黒い泥のせいだ。一見すれば良い方向に作用が働いたように見えるが、身体は呪詛に侵されている。黒い泥に触れてしまった三人は、そう長くはもたないだろう。

 こうして、様々な傷跡を街に残して十一日間の第四次聖杯戦争は幕を下ろした。





× × ×





 朝食を食べたあと、マッケンジー家の老夫婦に見送られて外へ出かける。聖杯戦争が終結してから半年が経ったが、生き残ったウェイバーはイギリスへは帰国せず、そのまま拠点として身を置いていたマッケンジー家に滞在を続けていた。

 ウェイバーは老夫婦に魔術をかけて老夫婦の孫として潜り込んでいたが、思うように効果が発揮されず夫の方には孫ではないことを見破られてしまっていた。しかし、優しい老人は孫ではないウェイバーも家族のように向かい入れ、むしろ『孫として滞在をしてほしい』と頼み込んできた。願ってもないその言葉に、ウェイバーは心から感謝をした。

 イギリスに帰国せず日本に残ったのは、魔術のことよりももっと別の新しいことをしよう、としたからだ。そのためには、まずお金が必要だ。ウェイバーは英語しか喋れない人でも働ける場所を夫婦から紹介してもらい、しばらくお金稼ぎの日々を送った。

 そんな平穏で充実している日々をウェイバーは過ごしていた。


「こんにちは、ウェイバー」
「……!」


 家を出て足先を変えた途端、背後から声をかけられた。見知ったその声に驚きながら振り返れば、聖杯戦争中と全く変わらない様子のディーアが立っている。

 八人目のマスターとして聖杯戦争に介入して、あのライダーにも『只者ではない』と言われたような逸材だ。心配はしていたけれど、無事であることはどこかで確信していた。


「……ディーア」
「少し……お話なんてどうかな」


 少し遠慮がちにディーアはそう言った。

 ディーアとこうして顔を合わせるのは、あの血戦以来だ。それ以降はウェイバーも聖杯戦争の終盤で顔を合わせるような暇は無かったし、目的は違えど聖杯を求める以上、顔を合わせる理由も無かった。それを引き摺っていたら、驚いたことに半年も経ってしまっていたのだ。

 ウェイバーは少し気まずい空気を感じながら、ゆっくりと頷く。すると、ディーアはほっとして表情を緩めた。それを見て、ウェイバーも少しばかり安心して、二人はひとまず近くのカフェに寄ることにした。







「……」
「……」


 カフェに入って二人席に着いてからしばらく経ったが、二人が口を開くことは無く、居心地の悪い沈黙ばかりが流れるだけだった。テーブルには二人が注文したホットティーがそれぞれ置かれていて、気まずさを紛らわせるように時々それを少量飲み込む。それだけで、すでにカフェに入ってから十分程度が過ぎた気がする。

 とても静かなカフェと言うわけではなく、店内はウェイターの掛け声や客の話声でガヤガヤしている。煩いというわけではないが、沈黙が流れる状況の中では、その雑音が妙に耳に付いた。


「……最近はどう?」


 この沈黙に終止符を打ったのはディーアの方だった。

 突然降ってきた言葉に、一瞬どきりとしながらも落ち着かせ、平然を保って受け答える。


「……ああ、変わらずおじいさんたちのところに置かせてもらってるよ」
「そうなんだ」


 返答の言葉が下手だったのか、それともディーアが頷いてしまったからか。せっかく会話が成り立ったというのに、それもすぐに終わってしまった。

 ウェイバーはちらりと視線を動かして、目の前に座るディーアを盗み見る。ディーアは少しばかり顔を俯かせていて、目の前のカップに視線を注いでいる。なにかを考えているようだったが、なにを考えているのかはウェイバーには分からない。

 ふと、視線をディーアの傍らに移した。もちろん、そこには誰もいないしなにも無い。だが、ウェイバーにはそこにいるなにかを理解できた。すると、視線を感じたのかディーアが顔を上げて首を傾げる。


「どうかした?」
「いや……オマエのサーヴァントは消えてないんだな、って」


 ディーアの傍らから、微かな魔力を感じた。霊体化したサーヴァントだ。

 ウェイバーの言葉を聞いてディーアは「ああ」と納得したように頷く。


「もちろん、聖杯から召喚はしているけど……いろいろ複雑な事柄が私には絡んでいるから」
「……あっそ」


 聖杯が消えた今、生き残ったサーヴァントも特殊な例がない限りは全員消滅するのが普通だ。だが、ディーアのサーヴァントは受肉をしたわけでも無いのに、変わらず現界を続けている。その理由が、ディーアの言う『複雑な事柄』なんだろうが、その内容を知らないウェイバーは、ただ頷くことしかできなかった。


「…‥オマエにとって、ボクはそんなに信用がないのか」
「え?」


 気づけば言葉が零れていた。その雫が水面に落ちて波紋を広げるように、次々に溜め込んでいた言葉が流れていく。


「確かにボクは未熟だよ! でも、オマエに魔術を教わって、一緒に過ごして、聖杯戦争の間だって気に掛けてくれて……これでもボクはオマエのことを……し、信頼できる友人だと思ってるんだ」


 顔を俯かせながら勢いに任せて言い放つ。そのせいで、今ディーアがどんな表情を浮かべているか、ウェイバーには分からない。それを窺う勇気も、少し足踏みしてしまう。


「でも……オマエにとってボクは、やっぱりその程度の人間だったのか……?」


 少なくとも、ウェイバーにとってディーアはかけがえのない友人だった。けれど、その友人は自分には分からない何かを抱えていて、それを自分に話してくれる様子もない。信頼を裏切られた、とは言わないが、少しばかり寂しいものだと、ウェイバーは感じた。

 再び沈黙が流れ出して、また気まずい空気が流れ出す。最初の時よりもだいぶ気まずいそれに、ウェイバーは少々後悔した。いつまで経っても口を開く様子がないディーアに、ウェイバーは沈黙に耐え切れず、繕うように口を開く。


「わ、悪い……やっぱり今の話は――」
「私ね」


 言葉を被すように放たれた声に、ウェイバーは言葉を切った。

 ようやく発せられた言葉に緊張しながら、ウェイバーは次の言葉を待った。相変わらず顔は上げられず、視線はカップに注ぐばかりだが、神経は静かに呟くディーアの声に注いでいた。

 そうして、ディーアはゆっくりと口を開く。


「私はね、どこにもいない存在なんだ」
「……え?」


 思わず顔を上げてしまった。なんて言葉を放たれたか、理解が追い付かないままウェイバーは呆然と見つめる。

 ディーアは窓の外に視線を向けていた。どこを見つめているのかは分からないが、どこか遠くを見つめる目だ。憂いた表情でも、悲しむような表情でもなく、けれど笑みを浮かべているわけでもない。なんでもない話を、なんでもないように話す様子で、ディーアは続けた。


「私の存在はとても歪で、世界のどこにでも存在していて、同時にどこにも存在しない。歪な私には、死すら存在しないし不老もない。そして世界にも縛られないから、私は目的のために多くの並行世界を渡るのよ」


 そう言って、視線をウェイバーへと向けると、ディーアはにこりと微笑んだ。


「……」


 ウェイバーは肘をテーブルに付いて、頭を抱えた。

 なにを言われたか分からない。その少ない言葉のなかに、信じられないような情報が混在していて、理解しようにも理解してくれなかった。ゆっくりと発せられた言葉を脳内で再生して、一つずつみ砕いていく。


 信じられない、と思った。有り得ない、と多分だれもが言う。けれど、ウェイバーはそれが真実であると知っていた。それは、彼女の様子からも推測できるし、彼女の人柄からでも予測できる。ディーアは、初めて出会った頃に記憶喪失であると偽ったが、そう思い込んだのはウェイバー自身だった。ディーアは曖昧に濁して否定もしなかったが、一言も『記憶喪失』と口にしたわけではない。ディーアは決して、嘘は吐かなかったのだ。


「じゃあ、オマエは……」


 ディーアはしっかりと頷く。


「別の並行世界から此処に来た。貴方に出会ったのは、その直後だった」


 そんなことだろうとは思った。初めて目にした時、あまりにもディーアは異質だったのだ。

 ウェイバーは慎重に言葉を選びながら、言葉を続ける。


「……オマエの目的っていうのは」
「―聖杯の破壊」


 その言葉に、ウェイバーはぎょっとした。


「せ、聖杯の破壊って……」


 ディーアは『聖杯さえ現れてくれればいい』と言っていた。だから目的が『聖杯』であることは理解できた。それが他の参加者たちとどう目的が違うのかは終ぞ分からなかったが、まさか『聖杯の破壊』が目的であると、誰が予測できただろう。


「聖杯の破壊、もしくは解体をして、二度と聖杯を出現させ無くすること。それが目的」
「そのために、オマエは並行世界を渡って、そこで聖杯を破壊するために聖杯戦争に参加するのか」
「……聖杯は世界には必要ない。願望器は、人間の手に余る」
「……」


 その言葉は、聖杯戦争を終え生き残った身としては重くのしかかった。

 奇跡に縋ろうとした。それは悪いことでは無い。人間は弱いから、いつの時代もあらゆる奇跡に縋ろうとしてきた。そして奇跡の権化ともいえる願望器を魔術師たちは作り上げた。そこで奇跡に立ち会って、ウェイバーは己の人生を変える唯一の出会いを果たしたのだ。確かに、奇跡をなくしてウェイバーのこの運命的な出会いは成し得なかった。だが、やはり奇跡は人の手には余る。あの惨劇が、全てを語っているのだ。


「ウェイバー、貴方にまだ言わなければならないことがある」
「……なんだよ」


 カップに入った紅茶を飲み切ると、ディーアは改まった様子で言い放った。

 もうこれ以上なにを言われても驚くことは無い、と思いながらウェイバーは再度耳を傾ける。


「貴方が私を友人だと言ってくれて、本当に嬉しかった。感謝もしている。でも……貴方はきっと私のことを忘れてしまう」
「……は?」


 だが、その推測はすぐに裏切られた。

 目を白黒とさせるウェイバーを置いて、ディーアは続ける。


「私はどこにも存在して存在しないものだから、人の記憶には残れない。曖昧な存在だから、どんなに関係を築いても、少しもすれば私の存在は世界において無かったこと≠ノなるのよ」


 ディーアがなぜ並行正解を渡れるのか、それはこの理由にあった。『どこにでもいる存在』というのは、いつの時代どの世界にも存在すると言うこと。世界に縛られないディーアは、どの時間軸どの世界軸にも存在できる。しかし、それは同時に『どこにもいない存在』とという矛盾を抱えた。世界に縛られない以上、ディーアはどこにおいても確かな存在を確立できない。だから、ディーアの存在はどの世界においても曖昧だった。そんな存在を、人間は記憶にとどめておくことができない。アーチャーやカルナ――サーヴァントが記憶に残せているのは、そもそも彼らがいる英霊の座は世界と隔絶された場所にあるからだ。

 そんなこと言われたウェイバーは、混乱した。確かに、ディーアの特性を考えればそういった事が発生するのも頷ける。けれど、どうしても腹が立った。


「そんなの……そんなの、絶対にありえない!」


 声御張り上げたウェイバーは、勢いに任せたままテーブルに手を付いた。叩くように手を付いたせいで、大きな音が店内に響きわたる。当然、店内にいる人々は何事かと視線をこちらに向けてきたが、ウェイバーは気づかない。


「ウェイバー」
「ボクにとってオマエとの記憶は、そんな忘れるようなものじゃない!」


 諫めようとディーアが名前を呼ぶが、頭に血が上ったウェイバーの勢いは止まらない。


「ボクのなかに、オマエはちゃんといるんだ!! だから、オマエの存在自体が歪で、誰の記憶にも残れないんだとしても! ボクは……ボクは絶対にオマエを忘れない!!」
「――」


 その言葉に、ディーアはそっと息を呑んだ。

 声を張り上げたウェイバーは全てを言い切ると、切らした息を整えた。そこではっとして、周囲を見渡す。無論、店内の人々は不思議そうにこちらを見つめていて、ウェイバーは顔を真っ赤に染め上げた。そのまま顔を俯かせて、縮こまるように肩をすくませる。

 冷静になると、とても恥ずかしいことを言ってしまった、とウェイバーは思った。


「だ、だから、その……」
「――ありがとう」


 とても静かな声だった。

 ゆっくりと盗み見るように顔を上げる。そこで、ウェイバーは目を丸くした。


「ありがとう、ウェイバー」


 そう言った彼女の表情はとても嬉しそうで、とても――泣き出しそうなものだった。





× × ×





 用事があるウェイバーとカフェで別れて、ディーアは帰路についた。

 以前は不在の誰かの別荘地を拠点として使っていたが、いつまでも使っているわけにもいかない。それに加え、二人だけにしては部屋が広いのだ。そこで、ディーアはこの半年の間に、別の場所に住居を置いた。ごく一般的なアパートで、部屋も手狭になったが、とくに荷物も無いし、二人だけで生活するには十分なものだ。


「話してよかったのか」


 帰り道を歩いていると、霊体化を解いたカルナが尋ねてきた。

 人がいる様子も無いし、あまり人通りが少ない場所を歩いているから、霊体化を解いても問題はない。

 ディーアは少し考えるような素振りをしてから、目を伏せて頷いた。


「うん。恩があるし、彼の信頼を裏切りたくはなかったし。それに……きっと忘れてしまうから」
「そうだろうか」
「え?」


 思わず目を丸くして、ディーアは足を止めてカルナに振り返った。

 もちろん、カルナはディーアの性質を知っている。誰の記憶にも残れず、薄れて消えてしまうことも理解していた。そんなカルナが否と唱えたのが、ディーアには不思議だった。

 そんなディーアに、カルナは続ける。


「それは、あの男次第ではないか」
「……」


 曖昧な存在であるディーアを記憶にとどめることはできない。けれど稀に、存在を覚えていてくれることもあった。曖昧な存在でも、その人にとってその存在が、忘れ去られるほどの存在ではないような、記憶に強く刻み込まれた場合に起こりうる。結局のところ、カルナの言う通り、その人次第なのだ。

 ディーアは「そうだね」と笑って、帰路を歩き出した。




因果のはじまり

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