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 ある日の夜、それは起こった。

 多くの人間が寝静まる時間に、魔力の波動を感じ取る。ただそれは、キャスターの時のようなおびただしいものではなく、合図のようなもので、攻撃的なものではなかった。僅かな衝撃を感じて窓の外を見上げてみれば、北東の方角に魔力のきらめきが夜空にちらついている。


「あれはなんの狼煙だ?」
「色違いの四と七の光……『達成』と『勝利』?」


 空に上がるそれは、主に聖堂教会の人が、マスターに報せを送るときに使うものと一緒だ。それが、『達成』と『勝利』を知らせている。

 それにカルナとディーアは眉をひそめた。


「ならば、聖杯戦争が終結したという意味か」
「それはおかしい。まだサーヴァントは四騎も残っている。それに聖杯だってまだ……」


 妙な話だった。

 確かにサーヴァントは半数まで数を減らし、残り四騎のみとなったが、それでもまだ半分だ。勝利を掲げるにはまだ早い。そして、肝心の聖杯もまだ姿を現してはいない。英霊の魂を集めて昇華させたのなら、膨大な魔力を感知するはずだ。それは、まだない。

 そしてもう一つ、不審に思うことがあった。


「それに教会とは違う方向……監督役の聖堂教会が上げた狼煙ではないのかも」
「なるほど。ならば、サーヴァントとマスターを誘き寄せる罠か」


 狼煙の上がった方角は北東で、聖堂教会の拠点である冬木教会とは全く違う方向だ。なら、正式に聖堂教会が上げたものではない、と考えるのが妥当だ。あの狼煙を上げれば、マスターやサーヴァントたちも黙ってはいない。カルナの言う通り、誘き寄せるつもりなのだろう。


「いずれにしても、聖杯戦争は終盤だ。今夜で決着がつくだろう」
「そうね……」


 残り四騎のサーヴァントに加え、挑発的な狼煙。これが、この世界における第四次聖杯戦争の最後の戦いであることは、きっとこの聖杯戦争に参加する誰もが理解しただろう。

 今夜が、この長い夜の夜明けだ。


「行こう、カルナ。あそこに――聖杯がある」




× × ×




 カルナに抱えられながら、夜の闇に紛れてディーアは狼煙が上がった場所を目指した。夜になり寝静まった街は静かで、人ひとりすら出歩いていない。照らすのは僅かな明かりだけの街灯だけで、まるで異界に迷い込んでしまったかのような感覚に陥る。

 屋根を足場にして目的地に向かう途中で、通りかかった冬木の橋が視界に移った。赤い橋は夜の暗闇の中でも目立っていて、よくみると橋の道路のコンクリが所々抉れている。誰かが交戦をした跡だろう。

 ディーアはそれを横目で流して、そっと前を向いた。

 ある程度、狼煙が上がった場所と思われるところまで来ると、カルナは一度立ち止まった。そして注意深く、二人は魔力を辿って周辺を警戒する。

 此処を中心に、あちらこちらで魔力を感じる。サーヴァントやマスターたちが交戦しているせいだろう。けれど、一際大きな魔力を放つ一点があった。


「あの建物から魔力が溢れているな」


 そう言ってカルナが視線を向けたのは、冬木市の市民館だった。

 カルナの言う通り、市民館からは他の場所から感じる魔力とは桁違いな膨大な魔力を感じ取れた。


「あそこで聖杯の儀式を……?」


 なぜ市民館を儀式の場所に選んだのか意図は読めない。状況からして、始まりの御三家とも呼ばれる、この冬木の聖杯戦争の中核を担う三家とは別の自分が、独断で儀式を始めようとしているのかもしれない。

 魔術師殺しに監督役の死亡、そして血戦の大量虐殺未遂。この世界では、セオリー通りに事は進まないらしい。


「向かうか、マスター」
「ええ。お願い、カルナ」


 二人は聖杯があるとされる市民館への潜入を急いで向かった。







 建物に入るのは、簡単だった。二人は上階の窓から潜入し、ついに市民館へと足を踏み入れる。

 サーヴァントが誰か警戒して見張っているわけでも無く、マスターの姿も見当たらない。ただ、この市民館の中で誰かが戦っているのは分かった。衝撃が強く、時々市民館に地響きが響いた。どこかで遭遇する可能性は十分にある。それを警戒しながら、ディーアとカルナは慎重に市民館の中を歩いた。

 中に入れば、膨大な魔力が此処に集中しているのが一目瞭然で分かった。魔術回路が疼いていて、まさに儀式を執行中であることが伺える。


「この建物の何処かに、聖杯が……」
「おそらく下だろう。魔力が近い」


 確かに、足元から膨大な魔力の塊を感じる。すぐ真下にある、と肌で理解できた。

 すぐそばに、聖杯がある。その事実に、ディーアは緊張感から固唾を飲んで身体を強張らせた。


「マスター、気を付けろ。聖杯があるということは、サーヴァントも近くにいるはずだ。充分注意しろ」


 周辺に警戒して自分より前を歩く槍を手に持ったカルナが、そう言って後ろにいるディーアに振り返った。ディーアはそれにしっかりと頷き、慎重に前を見据える。それを確認してから、カルナはゆっくりと歩き出した。

 慎重に進みながら、階段を降りて、一階へとたどり着く。エントランスはもぬけの殻で、眼前には両開きの扉がある。この奥はコンサートルームだろう。部屋自体も広く大きい。この建物の中で儀式を行うなら、この部屋が一番適切だろう。

 眼前に立ちはだかるように閉じている扉の奥から、キャスターが召喚した怪物以上の魔力を感じ取る。この奥に聖杯がある、と全身が告げていた。

 これを壊せば、目的は達成する。これを破壊すれば、この聖杯戦争は終結する。

 固唾を飲んで、いざ聖杯にたどり着く――その時だった。


「――ッ!? なに、魔力が……」
「……ッ! ディーアッ!!」


 一瞬の出来事だった。

 突然膨大な魔力が爆発したかのような感覚がして、次の瞬間にはカルナに身体を抱えられていた。思考が追い付かないし、理解も追い付かない。状況に付いて行けない中、ディーアはカルナによって市民館の脱出する。そして、その直後に――それは起こった。


「なっ――!?」


 振り返れば、そこには黒い太陽があった。

 禍々しく空に上がった、黒い孔。その孔の奥には闇が広がっていて、そこさえ見えない。まさに、空中に開いた深淵の孔だった。

 その孔から、呪詛に塗れた黒い泥が溢れ出した。止めどなく孔から流れ出す黒い泥は、市民館を中心に流れ出し、溢れたそれはマグマのように外へと流れ出る。

 そして、最悪の殺戮が始まった。

 すべての生命を焼き裁く破滅の力が、市民館を中心に街に広がる。あらゆるものを燃やして、あらゆるものの命を奪い取る。安穏の眠りにつく人々の生命を嗅ぎ付けて、死の泥が呪いとなって人々に襲いかかる。

 信じられない光景が、目の前に広がっていた。


「孔……? あれが……あんなものが――」


 ――聖杯。

 この冬木の聖杯には、二つの聖杯が存在した。一つが『小聖杯』であり、もう一つが『大聖杯』。『小聖杯』は、アインツベルンのホムンクルスから摘出される『器』のことであり、『あらゆる願いを叶える願望器』として求めた『聖杯』であり、そしてこれが英霊の魂を回収するものであった。願望を叶えるだけの機能なら、膨大な魔力の塊である『小聖杯』でことが足りる。しかし、この『小聖杯』の実態は、本命である『大聖杯』の魔法陣と空間を繋ぐ孔を開けるための鍵であり、孔の形態を安定させる制御装置にすぎなかった。

 英霊の魂を回収して『聖杯』に昇華させることまでは至れた。しかしディーアは、ついにもう一つ用意されていた『大聖杯』について至れなかった。

 だが、可笑しいところがある。たとえ『大聖杯』へと至るための『小聖杯』にすぎなくとも、『聖杯』である事には変わりはない。たとえ、この世界から『外』への突破口を開けるためのものだったとしても、それは無属性の力であったはずだ。それがなぜ、黒い呪いに塗れている。


「あれが、この世界での聖杯……なのか」
「無属性であるはずのものが呪詛に染まってる……この聖杯は、不完全だ」


 そもそも、この世界の『聖杯』は穢れていた。無属性だった力は呪詛に塗れ、勝者の願望も歪んだ呪いとして叶えられる。それはもはや『願望を叶える聖杯』としても機能していなかったのだ。

 眼前で、街が燃えている。眠っていた人々は逃げ遅れて、気付いた時には泥に覆われて焼け死んでしまう。逃げ場も無く無作為に殺戮を繰り返す死の泥に、人々は無力に翻弄される。


「ディーア」
「大丈夫。大丈夫よ、カルナ……」


 気づかわしい様子でカルナが声をかけてくれたが、ディーアは強がるように言い切った。言葉に被るようにして言い放つディーアは、視線を燃え盛る街を見下ろしていて、カルナは押し黙ってその横顔を見つめる。


「傍観に徹していたから、あるべき形は壊していないはず。だからこの世界では、第四次聖杯戦争は不完全に終わって、こうなる運命だった……ということ」


 それだけよ、とディーアは続ける。

 ディーアは世界が辿るべき流れ≠変えてしまうことを危険視していた。たった一つの小さな過程を崩すだけで、世界の命運が変わってしまうことがあるからだ。だから、無容易に世界の流れ≠変えてはいけない。帰る場所はただ一点――それがディーアの目的デある、聖杯の破壊だった。

 だが、この世界の第四次聖杯戦争は、そもそも失敗におわる結末だった。聖杯は不完全なまま現れ、孔の制御を失って死の泥が流れ出すだけの結末。あるべき流れ≠ヘ変わっていない。目の前の光景が、この世界における正しい流れ≠ナある以上、ディーアは干渉できなかった。


「なら、今後オレたちはどうする」


 カルナが真っ直ぐと問う。

 第四次聖杯戦争は失敗。聖杯は消失し、破壊もできないまま終わりを告げた。聖杯を勝ち取るために聖杯戦争に参加したわけではない、別の目的を持つディーアたちは、そのために考えなければならなかった。ここで立ち止まるわけにはいかないのだ。


「第四次聖杯戦争が失敗に終わった。なら、次の第五次聖杯戦争に持ち越しになる。そこで、今度こそ……」

 ――今度こそ、願望器を破壊するのだ。



第四次聖杯戦争終結

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