ディーアが向ける足先に合わせて、目的地を持たずに街を歩き回っていれば、あっという間に太陽が傾く時間になった。季節が冬であることもあって、夜になるのが早い。
沈んでいく太陽を見てディーアは、街の散策は切り上げよう、と言い出した。陽が落ちて夜になれば、そこからはサーヴァントとマスターによる聖杯戦争の領域になる。いくら傍観者であるディーアでも、その時間は他の参加者を警戒しなくてはならないし、聖杯戦争の動向を慎重に見極めなければならない。
カルナが頷いたのを見て、足を一歩踏み出す。その直後、背後からよく知った低い声が聞こえた。
「なんだ、ディーアではないか」
「……! アーチャー」
驚いて振り返れば、現代服に身を包んだアーチャーがそこに立っていた。どうやら、セイバーや自分たちと同じく、アーチャーも現代服に身を包んで現代を闊歩していたらしい。
「良い、我の真名を明かすことを許す」
フ、と笑んだアーチャーはそう言ってこちらに向かって歩き出す。すると、目の前に大きな背中が突如現れ、目の前の視界が覆われた。
「カルナ」
「マスター、下がっていろ」
庇うように前に出たカルナが、アーチャーに警戒を示す。
この世界での最初の邂逅でも、アーチャーは容赦なくこちらを攻撃してきた。街中でなら手は出さないだろう、などという確証も無いものを信じられる相手でもない。カルナが警戒するのも仕方が無いだろう。
一方、アーチャーは明らかに自分を警戒しディーアを背中に隠したカルナに眉をひそめた。
「よせ。今は貴様と争うつもりはない」
三歩ほど距離を空けたところで立ち止まったアーチャーは、そうため息とともに零した。
言葉通り、アーチャーがこちらに害を与える様子もない。ディーアは自分を庇うカルナの腕にそっと触れ、静かに頷いた。それを見届けたカルナは、少しばかりアーチャーへの警戒を残しつつ、黙って腕を下ろす。それを確認してから、ディーアはカルナの背から一歩前に出る。
「真名で呼ぶのは控えておくよ。この聖杯戦争において、私は異分子だからね」
「相変わらず、まめな奴よ」
アーチャーほどのサーヴァントであれば、たとえ真名が看破されたところで弱点にもならないだろうが、あくまでディーアはこの聖杯戦争においては異分子であり本来なら在り得ない。その点は、しっかりと胸に刻んでおかなければならない。
それを理解しているアーチャーは「まあ、良い」と次の話題へ転換させた。
「して、此度は何故そやつを喚んだ。貴様が我を喚んでおれば、少しは我も楽しめたというものよ」
続けて難しいことを言う。苦笑を浮かべながら「許してくれたのではなかったの?」と倉庫街でのことを聞き返せば「許しはしたが、納得はしておらん」と言われてしまった。それに、困った、と眉根を下げて笑っていると、今度はカルナが口を開いた。
「触媒を無しにサーヴァントを召喚する彼女の特性上、特定の者を喚ぶことはできん。お前も理解していると思うが?」
カルナの言う通り、ディーアの召喚には触媒を使用しない。その特性上、召喚の声に応じてくれたサーヴァントを召喚するため、声に応じてくれなければサーヴァントは召喚できない。また一度契約を交わしたことがあるサーヴァントは、歪な存在であるディーアと縁を結んでしまった歪みで、座に戻ってもディーアの存在を記憶に刻んでしまうが、そのおかげで再び巡り合う縁も持ち合わせている。今回でいうと、カルナがそれだ。
「そういうこと。召喚に応じてくれるかは貴方たち次第だしね」
「ふん、まあ良い」
自分から話を振ってきたというのに、それほどこれに関しては気にしていなかったらしい。全く困った人だ。
「ディーアよ、今夜は我に付き合え。ちょうど退屈をしていたところだ」
「え。ああ、いや……」
「いや、オレたちは引き上げるつもりだ」
「なにを言っている。まだ夜になったばかり、サーヴァントの時間はこれからであろうに」
「だからこそ、アーチャーも遊んでいる時間は無いと思うのだけど……」
夜になるというのに自分のサーヴァントの行方が分からないなど、マスターは気が気ではないだろう。そう言えば、アーチャーは不愉快そうに鼻を鳴らして「この我が、たかだかマスターの言葉を聞いてやる義理も無い」と言い捨てる。
どうやらマスターと良い関係は築けていないようだ。そもそもアーチャーとの関係を上手く築ける方が稀で希少なのだが、真っ当な魔術師と良い関係を築こうとした時点で間違っているのだろう。
と、そんな時――突然、魔術回路が疼いた。
「――ッ!!」
異常と言っても過言ではないほどの膨大な魔力が集中している。この異常性に、なにも気づいたのはディーアだけではない。この街にいるサーヴァントやマスター、そして魔術に携わる者すべてが、肌で感じ取っただろう。
「マスター、河の方だ」
「ふん、雑種めが」
冷静に魔力が生じている方向に視線を向けたカルナとアーチャーが呟く。
二人の言う通り、魔力はどうやら冬木市に流れる未遠川から感じるようだ。なにかとてつもないことが起きようとしている。そんな、予感が走った。
河の方角を睨みつけて緊張感に固唾を飲みこむと、おもむろにアーチャーが踵を返した。
「アーチャー」
「貴様との時間は次の機会に預けておこう。せいぜい、足掻くが良い」
振り返ることなく、歩き去ってしまうアーチャー。視界に行き交う人々で一瞬アーチャーの姿を見失えば、そこにはもうアーチャーの面影はなく、微かに金の粒子が舞っているのだけが視認できた。
きっと、河に向かったのだろう。アーチャーだけではない、聖杯戦争に参加する全ての者が、未遠川に集結しているだろう。
「カルナ、私たちも」
「ああ」
頷き合った二人は、そのまま未遠川に向かって駆けだした。