しかし安堵するにはまだ早い。校舎に変わりがなくとも、廊下に漂うこの気配……。
「その実力で、どうやって逃げ延びた?」
音もなく、数メートル先に、あの黒服の男が現れた。
顔にかかる長い髪。刺し貫くような視線をこちらに向ける。
「ただの雑魚かと思ったが。上級のサーヴァントを引き当てたか、それとも爪を隠した腕利きか――」
男の声は少なからず予想外に驚いていた。
「どちらにせよ、あの摩挙から生き延びたのだ」
男の纏う気配が変わる。
辺りに放たれていた強烈な殺気が、鋭利な刃物にのように研ぎ澄まされ、一点に向けられる。
「ここで始末するに越したことはない」
視線は夜月の首に向けられる。
男が静かに一歩踏み出した時――
「ふうん。やっぱり貴方がマスターを殺しまわってる、放課後の殺人鬼だったのね」
誰もいない教室から現れたのは、あの赤い服の少女。
「ねぇ? 叛乱分子対策の大本、ユリウス・ベルキスク・ハーウェイさん?」
あのレオと同じ姓を持つ、ユリウスと呼ばれた男。
薄い唇をかすかに歪めてかすかに笑う。
「……敵を助けるとは、ずいぶんと気が多いな。この女を味方に引き入れるつもりか?」
「まさか。そいつは私の仕事とは無関係よ。殺したいなら勝手にしたら?」
「――テロ屋め。その隙に後ろから刺されるのではたまらんな」
唇の端に皮肉な笑みを浮かべたまま、男はゆっくりと廊下の壁に向かって後ずさった。
凍てつく視線が、こちらに向き直る。
「確か――神楽耶と言ったな……覚えておこう」
殺意に籠った瞳。
男は壁に溶け込むように消えていった。
「この手のルールブレイクを平気でやってくるとなると、校内でも気を抜いてられないわね」
男の気配が消えると、凛は独り言のように呟いてこちらを振り返った。
その視線は冷たく、さっきまで男に向けていたものとまるで変わらないように見える。
「……なによ、その目。貴方もわたしにとってはただの敵。何処で死のうと知ったことじゃないし。ま、ちょっと見直したわ」
凛は最後に小さく笑うと、足早にその場から立ち去った。
廊下にいるのは自分だけ。
不思議な静けさのある廊下。先ほどまでとは大違いだ。
夜月はとうとう安堵の息を吐きだし、片手で頭を抱えた。
「マスター、どうかしたのか? 先ほどのサーヴァントに怪我でも負わされたか?」
限界したランサーは心配げに眉を下げ、行き場のない手を漂わせながら、あたふたとする。
今までにも見たことがないくらいの、慌てっぶりだ。
ランサーのこんな表情を見られるようになったのは、少なからず彼との絆が深まったのだと、夜月は嬉し気に微笑んだ。