朧月夜
雄英高校を卒業して二年目の春を迎える。
気を紛らわすようにヒーロー活動に励んでいた相澤は、久々に顔を合わせた高校の腐れ縁の友人、山田から強引に居酒屋へと連行されていた。
山田はよく喋る。そんな彼の話をいつも茫然と聞き流している相澤が、珍しくも反応を返す話題があった。
「…都市伝説ヒーロー?なんだそれ。」
「だーかーらぁ、都市伝説に近いくらい謎めいたヒーローがいるって話だよ!聞いた事ねぇか?」
酒を交わしながら話す彼の言葉に、相澤は顰めっ面で首を左右に振る。メディアを避けている自分も他人の事をとやかく言える立場ではないが、そもそもヒーローとは、いかにメディアに自分を売り込み、人気度を高めて市民の支持率をあげてなりたつ職業だ。第一そんな謎めいたヒーローを営む事に、何のメリットがあるというのだろう。
手にしたジョッキのビールをもう一度口の中に流し込むと、奴は目を輝かせながらその話を続けた。
「しかもそのヒーローがまたよぉ、当時16歳っつぅ最年少でプロ資格を獲得したって話で、今まだ17歳なんだぜ?!」
「…ふぅん。」
「って、全然興味ねぇのな、お前。」
「そもそもただの噂なんだろ?そんないるかもしれないヒーローに興味をもったところで、何のメリットがある。」
「バカ、居るんだよちゃんと!!…ほんっとに相変わらず、冷めてんなぁ。」
山田こと、プレゼントマイクは下唇を尖らせながらそう零し、テーブルに置かれたつまみに手をつけた。
仮にもし、その都市伝説じみたヒーローが最年少でプロ資格を会得したのが本当だとしたら、一体政府にどれだけのコネを持っている人物だろう、と相澤は考える。今まさに世間に名をあげているヒーロー達ですら、ヒーロー科を設ける学校を卒業して、最短でも18歳でこの社会に出てくる。それよりも若い年齢でプロヒーローになれるとしたら、それなりに裏の事情があるとしか考えられなかった。
プロになるまでに血が滲むほどの努力と鍛錬を積んできた相澤にとって、この時はまだどうしてもその存在を受け入れる事はできなかった。
***
夜遅くに、スマホが真っ暗の部屋の中で明かりを点す。
うとうとしていた相澤は、わしゃわしゃと頭を掻きながら起き上がり、今しがた届いたメッセージを確認した。
簡潔に書かれたヒーローの応援要請を目にすると、無理やり目をこじ開け、急いでコスチュームに着替える。
もう人気もないこの真夜中の時間に、自宅からすぐ近くで凶悪な敵が市内を駆け回り、無差別に人々に危害を加えているという情報だった。
集合住宅に住む相澤は、なるべく物音をたてないように最善の速度で現場へと向かう。遠くから救急車や警察のサイレンの音が響いてるのを耳にしては、捕縛布に埋もれた口から、小さな舌打ちが零れた。
数分走った先に見えた光景は、想像していたよりも遥かに残酷なものだった。時間帯のせいもあって比較的被害者は少ない方ではあるが、既に到着したヒーロー達が懸命に救助活動に取り組んでいる姿の背景には、真っ赤に燃えあがる炎と半崩壊した建物が見える。
相澤は騒然たる現場に思わず息を呑み、その場で足を止める。
すると現場にいた馴染みのある警部が彼の存在に目を留め、この騒ぎの中でも相澤に届くよう、大きな声を放った。
「イレイザーヘッド!ここは俺たちに任せて、逃走中の敵を追いかけているヒーロー達に応戦してくれ!」
「…っ、了解!」
返事を返すとほぼ同時に、踵を返して走り出す。たった短い時間でこれだけの犯行をとれる敵だ。今現状どのヒーローが追跡しているかは分からないが、念を入れるに越した事はないだろう。首元に巻かれた捕縛武器に手をかけながら、相澤は周囲を十分に警戒しながら足を動かした。
***
人気のない路地裏を通りへと入る。すると闇に姿を顰める四つの影を確認した相澤は、息を顰め、足音を殺しながら近づいた。
少しだけ背丈の低い影を三人が囲むように立っている。徐々に距離を詰めると、会話のやり取りの声がようやく耳に入った。
「…っ、さっきから何なんだよお前!そこをどけ!!喧嘩売ってやがんのか?!」
「俺たちには時間がねぇんだ!さっさとこの場からずらからねぇと、現場に駆け付けたヒーロー達に見つかっちまう!」
「お前に構ってる暇なんてねぇんだよ!!」
この連中があの街に被害をもたらした敵だという事を、相澤は瞬時に悟る。しかし会話の流れからするに、あの輪の中にいるもう一人はどうやら仲間ではないらしい。
もう少し様子をじっくり観察しようと少しだけ建物の影から身を出すと、ちょうど雲に隠れていた月が顔を出したせいか、その容姿がはっきりと目に映りこんだ。
「…あまり騒がないでください。かえって人目につくと面倒なのは、貴女方もでしょう。」
「…っ、」
そう奴らに返した声の主は、狐の和装の仮面をつけて表情は分からないものの、どこか冷たく淡々としていた。肩から腕にかけて露出した、上から下まで紺の忍装束のような服装に、腰に差した日本刀。初めてみるそのヒーローらしき姿に、相澤は思わず目を見張った。
「くそっ、仕方ねぇ!こいつもここで殺っておこうぜ!!」
一向に退こうとしないヒーローに、三人が一斉に飛びかかる。力量も分からない以上、加勢した方が無難だろうと判断した相澤は、慌てて首元の捕縛布を解き、応戦しようと足を踏み出した。
しかしその瞬間。背筋がぞっとするような感覚が走り、慌ててその場に踏みとどまる。
…なんだ?
相澤は突然感じた凄まじい威圧感に、焦りと緊張でどっと冷や汗が湧き出る感覚を覚えた。するとそれとほぼ同時に、どさり、と大柄な男たちの体が地面に崩れ落ちる光景を目にした。
「なっ…、」
いつの間にか腰から抜かれた刀。細い腕の先には鞘に入ったままの日本刀がもたれている。一瞬の間に何が起きたか分からなかった相澤は、空いた口が塞がらず、指先ひとつ動かせぬままただ硬直した。
「…全く。血の気が多い連中だ。」
低くも高くもないその中性的な声は、冷たさを感じるほど静かに零れる。今度は、ちりん、と仮面につけた鈴の音を鳴らしてこちらに顔が向けられた。
どことなく感じるその威圧感に相澤は背中にゾッと悪寒を走らせ、反射的に体勢を低く構えた。
「…あぁ、ちょうどよかった。初めまして、イレイザーヘッドさん。初対面で厚かましいお願いだとは思いますが、この連中を警察の元までお願いできますか。」
「は…?」
突然の名指しに、動揺を隠しきれなかった。
元々メディアを避けていたというのもあるが、ヒーロー社会に出てまだ数年。自分で言うのもなんだが、そこまで名の知れたヒーローになった覚えはまだない。
しかし奴は知っていて当然かのような口ぶりでそう言っては、手に持っていた刀を再び腰へと差し直した。
相澤は奴がヒーローと認識しつつも、警戒心を解くことはできなかった。失礼ではあるが、今まで見てきたどのヒーローよりも、敵の気配と近いような気さえする。
その姿は、返事を返さない相澤を再び見て、小さく肩で息を吐いた。
「私はまだ任務の途中のため、この連中を警察の元に預けに行くわけにはいかないんです。あぁあと、これはあくまでお願いなのですが、この件に私が関与したことも伏せて頂けると助かります。…では、私はこれで失礼します。」
「まっ…、待て!」
まだ何一つ聞いていない相澤は、届かないとと分かっていてもその向けられた背中に手を伸ばす。しかしそこには既に姿形すらなく、あるのはその場で気絶している三人の敵の姿だけだった。
「…一体なんだったんだ、今のは…」
ようやく緊張が解かれた相澤は、情けなくもホッとしては胸をなでおろした。何も聞けずまま去られてしまった以上、とりあえずこの場にいる敵を警察へ引き渡すのが優先だ。相澤はポケットにしまったスマホを取り出して、先程現場で居合わせた警部に連絡を取り始めた。
***
「いやぁ、助かったよイレイザーヘッド。」
捕縛武器で拘束した敵をパトカーに押し込めた後、沢村警部は安堵の笑みを浮かべながら、相澤の肩を何度も叩いた。
「救助活動の方もキリはついたし、一応事件は解決だ。今のところ重傷者はいるものの、幸い死亡者はでていないしな。迅速な対応をしてくれたヒーローたちのおかげだ。」
「……」
相澤は眉を顰めた。今回自分は特に何もしていない。事を起こした敵を見つけたものの、ただ奴らがやられる瞬間を黙って見ていただけだ。そして何よりあのヒーローのことが酷く気になっていた。
ふと、隣で嬉しそうに笑う沢村に目を向ける。彼は敵対策課の警部で、正義感が強く、人懐こくて気さくな性格から、部下やヒーローたちにも強い信頼がある。
もしかしたら、彼は奴の事を何か知っているかもしれない。
相澤はそう考えると、事件現場を遠目で見る彼に恐る恐る訊ねてみた。
「あの、沢村さん…ひとつ聞いてもいいですか。」
「お?珍しいな。なんだい?」
新人の頃から消極的で人付き合いをどこか苦手としているイレイザーから、そんな言葉が出たことに驚いた沢村は、密かに喜びを感じながらそう返す。
相澤は渋い顔を浮かべたまま、再び口を開いた。
「…狐の面を被ったヒーローって、ご存じですか?」
すると突然、沢村の顔から一瞬にして笑みが消えた。
相澤は何か相当まずいことを聞いてしまったのではないか…と動揺して言葉を詰まらせる。
しかし次に聞こえてきたのは、彼のハハッ!という声で、なぜ笑われたのか不思議に思った相澤は、小さく首を傾げた。
「……いや。君からそんな話がでるとは思わなくてな…。“あれ”に会ったのか?」
それに肯定しようとしたものの、“出来れば自分が関与しているのを伏せてくれ”と言っていた奴の発言をハッと思い出しては、咄嗟に見苦しい嘘をつく。
「……いえ。その、最近少し噂を耳にしたもので。」
沢村は目を逸らした彼にまたひとつ、“嘘が下手だな”、と小さく笑う。
すぐに見抜かれた相澤はぐっと押し黙っては、ただ目を細めた。
沢村は相澤から夜空に浮かぶ朧月へと目を移す。その眼差しがどこか寂しそうで、なぜそんな顔をしているのか見当もつかない相澤は、無意識に彼から目が逸らせなくなった。
しばらく沈黙の時間が流れる。
それを先に破ったのは、沢村の小さな声だった。
「…なぁ、これから少し時間あるか?」
「……え、今からですか?」
あまりにも唐突な誘いに、相澤は目を点にする。しかし沢村は、その答えを催促するかのように“どうなんだ?”と顔を近づけた。
「…あります、けど。」
「よし、なら少し俺に付き合ってくれ。」
「え、ちょっ……」
沢村は強引に相澤の手を引き、自車の助手席へと誘導する。相澤はよく分からぬまま一先ず彼の誘いに言われるがまま同行し、その現場を後にした。