願い


 相澤が沢村に連れてこられた場所は、街外れにある小さな居酒屋で、全席個室の静かな空間だった。
隣合って座り、目の前にある大きな窓に目を向けると、先程見た満月が見える。相澤と同じように頬杖をつきながらそれを眺めていた沢村は、ようやく口を開いた。

「…ぶっちゃけ聞くが…あの犯人を捕まえたの、君じゃないんだろ。」

「………っ、はい。」

突然の真相を突く言葉に、相澤は素直に頷いた。沢村は小さく笑って、手にしたロックグラスをからん、と傾け、“やっぱりそうか”と呟いた。

「大方、あの子に口止めでもされたんだろう。今日君が目にしたのは、今やヒーロー内じゃ“都市伝説ヒーロー”なんて言われてる、影の薄いヒーローだ。」

「…あれが、都市伝説ヒーロー…」


「そう。隠密ヒーロー、“朧”。それがあの子の名だ。」

――朧。
相澤はそう聞いて、一瞬動揺を露わにした。忘れもしない今は亡き友人の名と、同じだ。しかしそれよりも、その朧というヒーローを口にした沢村の表情があまりにも切なげな様子がどうにも気にかかり、彼に訊ねた。

「その朧と、親しい仲なんですか?」

「…いや。親しいってわけじゃない。まぁ立場上何かと接点が多いのは事実だけどな。あの子はたぶん、特別視なんてものを知らないだろう。」

「…確か、史上最年少でヒーロー資格を取得したヒーローなんですよね?」

沢村は相澤の問に、“あぁ…”と肯定しつつ、目を伏せた。

「わずか16歳という幼い年齢でプロヒーロー資格を得て、公安警察の工作員のように諜報活動を行う、特殊なヒーローの称号まで得ちまった…。ま、その話もどこから伝わったのかは知らんが…。噂では、ヒーロー公安会が朧を贔屓して、とかコネを使った、だなんて陰口を言われてるらしい。」

「…違うんですか?」

相澤もその噂とやらと同じ考えを持っていたからこそ、何処と無く悲しげに話す沢村に興味を抱いた。彼の顔を覗き込むようにそう訊ねると、沢村は少しだけ目を見開ける。そしてまたひとつ、ふっと小さく笑ってそれに答えた。

「あの子の強さは本物だよ。…というより、そうなる為に生きてきた、と言う方が正しいのかもしれない。朧は産まれてきてから今までずっと、強くなる為に過酷な道を歩んできた子だからね。」

「…でも16で会得できるという事は、学校とか、成績とかはそれなりに優秀だったって事ですよね。」

「いや、学校には行ってないんだよ。勉学も独学で学んで、その戦闘センスや身のこなしも、全て自分自身で掴んだものなんだ。」

「……」

相澤はこの沢村の一言で、都市伝説ヒーローと言われる“朧”の印象が大きく変わっていく感覚を覚えた。今の時代、当たり前のように学校へは通う。その中でも比較的早くヒーローを目指すようになった子は、当然のようにヒーロー科のある学校へと進学していく。もちろんかく言う自分も、そういう道を辿ってきて今がある。だからこそ、学校へも通わず、今ヒーロー社会に立っている朧の歩んできた道がどれだけのものなのか、想像すらつかなかった。

「そんなあの子を、もちろんヒーロー公安会は高く評価したし、プロになってからの一年経った今では、朧が公安の諜報活動を支えているようなもんだ。」

「…凄いですね。本当に自分の実力だけでそこまで這い上がれるのは。よっぽどの覚悟と執念がなければ、そうはなれないでしょう。」

相澤のこぼした言葉に、沢村はそうだな、と零す。しかし彼の表情はそれを肯定しているようにはとても見えなかった。

「…沢村さんは、朧の何を気にかけているんですか。」

「…見ていて苦しいんだ。まだこれからの年齢でもあるあの子が、敷かれたレールの上で
人生を歩み、何も知らないまま歳を重ねていくのが。」
沢村は手にしていたロックグラスを、両手で力強く握りしめる。相澤はそんな彼を見て、その悲しげな気持ちが伝染するように胸に痛みが走った。

「…幼い頃から苦労が絶えない子でな。そのせいで、感情を表現する事が出来ないんだ。そのせいで今や警察側では、“公安の人形”とさえ言われている。自分の意思もなく、言われるがままにただ動く存在だ、と。俺はあの子をそんな風にしたくないし、そんな目でも見たくない。」

「沢村さん……」

「確かに朧は強いし、プロヒーローの中でもかなり腕がたつ方だ。でもどうしても、自分の子供のような歳の子を、そんなつまらないまま大人にさせるなんて、放ってはおけないんだ。だから俺は、その子にもっと色んなことを教えてやりたいと思ってる。」

そう告げた沢村の瞳は、意志の強さを表していた。相澤は言葉で伝わってくる彼の優しさに、思わず頬が緩んだ。そして目線を窓の外にある月に向けながら、静かに口を開いた。

「沢村さんがそれだけ強く想っているなら、きっと届きますよ。まぁ、俺がそんな事を言ったところで、何も大した自信にはならないでしょうが…」

そう言って、相澤はふと考える。確かにその朧とは今日初めて会ったが、なぜこんな話を沢村は自分に打ち明けたのだろう、と。考えても答えが浮かばない相澤は、隣にいる彼に思い切って訊ねてみた。

「あの…そもそもなんで朧の詳しい話を俺にしたんですか?隠密ヒーローってことは、そもそもほとんどの事が口外禁止レベルですよね?」

沢村は相澤の言葉に少し驚いては、ニッと企みの笑みを浮かべた。

「いい質問をしてくれた。確かに朧の件は基本的には口外禁止。この会話も恐らくバレたら俺は担当を外されるだろうな。でも、どうしても君には話しておきたかったんだ…」

「なんで、ですか?」

「俺が朧に気を許して貰えるようになったら、君にも少し協力して欲しい事があるんだ。」

「俺に…?」

沢村は得意げな顔で大きく頷く。相澤は彼が何を考えているのか全く想像もつかず、それがどんな内容なのか聞き返そうとしたが、踏みとどまった。

「……わかりました。沢村さんにはいつもお世話になってるので、何かあればお手伝いしますよ。」

気がかりなものは一旦飲み込み、小さく笑ってそう答える。すると沢村は、今まで見てきた中でも一番と言っていいほど、子供のように無邪気に微笑んだ。

「さんきゅ。」

向けられた笑顔が眩しく感じて、頬を赤らめて目を逸らす。
この人にはどうも弱い自分がいる。時折見せるこの懐っこさがまた、昔の友人を思い出させるような気がした。
相澤は恥ずかしさを紛らわすように、そんな彼に皮肉を零した。

「…ていうか、バレたら立場が危うくなるような会話をこんな場でしないでくださいよ…。俺だって連帯責任になっちゃうじゃないですか。」

「ははっ、大丈夫だよ。ここは俺の友人の店でね。職業柄、普段から俺が着いた席の周りには誰も通さないようにしてもらってる。……まぁ、仲良くやろうぜ、イレイザー。」

肩に腕を回す沢村は相澤にとって、一回り以上年上にも関わらず、まるで距離を感じない友人のような親しみを感じた。

そしてもう一度空に浮かぶ月を見上げながら、今日見た“朧”の姿を思い出す。
この憎めない沢村の彼女への想いとその願いが、上手くいくことを密かに祈った。

しかしこの数か月後に残酷な未来が訪れる。
相澤はこの時まだ、自分が朧と深く関わる事になるなんて、予想だにしていなかった。


3/9

prev | next
←list