英雄








日が落ちた花の都に地響きと悲鳴がこだまする。





胸に嫌な予感を抱えつつ、月明かりが差し込む家屋の間を縫うように走り抜けた。壁に背を預け、状況を確認する為に少しだけ顔を出せば、逃げ惑う人々が見えた。彼らは口々に飛六胞と名を口にし、その中に聞こえた名前に思わず、眉を顰めた。……"また"か、と。











「おい、どこかへ隠れろ黒足屋……!」





昼間の麦わらの奴らとのやり取りから数時間経ち、城ではオロチの宴が始まっているであろう頃。花の都にはカイドウの部下である飛六胞が降りてきていた。しかも決まり悪いことに目的は"蕎麦屋を殺すため"らしい。そしてその問題の蕎麦屋は人の流れを見つつ首を傾げていて何とも気楽なものだ、と思わず呆れる。


編笠を脱ぎ、逃げるように伝えれば不思議そうな顔をした黒足屋は返り討ちにすればいい、と息巻いた。強気なのは何よりだが今回は色々な意味で分が悪い。ページワンだけならまだしも、ドレーク屋、そしてこの国で嫌によく会うホーキンスも一緒らしく、本当に奇縁としか言いようがない。サナと俺はあいつに顔を見られていて存在も知られていると伝えると、どこか楽観的だった黒足屋の目付きがキ、と射るように強くなった。





「あァ!?サナちゃんとお前が!?片方ずつならまだしもなんでセットで……」
「そんなもん俺の方が知りてェ……!これ以上麦わらの一味が見つかってみろ、本格的に捜索が始まるぞ……」
「じゃあ下手したらサナちゃんやロビンちゃん、ナミさんまで狙われる可能性があるってことか!?そいつはダメだ!!!」
「……おい、そのサナは何処に、」
「サナちゃんならついさっき、この時間には疲れた客が多いからって店に……ってオイ!」





黒足屋の制する声を最後まで聞くより先に足が動いた。タイミングの悪い奴め、と舌打ちを零しながら通りを駆け抜ける。ここからあいつの店は然程遠くはない、まだここを歩いているか、もう店についているか、可能性は二つに一つだろう。シャンブルズを使ってもいいが俺の能力を知る奴らが近くにいる以上、迂闊な行動は控えた方がいいだろう。まだ奴らは俺よりも後ろにいる筈だ、彼女に何かあるとは考えづらい。……そうやって自分を落ち着けた。やけに喉が渇いて仕方がない、動悸がする。走っているから、ただそれだけの理由ではない。最悪の想像をしては振り払うように頭を揺さぶった。何も、ない。何もあっては、ならないんだ。





「……サナ!」
「……ローくん?どうしたの?そんなに慌てて……っ!?」





少し先に小さな背中が見えたのに声を上げた。咄嗟に出た声が大きくて自分でも驚きつつ、焦りすぎだと自戒する。振り向いた彼女は首を傾げたが、それに答えるよりも先に細い手首を捕まえて路地へと引っ張り込んだ。当たり前だが俺の行為に驚いたように声を詰まらせたサナは俺についていこうと必死に足を動かしつつも目を白黒させてこちらを見ていたが、俺が裏道へと向かうのを見ると少し不安そうな声で「何かあったの?」と問いかけた。一瞬サナに目を向けてから前を見据えて、ホーキンス達が来ている、と告げれば、はっ、と息を呑む。彼女に危険性を伝えるにはこれだけで十分だったようだ。






「ホーキンスは私たちを探して……?」
「……蕎麦屋を殺しにきたらしい。だがホーキンスはそれよりも俺達目当てだろうな」





俺の言葉に難しい顔をした彼女は一度小さく頷いてからありがとう、と述べた。何に対しての感謝だ、と聞けばここまで探しにきてくれて、と答えたのに何かしら言い訳でもしようかと思ったが、結局口から出たのは「……あァ、」とそれを肯定する返事だった。色々考えはしたが何か理由があるにしろ、何にしろ、俺がここまで走ったのは彼女への純粋な心配に他ならなかった。少しだけ握っていた手首に力を入れる。これを離しては、いけない。そんな漠然とした想いが脳に燻った。




以前からよく通っていた人気の少ない川沿いの道へと出るとそこは大通りの騒ぎが嘘のように静まり返っていた。辺りを見渡して、奥の方に見える橋近くに見知った3人が走っているのが確認できた。彼女もそれに気づいたらしく、俺を見上げたので分かってる、と首を縦に振り頃合いを見てまた走り始める。アイツらの背を追いかけつつも徐々にそのペースは落ち始めていた。その理由の確認のために目を後ろに向けると小股で走らざるを得ない服装の彼女が息を荒げて必死に足を動かしているのが分かった。たまに縺れそうになるのをその度にどうにか無理やり次の一歩を押し出しては阻止しているその動作に意識せずとも眉が下がった。もう少し速度を落とすべきだ、と彼女を楽にさせる解決策はすぐに頭に浮かぶが、そうすれば3人に追いつくのはこのままでは無茶だろう。……ひとつ、古典的かつ馬鹿げた方法が脳裏を過ぎった。


数秒思案した後、一度足を止め彼女に振り返った。肩から鬼哭を下ろして目を瞬かせたサナに持ってろ、と押し付ける。咄嗟に受け取ったサナが、へ?と抜けた声を出したのを耳で捉えるより前に少し腰を落として目線を合わせ、彼女の背中と膝窩の下へ腕を入れ込んだ。目を丸くした彼女が俺を見て、うそ、と呟くのに、このままじゃ追い付けねぇだろ、と答え、足に力を入れて一思いに彼女の身体を持ち上げた。……あァ、なんだ、軽いもんだな。





「え、え!?ろ、ろーくん!?!?」
「……いくぞ、落とすつもりはねぇが、ちゃんと掴まってろ」
「ほん、き……ッ!?」





信じられない、といった顔に埒があかないことを悟り、問答が始まるより早く俺は彼女を腕に抱き上げたまま改めて走り出した。ひ、と息を詰まらせてから慌てて鬼哭を抱え直したサナは俺が走るのに揺られながら身体を縮こませて俺の襟元を掴みつつ、キョロキョロと辺りを落ち着かなさそうに見回してからこちらを見上げ「ローくん、重くない!?」「私ついてくの遅かったかな……!?」と矢継ぎ早に言葉を紡ぐのに「重くねぇ、寧ろ俺がお前のことを気遣えてなかった」と端的に返せば、そう、ですか……と妙に改まったようにモゴモゴと口をまごつかせた。ふと覗いた彼女の頬がぼんやりと色づいて見えた気がして、強引に視線を逸らす。この暗さじゃ真偽なんて分かりはしねぇ、と思考を切り替えて黒足屋達との距離を詰めていく。変なことは考えても仕方ない、こうやって抱き上げたのもせざるを得ない理由があるからだ、と納得させた。事実この行為になんの他意もないが、微妙に心が騒つくのがどうにも落ち着かなかった。





「トラ男!お前サナちゃんは無事……ッて……!!!?」
「あァん?サナ、お前どうしたんだ、横抱きにされて」
「ふ、フランキー……!!!その、えと、私の足が遅くて……」
「……トラ男って案外そういうとこあるよなぁ……」
「お前らまた好き勝手に……!不可抗力だ!」





大方予想はできていたが、追い付けたのはいいものの麦わら達にはこの状況について嫌に絡まれる。呆れたようにこちらを見るロボ屋、何故か何かに納得したように頷く鼻屋、そして一番面倒なのは俺たちを見て固まってから思い切り詰め寄ってきたこの黒足屋だ。誰に許可を取ってサナちゃんの肌に触れてるんだ!?と口煩いこの男はこれだけ詰め寄っても俺の体自体には当たらない辺り、腕の中のサナに万が一にも被害が出ないようにという配慮のつもりなのだろうか。感心だな、と嫌味を心の中で吐き出しつつ、この服じゃ俺に付いてくるのは困難だと判断した、と真っ当な理由を述べればギリ、と歯を噛み締めてから勢いよく俺に腕を突き出した。





「ならここからは役割交代だ!俺に渡せ!!!」
「……ッなんでわざわざ……!面倒くせェ、断る!」
「テメェやっぱり下心があるんだな!?うちの天使をそんな風に……ずるいぞ!!!」
「お前が下心しかねぇじゃねぇか!」





ギャンギャンと騒ぎ立てる黒足屋に込み上げる苛立ちに舌を打つ。自然と彼女を支える腕に力が入る自分にも腹立たしさが湧いた。ほんの少しでも彼女を離すのが、こいつに渡すのが惜しい、そう思った俺がいることに頭が痛む。不可抗力なのは事実だし、他に何かがあったわけでもないことも本当だ。なのにこの程よい体重が離れていくことを拒もうとする自分がそこに居るのもまた真実だった。矛盾した感情に振り回されながらもひとまずその場から離れるために揃って足を動かし続ける。





「お前ら!もし捕まっても侍やミンク族のことを吐くなよ何も喋らず殺されろ」
「こわっ!!ルフィはそんなこと言わねェぞ!!!」
「うちはドライなんだ」
「顔隠して戦うってのはどうだ!?」
「100%勝てるならな……ケガの一つでも決戦の戦力ダウンだ、今は戦うな!」
「なんだテメェ船長顔しやがって!堂々とサナのことも抱いてくるし……!俺は捕まりゃ全部喋って助かるぞ!」
「これは私が遅いからでローくんは別に……!」
「ふざけんなテメェ!じゃ全力で守ってやる!」
「やったー!!」
「仲良しか!!!」





馬鹿らしいやりとりが続く中、遠くで大きな破壊音が聞こえ始める。崩れていく建物も見えるので飛六胞達が花の都を探し回っているようだ。立ち止まった3人を急かすように声をかけるが大通りの方から「サン五郎」を呼ぶ声が聞こえると黒足屋は踵を返して声の方へと走っていく。サナはそれを見ると俺の方をバッと向いていつになく強い視線で訴えかける。それに一瞬胸が詰まったがゆっくりとしゃがみこみ、彼女の足を地面へ下ろして解放した。ありがとう、と感謝を述べた彼女の背中はすぐに黒足屋を追いかけるために俺の元から遠のいていく。代わりに渡された鬼哭の方がよっぽど重く感じた。





「……あーあー、逃げられたなトラ男」
「まァ、気にすんな。あいつも仲間想いなんだよ」
「……なんの話だ」





同情するような鼻屋達の声かけに隠すことなく舌打ちをして彼女の後について行く。別に彼女がああする事なんて予想は出来ていた。黒足屋達と再会した時もそうだ、彼女が一番に考えるのは彼女自身の仲間で、それは俺にだって理解できる感情だ。ただ、ほんの少しだけ胸の奥で気泡が弾けたような、そんな感覚に苛まれる、それだけのことだ。……と、そこまで考えてからそれを奥へと押し込むように唾を飲む。……今戦うのは得策ではないと黒足屋も分かっている筈だが、それだけで収まらないだろう、とここまでの"麦わら"との付き合いで分かっている。




大通りを影から見守る彼女の後ろに着き、同じように戦況を確認する。ページワンと対峙する黒足屋はやはり引く気は無いようで手に持った缶を何度か弄ぶと勢いよく腰に当てがい、着ていた着物を脱ぎ捨てる。回転し始めた缶の中身は徐々に黒足屋を覆うと大きく"3"と書かれた黒いマントへと変化する。その姿は俺には酷く見覚えがあった。ありえねぇ、でもあれは間違いなく……!!!





「悪の軍団ジェルマ66のNo.3!!"ステルスブラック"!!!」





屋根の上から黒足屋がなんで詳しいのかと馬鹿げた質問を投げかけて来たがこれは北の海の出身なら誰もが知っている絵物語のキャラクターだ、知らないなんてありえないだろう。しかもソラに敵対する組織であるジェルマはマイナー格でもないしそれこそ新聞での連載ではよく登場していた。そのジェルマのスーツを何故黒足屋が……疑問は尽きないが、姿を消せる厄介な性質はあの頃と変わらないようだ。相変わらずなんて狡い野郎だ、ステルスブラック……もとい、おそばマスク……!





「ローくん、詳しいね……」
「昔から新聞はよく読んでいた……お前は知らないのか」
「私は東の生まれだから知らなかったけど……でも今のサンジくんはヒーローみたい……!」





キラキラと目を輝かせたサナは黒足屋の戦いを真摯に応援しているらしい。俺にとってはあのフォルムは敵の象徴だが初めて見る彼女にとってはヒーローに見えるらしい。確かにこの状況ではおそばマスクは都を守るヒーローと言えなくもないが、やはり彼女とは生まれも何もかもが違う、と痛感した。俺と彼女では根本的に考え方も、生き方も、身を置いた場所も、違う。これこそ馬鹿らしい考えなのかもしれないが、やはり彼女に触れることは酷く憚られることだと感じる。俺が近くに立っていいような人間では、きっと、無い。





「……行くぞ、」
「え、でも……」
「あいつは先に行けと言った、ここに留まって他の奴らに見つかることの方が避けるべきだ」
「……!分かった、あ、でも……」





黒足屋とページワンが暴れるその場から離れたその時、彼女がポツリ、と小さな声でもう持ち上げるのはだめ、と呟く。そんなに気に食わなかったのか、と一瞬の沈黙の後に言葉にすると慌てたように手を振ってから「……緊張、しちゃうから……」と少し声を震わせる。思ってもみなかった反応につい、動揺して、は、と声が裏返りそうになった。






「緊張、って」
「だ、だってあんな風に運ばれることなんて普段無いし……!色々心配しちゃうし、でもローくんは軽々運んじゃうから、その、」
「……なんだ、」
「……ど、きどき、する…………」






だから、だめ、と続いた言葉にぐ、と喉が鳴った。何を考えればこんな事が言えるのか、本当に訳が分からない。路地から出たその瞬間、彼女の顔に簪の桜のように色付いた耳と頬が映し出されてもっと頭が混乱した。俺とサナは何もかも違う、ついさっき改めてそう自覚した筈なのに、遠い存在だと分かった筈なのに、今はほんの少し手を伸ばせば届く位置に存在する、と感じた。彼女は俺をどうしたいんだ、俺はどうありたいんだ、全てが分からない。ただ、ほぼ反射的に彼女の手をもう一度捕まえた。今度はサナに合わせるような速さで足を進めて、それに驚いたように俺を見た彼女に、置いてはいけねぇだろ、と告げると彼女は困ったように眉を下げる。





「これで追いつかれたら私、どうにも出来ないし、ローくんに迷惑を……」
「……その時のために、俺が今居るんだろ。お前一人じゃダメなら、俺が、居ればいい」





俺の言葉に少し面食らったように瞬きをしたサナは少しだけ瞳を揺らしてから、うん、と返事をする。それから苦笑とも、確かな微笑みとも取れるような笑顔を口元に浮かべて、ありがとう、と確かに彼女は言った。それにどう反応すればいいか分からず、謝らないだけマシだな、と言えば今度こそ彼女が小さく声を出してほんのりと笑うのに手首から掌へと掴んだ部位を変える。俺と比べるとあまりにも小さな手だった。それを知った以上、潰れないように、俺には"それ"を保護する務めがある、そう感じた。ほんの少しでもいい、彼女のヒーローであらなければいけない、それこそ絵空事だが、この考えは間違っては無い気がした。……勿論、この状態を後の2人に見られてまた生暖かく見られたのには睨みを利かせることにはなったが、それを振り切りつつも騒ぎを起こした花の都から離れ、えびす町へと向かった。


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