▼ 第三十一章




まるで憑き物が落ちたかのように加州の桜花に対する態度はまた一変した。

「主、主! ほらこれ終わったよ!」
「ええ、ありがとう」

刀剣達の部屋変えにより慌しい本日の本丸にて。
桜花の横に立ってあれこれ指示をしていた歌仙が迷惑そうに表情を歪める程、先程からひっきりなしに加州が桜花の反応を窺いにここにやってくる。
そんな加州がまた桜花の指示を受けて走って行くのを見送りながら、歌仙は息を吐きながら桜花を見下ろした。

「主、煩わしくはないのかい?」
「まぁ、ここまでだとは思わなかったんですが…今は彼の好きにさせてやって下さい」
「三日月の件が絡んでいるんだね」
「ばれていましたか」

歌仙の視線が、少しばかり離れた縁側に座り込んで茶を飲む三日月へと移される。

「鍛刀したと聞いていないのに突然現れれば…鋭い者ならすぐにわかるだろう。それに、先程のあの様子を見れば―――」
「先程? 何かあったのですか」
「いや、君は気にしなくていい」

歌仙はこちらを見上げる桜花の視線から逃れるように顔を逸らした。
ふと視界の三日月の元へ獅子王が走って行くのが見えた。

「三日月も、今日は無理をさせないようにして下さい。…ずっと部屋に閉じ込められていたようですので」
「ああ。言われなくとも彼はああやってのんびり過ごしているだろうさ」

どうやら獅子王が気を利かして三日月の部屋を整えてくれているようだ。
箪笥がどうとか聞こえてくる。
しかし時折三日月を見ていると、その度に絶えず誰かが彼の元に行っているのを思い返し桜花は首を傾げた。

(三日月はとても人気があるのね…)

それは彼の持つ魅力故か、と桜花が思っていると今度は三日月の横に鶴丸が座り込んでいた。



桜花が歌仙と共にその場を離れその姿が見えなくなったのを確認し、鶴丸は三日月に視線を向けた。

「どうやら主は、きみのことを話すつもりはないようだ」
「まぁ、そうだろうな」

笑いながら三日月は相槌を打った。
誰かが持ち寄ったのか葛餅が三日月の横に置いてあり、鶴丸は匙を使ってそれを一切れ口に運んだ。

「なぜ先程主が俺達を集めたのか…。それはきみのことを知る者がいるのか確認する為だ」

冷たい葛餅が溶けるように口の中で消えると、鶴丸は匙を皿に返した。
三日月は静かに庭を眺めている。

「きみのことを知るただ一人、加州清光を―――」
「加州を責めようとは思っていない。それは主もそうだろう」

笑みを湛えたまま、三日月は言った。

「人とは貪欲な生き物だ。得たものよりも更に良いものがあればそれが欲しくなる。珍しい物が欲しい、またそれで権力を誇示したい…他人よりも優位でいたい。…それが人だ」

思い当たる節があるのか、鶴丸も黙ったまま庭を眺める。

「政府も、そんな人の見栄や私欲を利用して審神者を集めるのだ。…より強い、審神者を求めて」
「形振り構っていられないほど、今の状況は良いものではないのかもしれないな」

後ろ手を付いて鶴丸は天井を見上げる。

「しかしまぁ、此度の主はまた一風変わった主だな」

三日月の視線が鶴丸に向けられた。
これで終いにしよう、と促されたことが分からない鶴丸ではなく「ああ」と頷いて姿勢を戻した。

「人ではないからな」

桜花の正体を知る数少ない刀剣の一振りである鶴丸は、そう言って得意げに笑った。
しかし三日月も笑顔のまま「そうか」と言って茶を啜るものだから、鶴丸は拍子抜けした。

「なんだ、もっとこう…何かないのか」
「んん。主が人でないことは触れればわかる。加えて、俺は手入れもされたからな」

いや凄い力だ、とやはり彼は悠長に笑う。

「久しぶりに心地いいと思える。それに、あれは面白い」
「…主をあれ呼ばわりか」

鶴丸の言葉には返さず、三日月はまた茶を啜った。

「あっ、無くしたと思ってた筆が出てきた!」

噂をすれば何とやらか、遠くで桜花のそんな声が聞こえた。



本日の目的だった部屋の大移動は終了し、桜花もまた審神者の私室の整理を終わらせた。
掃除前に前任の私物など捨ててしまえという意味合いで「すべて片してしまいましょう」と笑顔の一期に言われた。
出会った頃の子犬のような時とは比べ物にならないくらい肝が据わってきたな、と桜花が思っているその後ろで手伝っていた一期がふと顔を上げた。

「主」
「っはい!」

まさか聞こえたのか、と桜花が焦りながら振り返ると一期が首を傾げた。

「どうかされましたか。声が上ずっておりますが…」
「いえ、何も」

ふるふると首を横に振り、取って付けたような笑みを見せると一期が帳面を持って近寄ってきた。

「消耗品があと僅かです。陽が落ちる前に買いに行ってはいかがでしょうか」

一期が持ってきた出納帳を確認し、桜花は顎に手を当てた。
あまり買い物をしないせいか幾つか足りない物があるようだった。

「そうですね。では皆にも声をかけて必要な物を確認して…行きましょうか、万屋に」
「お供しましょう」
「…お願いします」

ふわりと優雅に笑う一期に、桜花は初めて町に出た日に一期に怒られたことを思い出していた。



厨にいた燭台切と歌仙に必要な物はあるかと聞けばあれがない、でもこれはいらないと息の合った会話をし始めるものだから思わず桜花は「まるで夫婦のようですね」と口走ってしまった。
ぴたりと動きが止まった燭台切と歌仙の、その愕然とした表情を前にして焦った様子で一期が咳払いをしてきた。

(しまった、失言だったか…)

確かに刀剣男士に対して夫婦はないか、と桜花が思い返していると都合よく厨に薬研が顔を出した。

「よぉ大将。何やってんだ」

摘み食いか、と機嫌が良いのか爽やかに笑いながら彼は中に入ってくる。

「薬研、丁度良かった。何か要り用なものはありますか」
「あー…ちっとばかし欲しいモンはあるんだが…、分かりづらいだろうから、俺も行っていいか?」

これはまた一緒に行きたがるなんて珍しい、と嬉しくなり桜花は「もちろん」と頷いた。
少しばかり元気の無くなった燭台切と歌仙から必要な物を聞き出し、桜花は一期と薬研を連れて町へと行くことになった。



相変わらずの賑わいを見せる町並みに、これまた初めて外に来たのか一期や薬研がほうっと声を上げたのが聞こえ桜花は笑った。
周囲を見れば審神者と刀剣男士ばかりで桜花の知っている顔ぶれも随分と増えていた。

「凄いな…」
「ああ。ほとんどが審神者とその共なのだろうね」

薬研と一期がぽつりとそんな会話をしていて、聞いていた桜花は微笑ましくなった。
その時、すぐ横を通りかかった審神者が連れていたのがこれまた薬研で、ぱちりと彼と目が合った。
すると彼はきりっとした表情をふっと崩し、その大きな紫の瞳を細めて色っぽく笑ったものだから、桜花は驚いて目を見張った。

「まぁ…随分と大人っぽく笑う薬研ですね…」

桜花がそう言葉を漏らすと、彼の主であろう審神者がそれに気が付いて振り返り顔を青ざめさせた。

「こら薬研! 君はまたそうやって…!」
「怒るなって、大将。冗談だ」

それから一変、からりと笑ったその薬研はもう一度桜花に笑いかけると審神者の元へと向かっていく。
どういうことだろうか、と桜花が思っているとその審神者が桜花に何度か頭を下げ、そして薬研を連れて足早に去って行った。
ますます理解ができずに首を傾げると、着物の袖を誰かに掴まれた。
見ればそこにいるのはうちの薬研で、その表情はいつの間にか不機嫌なものに変化していた。

「大将、今何されたかわかったか?」
「え? 今の、薬研にですか? ただ目が合っただけですけど…」

思い返してもあの笑顔しか思い当たる節はなく、まして危害を加えられたわけでもない。
薬研はがしがしと頭を掻くと「あー…」と声を漏らしており、どうやら説明する言葉を選んでいるようだった。
桜花が一期を見れば、これまた一期も何とも複雑な表情をしてそこに立っていた。

「何もされてませんよ」

ほら、と両手を開いたり閉じたりして見せるが薬研はまた更に不機嫌を滲ませ真剣な眼差しを桜花に向けた。

「そうじゃねぇ。いいか、大将。今のは…あの俺が大将に向かって…人の言葉を使うとすりゃ、色目を使ったって言うか…」

不機嫌な上に珍しく言葉を詰まらせる薬研に、桜花は難しい顔で少し考えてからふいに表情を崩して薬研に笑いかけた。

「私にはわからないことばかりで、勉強になりますね」

そう言えば、目を見開いた薬研が今度は頭を抱えた。



万屋に入りあれこれ物色している桜花のその後ろで、薬研は持て余したように何度もため息を吐いていた。
それが苛々を紛らわす為だと覚り、横に居た一期が困った様に薬研を見下ろす。

「してやられたね」
「ああ。まったくだ…。“中てられない”ほど、大将が大物でよかったぜ…」
「他所の審神者に向かって、よくあんなことができたものだ」

一歩間違えば私があの薬研を斬らなければならなかったところだ、とさらりと一期は漏らした。
薬研が肩を竦める。

「いち兄に斬られたら痛そうだな」
「弟とはいえ、主に手を出されれば容赦はしないからね」

二人が小声でそんな会話をしていると、くるりと桜花が振り返った。

「お守り、まだありましたっけ」

そう言って何事もなかったかのように笑う桜花に、やはり薬研はため息を漏らしていた。





 ―――続

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