▼ 第二十六章


早朝、いつもより早い時間に目が覚めた桜花は身体に異変を感じて眉を寄せた。
昨夜も早めに休んだつもりだが、この嫌に身体に残っている疲れは何だろうか。
気にしない様にしながら少し早いが布団から出ることにした。





「…ねぇ、あるじさん。首熱いよ…?」
「え…?」

あれから少ししてから部屋を訪れてきたのは乱で、彼は櫛と簪を取り出すと桜花に鏡の前に座るよう言ってきた。
どうやら髪を整えてくれるようで桜花は嬉しさを滲ませながら頷いたのだったが。

ふと項に手を触れさせた乱が怪訝と鏡越しに桜花を見てそう言った。
慌てて自らの手で首元に触れてみるが、あまり感じなかった。

「大丈夫…?」

心配そうにこちらを見る乱に大丈夫だと笑いかけ先を促した。



しかしながら朝食を前にして桜花は小さく息を吐いた。

(食べたくないような…)

ここ数日は暑かったからか食べられる食事の量が減ってはきていたが、今朝に限ってはもはや口にすら入れたくない。
そして最近気付いたのだが、自分が箸を取るまでは刀剣達は誰一人として箸を持たない。
だからと取りあえず箸を手にしてはみたものの、そこから先には一向に進まなかった。

怪しまれてはいないかと思って周囲に視線を巡らせると、最近顕現した骨喰と目が合った。
じっとこちらを見る彼は刀剣達の中でもあまりお喋りな方ではない。
話を聞けば彼は一度燃えていて記憶が無いとのこと。
だが刀派を同じくする粟田口の兄弟とはそれなりに仲良くしているようで安心はしていた。

話を戻すが目は口ほどにものを言う、というように彼が何かを言いたげにしているのがわかった。
その何かを言われる前に、と桜花は箸を動かし半ば飲み込むようにして食事を胃に詰め込んでいった。



出陣や遠征に内番に非番、今日もまたそれぞれに刀剣達を割り振り桜花は自室へと向かっていた。
しかし身体は不調を訴えてくるようで格段に足が重い。

(まさか体調を崩す、なんてこと…)

鬼は比較的体調を崩すことは少ない。
だが身体は一応人と同じ作りではある為に、必ずしも崩さないとは言い切れないのも事実だ。
現に桜花もこうして体調を崩している。

「今日は一日大人しくしていよう…」

誰に言うでもなくそう口にして、誰かに見つかる前に部屋へと急いだ。



わいわいと賑わうのは本丸の大広間前の廊下。
そこには本日の当番が貼られており、朝食後に確認するのが刀剣達の日課になっている。
そんな中、隅でじっと桜花の部屋へと続く廊下を見つめていた骨喰を見付けたのは前田だった。

「骨喰兄さん? どうかしましたか?」

本日非番である前田は、出陣の予定が入っている兄を見上げてそう尋ねた。
骨喰は一度前田に視線を向け、それから再び廊下の先を見た。

「主が…いつもと違う」
「主君が…?」
「ああ」

こくりと頷いて骨喰は前田を見る。

「すまない。俺はこれから出陣だから様子を見に行ってくれないか」
「っはい!」

前田は大きく頷くと、桜花の部屋へと足を急がせた。

やがて見えてきたのは桜花が使っている部屋で、これから暑くなるというのに障子戸はきっちり閉められていた。
冷房を嫌う桜花は普段から障子戸を開けっ放しにしており、顕現したての頃の歌仙が女性なのだからうんたらかんたらと桜花に説教をしていたのは前田もよく覚えている。
そんな彼女が刀剣達のことを見ていたい、声を聞いていると安心すると笑って言っておりそれ以来歌仙も何も言わなくなった。
だからこそこうして閉め切られているのはおかしいと、前田は焦る気持ちを抑える様に深呼吸し、それから障子戸の前に膝を付いた。

「あの、主君。前田です」

静かにそう声をかけるが、部屋から返事はない。

「主君…?」

中に気配はあるのだからいるのは間違いないが、返事がないとなれば何かあったのかもしれない。
前田は障子戸に手をかけるとほんの少しだけそれを開けた。
そして畳を辿る様にして中へ視線を滑らせれば、やがて見えたのは桜花の白い足袋とほっそりとした指先だった。
しかしそれがぐったりと畳に置かれているものだから、前田は慌てて障子戸を開け放った。

「主君!!」

だらりと文机に突っ伏している桜花を見付け、前田は悲鳴に似た声を上げて慌てて駆け寄った。
桜花を抱え起こすようにして肩に手を回せばその周辺が熱を持っていて、顔を覗き込めば目を閉じて苦しそうに呼吸を繰り返していた。
いつもの桜花とはかけ離れたその姿に、前田は動揺しつつも冷静に頭を働かせた。

「だ、誰か! いませんか!!」

障子戸から外に向かってそう声を上げながら、桜花の肩をしっかりと抱き寄せた。



額に冷たいものが乗せられた感触に、ふと意識が浮上した。
目を開ければまだ明るい室内が見えなぜ寝ているのかと疑問に思った。

「主君」

横から声をかけられそちらを見れば、心配そうな表情でこちらを見る前田がいた。

「まえ、だ…」

声を発せば何となく胸の辺りが不快感に襲われ、桜花は眉を寄せた。
そう言えば朝から体調が悪かったことを思い出し、こうして寝ているということはやはり途中で悪化してしまったのだろう。
不甲斐ない、と思った。

「主君、ご気分はどうですか?」

いつもと変わらない優しい表情で前田がそう尋ねてきた。

「…あまり、良くはないですね」
「わかりました。薬研兄さんを呼んできます」

一つ頷いて、丁寧にお辞儀をしてから前田は立ち上がり部屋を出て行った。
その後ろ姿を見送り、桜花はふとあることを思った。





「大将、いつから具合悪かった?」
「…今朝から」
「嘘だな。数日前から食った飯の量が減ってるからそん頃から具合悪かったんだろう」

じゃあなんで聞いたんだ、と思った。
医者さながら、色々と聞き出しては手帳のようなものに記していく薬研を寝たまま見上げ疑問をぶつけてみる。

「私の食事の量まで把握しているんですか、貴方は」
「ああ。ここは心配性な奴らが多くてな」

すらすらと文字を書いている薬研が一度だけ後ろを見る。
そこには水差しの用意をしている前田がいた。

「おそらく風邪だろうが、まぁここ最近は昼夜で寒暖の差があったからな。加えて慣れない環境に疲れも祟ったんだろう」

今日は大人しく寝てるこったな、と薬研はにっと笑って手帳を閉じた。

「後でもの凄く苦い薬でも煎じてやるよ」

その言葉に桜花が顔を渋くさせると薬研は更に笑みを深めた。

「前田、後は頼む」
「わかりました」

素早く部屋を出て行く薬研を丁寧に見送った前田は、その姿が見えなくなるとそっと桜花に向き合った。

「主君、水は飲めますか」
「ええ」

頷くと前田は素早く横にやってきて、それから起き上がろうとした桜花の背中をそっと支えた。
そのまま慣れた手付きで水差しから水を湯飲みに注ぎ、それを桜花の手元に持ってきた。

「支えていますから、どうぞ」
「ありがとう…」

冷えた水が喉を通れば身体の不快感が少しばかり薄れ、桜花は微笑みながら前田を見た。

「前田が見つけてくれたのですか…?」
「はい。お部屋で倒れていたので驚きました」
「ごめんなさい、心配をかけて…」

眠気から一度だけ瞬くと、次に目を開けるのが億劫になった。
その様子に気付いてか前田が声を落とした。

「お休み下さい。僕がずっと付いていますから」
「でも…」
「大丈夫です」

さぁ、と前田にゆっくりと布団に寝かせられ桜花は肩で息をしながら抗えずに目を閉じる。
意識は深い闇に引きずり込まれた。



何も無いただの空間で何かから逃げていた桜花は、その何かに捕まったところで目が覚めた。
明るかった室内はいつの間にか暗くなっており、行灯の光で室内の装飾の影が揺れ少し不気味だった。
心なしか寂しくなり、桜花は天井をぼんやりと見つめながら乾ききっている口を開いた。

「まえだ…」
「はい」

溢した言葉に返答があり、桜花は目を見開いてそちらを見る。
布団の横にきちんと座りこちらを見ていたのは前田だった。

「どうして…」

優しく微笑んだままそこにいる前田にそう問いかければ、前田は笑みを深めた。

「ご気分はどうですか、主君」
「…少し、良くなった…かな」
「それはよかったです」

そう言いながら前田は桜花の額に乗った手ぬぐいを取り、それを水桶に浸けた。

「ずっと…付いていてくれたの…?」

ぎゅっと手ぬぐいを絞り綺麗に畳み直すと、前田はそれをまた桜花の額に乗せた。

「もちろんです。ずっと付いていると言ったではありませんか」

そう言ってまた穏やかに笑う前田にとてつもなく泣きたくなった。
膝に置かれた前田の小さな手にそっと手を伸ばし、桜花は微笑んだ。

「ありがとう」

前田は嬉しそうに頷いた。
小さな背中や手をしている彼の頼もしい姿を見つめ、それから桜花は今度こそゆっくりと眠りに就いた。






―――続

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