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私が考えることには、この世界には二種類の人間しか存在しない。"使う者"と"使われる者"、言い換えるならば"勝ち組"と"負け組"、"持つ者"と"持たざる者"……。更に言うなら世界の90%は"使われる者"であり"負け組"で、何故なら彼らが"持たざる者"であるからだ。彼らは才能を、恵まれた環境を、血統を、闘争心を…、勝つために必要な"なにか"を持っていない。重要なのは地位や血統や性能の良い頭、或いは闘争心や容姿だろう。貴族がのさばる中世イギリスでは所謂"血統書"さえあれば人生は約束されていたし、今日の日本では実力が大層ものを言う。

「天才は99%の才能と1%の努力」
とはよく言ったもので、凡人はどれだけ足掻いたところで真の天才には敵わない…とまでは言わないけれど、同等の努力の下では凡人の勝利は果てしなく不可能に近いだろう。

数字と言うものは実に正直で好感が持てる。
アメリカに於いては1%の天才である"持つ者"が全体の約6割もの富を手中に収めているのだ。この世界に平等などない。法の下の平等、なんてものほど熱心な偽善は存在しない。それが正しいことなんだ、と思う。簡単なことだ。社会主義国家の末路を辿れば分かる。優れたものが富を築くべきだ。高納税者はより良いサービスを受ける権利がある。
残念ながら99%の凡人は生温い世界の中で冴えない人生に甘んじる運命だ。…ま、ごく稀に99%の努力で"勝つ者"がいることも確か。あくまでもごく稀に、だけど。……我ながらこんなものの考え方をしているのは多少嫌気が差す瞬間があるけれど、そもそもこれは私の哲学ではない。私が憧れていた、だいきらいな父親の哲学だ。それを私が知らず知らずのうちに引き継いだだけ。あんな男の哲学を受け継いだだなんて虫唾が走るけれど、奴は正論を言う。或いは単に口が上手いだけで間違ったことをほざいているだけなのかもしれない、それでもあの口が黒だと言えば空に浮かぶ雲でさえ暗く濁ってしまいそうな……言葉の羅列。弄ぶ父親。
事実彼は"使う者"であり"勝ち組"だったけれどこころを病んで壊れてしまった。もう昔の父親ではない。あの男は完全ではなかったんだろう、きっと。"持って"いたのに、つまらないことで捨ててしまった。彼は最寄りの精神病院暮らしで、恐らくもう二度と出ることはない。血縁者のサインがなければ退院は出来ないし、私はサインするつもりがないからだ。

でも私は父親に憧れていた。彼に評価されるために、認められるために生きていた。それが私のすべてだった。壊れる前の父親は、こう言うのはなんだか違う気がするけれど、格好が良かった。私はああなりたかったんだと思う。今ではもう違う。彼は完全ではなかったから。なんだかそれに気がついてからはこころにぽっかり穴が開いてしまったような気がする。

完全なんてあるんだろうか。