02


昔から私はそうだった。
何をするにしても、理由が必要だったのだ。それは別に誰から見ても普遍のものでなければいけないなんてことはなくて、ただ自分が納得出来るか否か、それだけが問題だった。凍えそうに冷える冬の朝に布団から這い出るのを渋るのは寒いから、その後に顔を洗うのは目が覚めるから。朝食に野菜を多めに摂って、炭水化物を減らすのは健康に良さそうだから。そんな、端から見れば下らないとしか言いようが無い程度の理由。それが私には必要だった、私が安定するためには。理性を以って自律するためには。
…あなたを慈しむことにも、愛することにも理由が必要だった。それはあなたが興味深いひとで、私と私に似通った誰かを求めたからだ。
あなたを離れることにも理由が要る、あなたを忘れることに対する理由が。



「ね、あとどれくらい?」
「何がだ」
「虹村さんが来るの」
「……直に来る」

嘘つきめ、こんな会話がもう小一時間は続いてる。虹村のスタンドをもってすれば、瞬く間に地球の裏側にでも行けるはずなのに。こんな時に、そこまで決断してどうしてあなたはただ頷くことを渋っているのか、分からない。私と、私によく似た彼女を忘れるという決断をしたはずだ、私を離れるという決断をしたんだ、あなたは。なのにどうして。

「……直に来るさ、もう直ぐだ」

あなたが思い出を断ち切るまで?
そう問いかけようと開きかけた唇は音を出す前に閉ざされた。それは私に勇気がないからなのか、答えを聞くのが怖かったからなのか、それすらも分からなかった。
嫌だ、と思ったのだ、私は。この館には誘拐というかたちで連れてこられて、ディオをはじめとする誘拐犯達と穏便に、仲良く暮らそうと思ったのも出来るだけ早急に日本へ帰るためだった。私は日本に帰りたかったのだ、一刻も早く承太郎に抱き締めて欲しかった、はずだった。なのに。

「嫌、だなあ……なんだか」
「……何が?」
「さあ、何に対してだろうね」

両膝を立てたまま体重を後ろに預けると、安楽椅子の背凭れがぎしりと軋み音をたてた。酷く虚しく部屋に響いたそれは、いまの私の心情のようだと思った。正体不明の、目の前に迫り来る不安だか不満だか云うものに、私の心はぐらぐら揺さぶられているのだ。

「もうちょっとだけ、私のこと好きじゃなくなれば良いのに、って。そうしたら側に置いてくれたでしょう?」
「……日本に帰りたいなどと吐かしてた人間の言う言葉ではないな」
「……ねえディオ、私、承太郎のことが好きだよ。こんなこと本人の前では言えないけど……彼が居なかったら耐えられないくらいね、多分」

いつもみたいにベッドに身を投げ出しているディオが微笑む。なんだか酷く自嘲気味な笑顔だと、私は思った。彼がこんな顔をするのは初めて見たから根拠はないけれど。
今日に限ってディオは、私が彼の隣に腰を下ろすことを許してくれなかった。そのお陰で安楽椅子に座る私はディオの表情が良く見える。

「あなたってそんな顔もするの……ま、最後まで聞いてね、続きがあるんだ」
「……なんだ」
「彼と同じくらい、あなたのことも好きってこと。最後だから言っておこうと思って。それだけ」

苦虫を噛み潰したみたいな顔をしながら、気の利かん奴、とディオが零した。気怠さを隠そうともせずに、それでもどこか軽やかにデスクまで足を運んで金色の取手の付いた引出しを開く。その中に手を突っ込んだかと思うとこちらを振り向きながら眉を顰めて言った。こう云う時は思いつく限りの言葉で罵ったほうが私のためだ、気の利かん小娘だな、と。

「だって……だって、もう言えなくなるんだから。後味悪いじゃない、私…」
「お前の言わんとしていることくらい分かっている、それでも……否、だからこそ、奴に愛されれば良い」
「……」
「お前はたかが脆弱な小娘に過ぎないから、私より先に死ぬなと言うのも無理な話だろうな…だからせめて私の与り知らぬところで、安らかに死ね」
「ぶっ…ちょ、こんな時に死ねとか言う?ふつう…」
「安らかに、と言っただろう」

思わず立ち上がった私を抱きすくめると彼は手の中のそれを私の掌に押し込んで、駄々をこねる子供をあやすときみたいに頭を撫でる。
ディオに呼ばれて入ってきた虹村も些か顔が窶れて見えた。やっぱり、もうずっと前から扉の外に居たんだ。ディオの嘘吐きめ。

前にも見たような草臥れたスーツ姿の虹村はさっさと日本へ帰りたいのかディオから離れたいのか、主への挨拶もそこそこに私の腕を掴むと例の真白いスタンドを発動させる。
視界が暗転する直前、私が咄嗟に伸ばした指先がディオの白くて骨張った人差し指に触れた。それはやっぱり承太郎のそれと似ていたけれどどこか違った感触で、私はいつからかディオを本当の意味で好いていたんだと確信した、承太郎の代わりなんかじゃなく、彼を慈しんでいるのだと思った。

あなたを離れる理由を、あなたを永遠に忘れ去るに足る理由を失ってしまった。