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「……おや、なまえ様。お早う御座いますね。朝食の準備は直に出来ますから、椅子に掛けてお待ちください」

一人でふらふらとダイニングルームへ足を運んだ私の顔を見てテレンスが滑らかな口調で私を椅子へと促した。窓が開け放たれて居るのは太陽が深く沈んだからだ、月が高く上ったからだ。いまはこの館の主人の時間で、窓を開けても害は無いから。
朝食というよりは夕食の準備を眈々とこなしつつ、流石は優秀な執事であるテレンスは私の顔色を見て些か心配そうな顔をした。私はなにも言わなかった。なにも言う気にならなかった。願わくばテレンスがなにも疑問を持たずにいれば良いのに、質問なんてしなければ良いのにと思った。

「顔色が宜しく無いかと存じますが、如何なさいました?」
「……」

ビタミン不足かもしれませんね、如何せんこの館では運動不足に陥りやすいものですから。サラダを増やしましょうか、シーザーサラダがお好きでしたね。と、テレンスが言う。
ああ、私の好みまですっかり覚えて。だって、あなたが作るシーザーサラダは美味しすぎるんだもの。私は一度もそれが好きなんて言ったことはないのに、どうしてお見通しなんだろう。些細な仕草とか表情とかかな。ね、テレンス、なんだか家族みたいだね。私の父親なんかよりもあなたの方がずっと私を分かっていてくれてる気がするよ。

「……ね、テレンス」
「はい、なまえ様」
「テレンス……」

ああ、駄目だ、駄目だ。どうしたって涙が零れてしまう。こんなときまで心配をかけさせるなんて、不甲斐ない、テレンス、私は。

「如何したんですか……何かあったんですか、なまえ」
「ごめんなさい、私……私」
「しっかりなさい……聞いていますよ、さ、話してご覧」

背中を摩ってくれる指が温かい。初めて会ったあの日と同じように、テレンスは私の顔を覗き込んで子供にするみたいに頭を撫でてくれる。ああ、私はこれが。この掌が欲しかったんだ、ずっと。この温かさが。見返りを求めない愛情が。なのに、なのに。

「……ね、テレンス……ディオが、」
「DIO様が……何かなさったんですか」

私の涙を親指で拭いながら彼は少し顔を曇らせた、自分が口を出せる事情じゃないと思ったんだろう、きっと。彼にとってディオは絶対的な存在であって同時に主人で、その名の通り神と同義な存在であるはずだから。
その通りなんだ、テレンス。私は言わなきゃいけない、あなたに伝えなくちゃ。なのに喉はそれを拒否して、言葉を出そうと思うたびにしゃくりあげてを繰り返す。

「ディオが、私に、」
「ゆっくりで良いですよ……しっかり息をなさい」

ああテレンス、どうしてあなたはこんなにも優しいんだ、あなたたちは私を誘拐した犯罪者で、同じ屋根の下で毎晩殺人が行われていても顔色一つ変えない冷血漢なのに。法に従えば裁かれる、絶対的な悪であるはずなのに。
とうとう私は耐えられなくなってテレンスに腕を伸ばした。彼は私を宥めるように受け止めて、座ったまま私が彼に回した腕を二、三度撫でた。

「ディオが……帰れって」
「…………いま何と」

彼が私に回す腕に力が篭った気がした。あなたも、少しでも思ってくれるんだろうか。私と同じように、離れたくないと思ってくれているんだろうか。ああ、テレンス、私はあなたたちと離れたくないよ、いつの間にこんな風に。

「帰れって……日本に。もう戻ってくるなって」
「…………そんな」
「私の、為だって……」

頭の奥がじんじんと響いていた。なにも言わずに抱き締めてくれるテレンスの顔を見る気にはならなかった。そんなことをしたら帰れなくなってしまいそうだったから。
扉に引き摺られて床がギシリと音を立てた。涙で濡れた顔のまま後ろを振り返ると、いつかのようにディオが半身を壁に凭れさせて立っていた。