01


「さて、お前の話も済んだことだしわたしの用件について話しても構わんか?」
「ああ、そう言えばそうだった……どうぞどうぞ、話も聞かずにぬけぬけとすみません」
「……まぁ良い。先程そう遠くない未来にお前を日本に連れて行く約束をしたのは覚えているな。後々面倒になるから一筆書いておけ。適当に事情を作れば良い……捜索願いなど出されたら迂闊に帰れなくなるぞ」

"まぁ良い"っていうのは私が相手の話を聞く前に喋りだしたことに対してか、それともいままた語尾が敬語になってしまったことに対してか。ちょっと私には計りかねたし、今更聞き返すのも面倒なので肩を竦めるだけにしておいた。
ろくに私のほうを見もせずにディオはサイドテーブルの引き出しを物色して、直ぐにお目当てのものを引っ張り出した。投げて寄越されたのは手触りの良い羊皮紙と万年筆らしきもの、なのだけど正直にいうと羊皮紙も万年筆も使ったことがないので本当のことは分からなかった。
彼が言っているのは多分置き手紙のことだろう、探さないでくださいとか暫く一人になりたいだとかそんな内容の。……承太郎はもう、私が居なくなったことに気付いただろうか?心配してるだろうか。悲しいと思っているだろうか。私には家族が居ないから、私が失踪することで心配する人間は数える程しか居ないはずだ。ああ、なんだか複雑な気分。

「でも私結構眠ってたし……今から書いて意味あるの?多分もう私の家に来たと思うんだけど」
「確か一人暮らしだったな?お前の自宅に自由に出入りできるほど懇意にしているやつがいるのか?」
「……まぁ、それなりに」

名前まで教える必要はないと思ったから言わなかったしディオも相手のことを聞かなかった。その代わりに彼はあからさまに鼻で笑って、まぁどうでも良いが、とかそんなようなことを言った。どうでも良いなら最初から聞くなと言いたい。言ったら著しく機嫌を損ねそうだから言わないけど。

「ならば尚更好都合ではないか、置き手紙は読まれるために書くものだ。それに日本とは時差があるから今向こうは夜中の三時ごろだと思うが」
「ああ、そうか、時差……」

やっぱりここエジプトなのか……。未だに自分のおかれた状況に対して実感が持てていない、超能力を使う謎の集団に誘拐されて仲間になって……しかも一番偉そうな人の友人ポジション。リアリティを感じろって言うほうが無理があるんだ、夢でもこんな設定違和感がありそうなのに。たぶん手紙をしたためたあとにあのニジムラとかいうおっさんが取りに来るんだろう。結構こき使われてるな、幸薄そうな顔してたもんなぁ。そうと決まったらさっさと書いてしまおうと万年筆を手に取った。ああ、でも。

「……普通の紙ってないの?こんな高級そうなやつじゃなくて」
「なぜ」

ディオがベッドの背凭れに頬杖を預けてさも不思議そうな顔をする。なぜって、そりゃあ、私が羊皮紙に万年筆で置き手紙って違和感がありすぎるだろう。生まれてこのかた羊皮紙はおろか万年筆も使ったことないのに。当然のことのようにポンと羊皮紙なんてものを投げて寄越すこの男……やっぱりブルジョワか、この金持ちめ。残念ながら私はごく一般的な平民なんだ。

「……日本ではこんな質の良い羊皮紙も万年筆も使う習慣がないんだよ、私がこんな紙で置き手紙したら怪しまれると思う」
「……そこにあるのを使え」

無言で憐れみを含んだ目で見つめられたのは気付かなかったふりをして、ディオが顎で指した先を目で追う。ベッドの向う側に私の寝室にあるのと同じようなデスクが暗闇に紛れてひっそりと佇んでいた、あんまり広いもんだから目がいかなかった……。ディオが腰掛けるベッドを通り過ぎてデスクの上に置かれた用紙を手に取ると、確かにさっきの羊皮紙よりは薄手で、白い。この紙も普段私が使ってるものよりは断然質が良いけど。まぁこのくらいならおかしくはないだろう。書くものは、と思って机上を見回すと、無造作に削られた鉛筆とナイフが置いてあった。なんだ、けっこう普通のものを使ってるじゃあないか。
備え付けの、これまた座り心地の良い椅子に腰掛けて鉛筆を持つ。ああ、なんて書いたら良いだろうか。どうやって書いたら私らしいだろう?暫く家出することに決めたとしたら私はなんて書くだろう、一人になりたい、とか、正直に書けるだろうか。承太郎にそうやって素直に言える?…………。



「それだけで良いのか?」
「ああっ、見ないでよ……」

たった数行の文章を書き終えると、いつの間にかディオが私の背後から手元を覗き込んでいた。ああ、これで良いんだ。きっと私は承太郎に多くは語らない、まだ素直に彼の優しさに甘えることはできない。遠くにいくことになった、なんて曖昧な表現は狡いかもしれないけど。今までありがとうと書こうか迷ったけれどそれだとまるで永遠のお別れみたいだから、やめた。

「これで良い。じゃあこれ、よろしくお願いします」

厚手の紙だから折り曲げてもくしゃくしゃにはならないだろう。綺麗に半分に折ってから椅子を回転させて、文面を盗み見ていたディオに手渡した。彼を見上げると例の真っ赤な瞳と目が合う。テレンスが言っていたことを思い出して、本当に吸血鬼みたい、と私が呟くと、ディオはつり上がった目を訝しげに細めたあと、片眉を顰めて返事の代わりに私をまた鼻先であしらった。