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感情があても無く漂っている状態というものは、果たして美しいと言えるだろうか。

ある特定の場合を除いて、大抵その答えはNOである。誰しもがその状態に陥ることがあるが、世辞でも美しいとは言えないことは確かだ。
カーテンの隙間から忍び寄るぼやけた朝日を極力躱しつつ多少萎れたセーラー服を身につけている最中のなまえもまた、まさにその卑しむべき状況に陥っていた。ゆっくりと這う芋虫のような動きをする指でファスナーを上げていく間にも、彼女はずっと頭を捻って思考を巡らせている。思考の迷宮を探る旅は彼女が身支度を終え一夜ぶりに外気を嗅ぐ時でさえ途切れることはないだろう。

彼女は頭を捻って考える…
誰もがいずれ辿り着き、乗り越えるのか若しくは放棄するであろう考えであることは彼女も重々理解していた。…が、しかし。放棄することに嫌悪感を覚える以上、乗り越えるしか道はない。…が、しかし。一向に答えを見出せない思考の迷宮を抱えるが故に彼女の感情は漂っていた。

なまえは生きる意義を見出すために思考の迷宮を彷徨い続けているのだ。
覚えている限りの記憶の地平線よりも、もっとずっと前から。自らの価値云々なんていう陳腐なものではない。彼女はそんな下らないもののために時間を無駄にする人間ではないのだ。ただ単純に、そう、無邪気に空を見上げる幼児の様に純粋に、強いられているわけでもなく惰性を享受し続けてきた自分の意義を疑ったのだった。頭を数えれば数百に至る同年齢の女と違わぬ衣服を身に纏い、上辺の能力をはかる為だけに定められた情報を頭に詰め込むべく一つの屋根の下に足を運ぶ毎日に一体どれほどの価値があろうか。現実的な話、未来を考えるならばそれは確かに必要な行動ではあるが……。

さて、そうは言っても、目の前で掌を叩かれたときのように意識が鮮明になる瞬間が一日に何度かあるのだが、この日の場合それは早いうちから訪れた。というのも、一時的に彼女の気を逸らす効力を持ったものが彼女の視界の隅にちらりと映ったからである。自分の興味をひいたその男がどこの誰で、名前を何というのか、そして男の人格を表す骨組みのディティールを、彼女は知っている。理由は至ってシンプル、何故なら男はこの近辺に名を馳せる有名人だからだ。それに、多少なりとも彼と彼女との間には面識があると言っても強ち間違ってはいないのだ。
素直に感想を述べれば端整な顔つきをしているその男はこちらに向かってきているしなまえとのちょうど真ん中ほどに高校の校門が近付いていたので彼が彼女を見付ける可能性があるが、なまえとしてはそれはあまり嬉しくない結果である。何せ彼の周りには女が嬌声を上げつつ群れをなしているのだから、恨みを買うなんて堪ったものではない。なまえは粘着質な嫉妬は嫌いなのだ。
そんなことを考えながらなまえが目立つまいとして壁際をそろそろと進んでいたにもかかわらず、空条承太郎その人は右足を軸にして立ち止まった。顔がこちらに向いてるのをみてなまえの溜息がとうとう口から滑り出てしまった。あの男は相当目が良いらしい。取り巻きの隙間を這って出るなんて。もう少し周囲の空気を読み取ってくれると嬉しいのだが、と、進みたがらない足を引き摺りなまえは独りごちた。
波乱の予感を胸の内に持て余していたからである。